先月、新宿ロフトでの2デイズ・ライヴを開催したCOALTAR OF THE DEEPERS(以下、COTD)。現メンバーによる1日目と歴代メンバーとの2日目という構成のライヴは、どちらも多くの観客から熱狂をもって迎えられた。1991年のバンド始動時から米英のアンダーグラウンド・シーンと呼応してきたCOTDの活動は、確実に日本のインディーズ・シーンの隆盛に貢献していると思うが、この2日間のライヴの熱狂ぶりを見てもそれは明らかだ。過去のEPと新録EPで構成された10枚組EP BOX SET発売を前に、COTDのNARASAKI氏とKANNO氏に登場いただいた。(interview:加藤梅造+椎名宗之)
デビューEPをいきなりラフ・トレードへ委託!
──先月のインタビューに引き続き、今月も『EP BOX SET 1991~2007』のお話を聞いてみたいと思います。
NARASAKI:そう、COTDのEP BOXが出るんだよ。知ってる?
KANNO:ああ、知ってるよ。
──どういうやりとりですか!! 一応今回の主旨としては、EP BOXの一連の作品を振り返りながら、当時の思い出や状況なんかを語っていただきたいと思います。まずは『White ep』から。
NARASAKI:この時のレコーディングは、どしゃ降りの雨の中、原チャリでスタジオに行った思い出がある。このEPはストレンジ・レコードという、GENOAというバンドが企画しているレーベルから出したんですが、スラッシュ・メタルばっかりのレーベルでしたね。
──初回プレス枚数って憶えてます?
NARASAKI:1,000枚でした。そのうちイギリスに100枚配ったんだっけな?
KANNO:ラフ・トレードに委託して置いたんだよ。
NARASAKI:そうそう! 日本より先にイギリスで売り出されたんだ。直接持っていって委託で置いてもらった。
KANNO:結構売れたよ。
NARASAKI:それって、友達が買ってくれただけじゃん(笑)。
──でもCOTDらしい話ですね。
NARASAKI:その後、友達がマンチェスターの808ステイトの人がやってるレコード屋さんにも置かしてもらいに行ったんだけど、門前払いだった(笑)。
──当時はスラッシュ・メタルのシーンと交流があったんですか。
NARASAKI:そうそう。知り合いが多かったから。
──でもCOTDはスラッシュ・メタルとはちょっと違いますよね。
NARASAKI:うーん、でもまぁノイジーなギターで哀愁がある感じで……でもぶっちゃけ、ネッズ・アトミック・ダストビン+ダイナソーJr. ÷2ですよ(笑)。そこにマイ・ブラのフレイヴァーが入って。
──でも、当時、凄く新しい音だなって思いました。
KANNO:どのバンドと対バンしてもちょっと浮いてたよね。
──日本でもまだライドが流行り始めたぐらいじゃないですか。
NARASAKI:シューゲイザーよりも、まだマンチェスター・ブームだったよね。ハッピー・マンデーズとか流行ってて。あとストーン・ローゼスも。
──それで翌年に『Queen's Park, All You Change』をリリースしますが、この時は別のレーベルですか?
NARASAKI:ええ、変わってますね。ニューキー・パイクスとかを出してた、確かスティンキーだっけ?
──ニューキー・パイクスといえばあの頃のインディーズを象徴する存在でしたよね。
NARASAKI:なんで出すことになったのかあまり憶えてないんですが。ちなみに『Queen's Park, All You Change』っていうのは、ロンドンにQueen's Parkという駅があって、その先の駅に俺らが滞在していたんだけど、いつもその駅で乗客が全員降ろされるんですよ。その時に“Queen's Park, All You Change”ってアナウンスされてた。
KANNO:懐かしいね。
──その時はライヴで渡英したんですか?
NARASAKI:プロモーションを兼ねて、スワーヴドライヴァーの前座をやらせてもらったんです。
──同じ92年にまたEP『Sinking Slowly』が出てますが、バンドの活動が活発化していたんですか?
NARASAKI:そういうわけでもないけど、その頃ビクターのオムニバス『DANCE 2 NOISE』に1曲参加して、それが意外にも評判が良かったんです。
KANNO:ビクターのディレクターが、スワーヴドライヴァーの前座も観てたらしくて、結構気に入ってくれた。それでシングル出そうかって話になって。
NARASAKI:この頃まではあんまり苦労しなかった。戦略がうまくいったのかな(笑)。
──ある意味、海外からの逆輸入ですよね。
NARASAKI:その頃はとにかく海外志向だったから。まぁ自分達が聴くのが洋楽ばっかりだったからだけど。
──日本のアンダーグラウンド・バンドが向こうのシーンと繋がって海外でライヴをやっちゃうっていうのは、当時としては画期的ですよね。
KANNO:今じゃ当たり前になったけど。
NARASAKI:ネットの普及が大きいよね。俺がなんでそれをやろうと思ったかというと、友達のシークレット・ゴールドフィッシュというバンドがイギリスに行って、フランク・チキンズの人にCDを渡したら結構気に入られて、それで4ADから出してもらったっていう話を本人達から聞いたんです。それで俺らもやろうと。
KANNO:今考えると結構無謀なことしてたよね。アポなしでクリエイション・レコーズの社長に会いに行ったり。
NARASAKI:アラン・マッギーね。でも行ったら「アポ入ってますか?」って言われて、「ない」って言ったら追い出された(笑)。
COTDの大前提は、俺が歌で、KANNOがドラム
──94年の『Guilty Forest』はアナログでのリリースですね。
NARASAKI:ここからはZKレコードからのリリースです。この頃はバブルが崩壊してメジャーのレコード会社もだんだん渋くなってきた。
──この頃のZKは斬新な作品をたくさんリリースしていて、1つの大きなシーンになってましたね。
NARASAKI:ZKにはいいバンドがたくさんいたよね。レンチとかカウパァズとか。
──これ以降、『CAT ep』に始まって『DOG ep』『ROBOT ep』『MOUSE ep』と一連の動物(+ロボット)シリーズが続いていきますが、ここからはセルフ・プロデュースでリリースしていく形態ですね。
NARASAKI:俺としては、作品をリリースすることが一番重要で、メジャーとかインディーズとかはあまり関係ないよね。
──COTDのようなタイプのバンドがメジャーから出してたってことが、そもそもあり得ないことだと思います。
NARASAKI:やっぱり思うのは、俺みたいな邦楽に詳しくない人間が、日本で売れるように日本流のやり方をしてもダメだと思うんです。ひどいことになるし、今まで聴いてくれてる人を裏切ることにもなると思うし。COTDを聴いてくれる人は、俺のひねくれた部分を気に入ってくれてると思うし、だからまっとうなことをやってもしょうがない。何か一つのジャンルの音楽が流行ってるとしたら、なるべくそれに近づかないようにやってきたし、まぁそれで何もいいことはないんだけど。でも、今はロックのジャンルもなくなっちゃったけどね。
──新しいジャンルが生まれなくなった?
NARASAKI:でも俺はこれからも新しい音楽を追求していきたいと思ってます。まぁそういう世代ですね。常に新しい音を追求したいという。今は新しいとか古いとかあんまり意識しない人も多くて、例えば70年代の音楽が好きな人は、その頃のジャンルの音でやるのが普通なのかもしれないけど、俺はやっぱりジャンルとしての新しさを求めて作っていきたい。新しいジャンルが好きなんですね。ハードコアがどんどん速くなってグラインド・コアになるみたいな。
──映画の『三丁目の夕日』を若い人が見て感動しているという状況が音楽にも当てはまるのかなと思います。昔は良かったみたいな。
NARASAKI:結局、そういうのはビートルズ聴いてりゃ事足りるんじゃないかって気もするけどね。
──まぁ、こうしてCOTDを簡単に振り返ってきましたが、やっぱり思うのは、COTDってNARASAKIさんとKANNOさんの関係がキモですよね。
NARASAKI:やっぱりお互いの性格をわかってるとあんまり近寄らない方がいいというね。
KANNO:長年連れ添ってる夫婦ってあんまり喋らないじゃないですか。そんなもんですよ。
NARASAKI:でも、COTDの大前提は、俺が歌で、KANNOがドラムっていうのがあると思う。それは崩したくないな。だからKANNOのドラムじゃなかったらCOTDである必要はないし、KANNOが辞めたらCOTDもなくなるでしょうね。俺もそろそろ隠居したいし(笑)。
KANNO:じゃあCOTDは今年で解散します(笑)。
──ということで、常に観客の期待を裏切るCOTDらしい締め方でした。