バンドというよりもアスリートみたいな感覚だった
──『rock'n'roll』には「Hey Hey, My My」のカバーが収録されていましたが、皆さんニール・ヤングはお好きだったんですか。
大地:俺は知らなかったんですよ。
ZERO:カート・コバーンの遺書に「Hey Hey, My My」の歌詞が引用されてたから「ちょっとカバーしてみるか?」っていう、割と軽いノリだった気がする。「ニール・ヤングは演歌みたいなもんだよね」ってよく名越君に言ってたよね。あと、『rock'n'roll』に関して言うと、「rock'n'roll」と「Hey Hey, My My」以外の曲のタイトルが全部“ER”で終わってるの。これは当時、俺が『ER』っていう海外ドラマにハマってたからなんだよね(笑)。だからジャケットも“ER”の文字だけわざわざ色を変えたんだよ。
──言われてみればそうでしたね。『Kr/A/sH!』制作時の今だから話せるエピソードはありますか。
ZERO:実際に録る前に仮の録音があって、その出来がひどくてね。
大地:俺、プロデューサーの守屋(正)さんにボロクソ言われたんですよ。リズムがうねりすぎて、「お前、今までレコーディングしたことあるんだろ!? このままじゃヤバいよ!」なんて言われて(笑)。
ZERO:それでけっこうスタジオに入ったよね。しかも、真夏でもスタジオの暖房を30度に設定して猛特訓だから。「よし、『COBRA』を連続10回!」みたいな(笑)。
大地:あれは完全に修行だったよね(笑)。
ZERO:汗でグチョグチョになって、ガラスも全部曇ってたしな。
大地:そんな状況でも名越君だけは汗ひとつかかなかったから凄いよね(笑)。
ZERO:実際のライブを想定した練習だから、涼しい所でやってもダメだろと思ってたんだよ。当時、俺にとってコーパスはバンドっていうよりもアスリートみたいな感覚だった。実際、ライブの前は準備体操を怠らなかったしさ(笑)。
──かなりストイックな姿勢だったんですね。
大地:ライブの時はそうでしたね。でも俺、何回か酒を呑んでライブをやっちゃって、それを名越君に凄くとがめられたことがあったんですよ。
名越:そうだっけ?(笑)
大地:うん。あれは忘れもしない、ミルクでライブをやった時。呑んでヘベレケになっちゃって、ライブ終わりで楽屋に行ったら名越君に胸ぐらを掴まれて、「お前、これで食っていくんじゃねぇのかよ!?」って怒鳴られてね。まぁ、そんな態度だったから俺はバンドで食えなかったんですけど(笑)。
ZERO:スタジオでもあったよね。名越君が大地にギターをバーン! と投げつけて、「やる気あんのかよ!?」って凄い剣幕でさ(笑)。後で大地に聞いたら、確かにちょっと気を抜いて叩いてたって。
名越:まぁ、せっかくやるならちゃんとやりたかっただけなんだけどね。
大地:だからちょっと部活っぽかったよね。それも、精神的にグイグイ追い込まれる武道系の部活(笑)。
名越:確かに部活みたいだったのかも。みんなあまり音楽を聴いてなかったしね。ようちゃんはいろんな音楽をいっぱい聴いてたけど。
──ところで、大地さんはそもそもどんな経緯でコーパスに加入したんですか。
大地:ビヨンズが活動停止するって決まってすぐに、ZERO君から直接誘われたんですよ。確かシェルターの階段でいきなり言われて。対バンもよくしてたし、知らない仲じゃなかったんですよね。
──吉村さんを誘ったのは?
ZERO:それも俺から。まだ塚本がベース、熊田がドラムの頃のコーパスになんか煮詰まっちゃったんだよ。で、西荻の焼き鳥屋でようちゃんと呑んでる時に「コーパス手伝ってくれる?」「いいよ、やるよ」って話になった。ちなみに、ようちゃんが入った時のドラムはアグネスって女の子で、大地はその後に入ったんだよね。今思い出したけど、あれはコーパスとブッチャーズが初めて対バンした時かな。俺たちがリハで弦を変えてたら、ようちゃんが「ナニ? 当日に弦を変えて使えんの?」って言ってきたんだよ。自分は前の日に変えるんだとかエラそうなこと言うわけ。でも、しばらく経ってからようちゃんも当日に弦を変えてたんだよね(笑)。
吉村と大地の脱退の真相
──またコーパスをやろうという話が漠然とあった頃、吉村さんを誘うプランはなかったんですか。
ZERO:俺はなかった。ようちゃんは「俺は途中でクビになった男だから」って言ってたみたいだけど、俺としては送り出したつもりだったのね。あの時のようちゃんは「もっと違うところへ行きたい」ってオーラが凄くあったし、要するにようちゃんは名越君みたいになりたかったんだと思う。
大地:そういうところはあったよね。バンドと並行してプロデュース業もやるみたいな。
ZERO:でも、ようちゃんは最初の頃、名越君のことをあまり認めてなかったの。当時は名越君がスタジオに来ないことがよくあったから、「ZERO、俺が言ってやるからあいつを辞めさせろよ!」ってようちゃんに言われてたんだよ(笑)。それを俺が「まぁまぁ」ってなだめてさ。で、名越君が森若(香織)ちゃんやCharaさんのギターを手がけるようになって、ようちゃんも最初は名越君のことを“ナゴナゴ”って呼んでたのが“先生”になり、挙げ句の果てには“大先生”になった(笑)。
──『kocorono』のクレジットでは“神様”でしたよね(笑)。
ZERO:そうそう(笑)。それからブッチャーズが事務所に入ることになって、「コーパスも来ないか?」ってようちゃんに誘われたんだけど、俺はなんか違うなと思って断ったの。その辺から俺の感性とはちょっとズレが出てきて…結局、ようちゃんは名古屋のライブで最後だって俺は心のなかで決めたんだよ。でも、そのライブで「今日で吉村秀樹は最後です!」とは言えなくて、厳しく追い出すことしかできなかった。その後にようちゃんに電話して「ありがとな」って伝えて、それが最後の会話だったんだよね。結果としてようちゃんにとってコーパスは、ブッチャーズではできないことをやれる息抜きの場ではあったんじゃないかな。
──当時、吉村さんの脱退は「ブッチャーズに専念してもらうため」と説明されていましたよね。
ZERO:うん、ホントにそういう理由だった。その時のライブはビデオで残ってるけど、生々しくて見られない。音がラインだから余計に生々しいんだよ。
──ZEROさん失踪前の最後のレコーディングは『特撮狂 TOKUSATZCREW』収録の「かえせ太陽を」でしたが、あれはどんな編成だったんですか。
ZERO:名越君がベースとドラム。ギターはようちゃんの後任だった木村香ちゃん。でもやっぱり、俺にとってコーパスのドラムは大地だったんだよ。
大地:おお、そう言ってくれると嬉しいね!
ZERO:多分、名越君も同じ気持ちだと思うよ。
名越:うん、そうだよ。また大地とやれて嬉しいよ。
大地:ホントに!? 嬉しいなぁ。
──大地さんが脱退したのは、ファウルに専念するためだったんですか。
大地:そうですね。コーパスと並行してポームとファウルをやっていて、練習やライブに取られる時間が多くて、バイトもろくにできなかったんですよ。それでだんだん精神的に追い込まれるようになって、これ以上掛け持ちはムリだなってことになったんです。それが98年くらいですかね。
ZERO:大地の結果的に最後のライブはドラムを一番前にしたんだよね。まだ辞めたいとは聞いてなかったんだけど、「ZERO君たちはいつも前だから、終わった後に握手とかサインができていいよね」とか大地がよく言ってたから、その日の思いつきで前に出てやってもらったの。
大地:俺は精神的にツラい時期だったから、なんでこんな時に一番前で叩かなくちゃいけないんだよ? と思ってたんだけど(笑)。そのライブの後に辞めたいってZERO君に伝えたんだよね。っていうのも、名越君きっかけで名越君とドラムが一緒に入るところを2回くらいトチっちゃって、俺はもうダメだなって凄く落ち込んだんですよ。それですぐにZERO君に話をして。
ZERO:俺は、前に出てやってもらったのがイヤだったのかな? なんて思ったんだけどね(笑)。スゲェ格好いい! って俺は思ってたのに。
大地:俺はスゲェ格好悪い! って思ってたんだよ(笑)。
ZERO:大地が辞めた2週間くらい後に、コーパス10周年のワンマンがシェルターであったんだよ。しょうがないから坂田君にドラムを頼んでさ。
大地:エッ、そうだったんだ!? それは申し訳なかった!(笑)
ZERO:大地が辞めた後に、名越君が「せっかく鍛え上げても、いなくなっちゃうんだよな…」って言ってたんだよ。それはよく覚えてる。
名越:俺はよく覚えてないけど(笑)。