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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】増子直純(怒髪天)×吉村秀樹(bloodthirsty butchers)×谷口 健(BEYONDS)(2007年10月号)- 祝・ルーフトップ&新宿ロフト31周年記念イヴェント開催!人気コラム連載陣"BIG 3"がルーフトップにモノ申す!!

祝・ルーフトップ&新宿ロフト31周年記念イヴェント開催!人気コラム連載陣“BIG 3”がルーフトップにモノ申す!!

2007.10.01

活字とインターネットの原稿の違い

──上京前にも、ブッチャーズと怒髪天は東京でライヴをやっていたんですよね。

増子:ちょこちょこ来てたからね。俺達が初めてロフトに出たのは“札幌ナイトの逆襲”(1990年5月11日)だね。客としてロフトに行ったのは上京してからで、確かブッチャーズのレコ発だったかな。ブッチャーズとイースタンは『STRAIGHT AHEAD II』に参加して、俺達よりも先にロフトでやってたじゃない? で、宝島から出てた『ロック名鑑』にブッチャーズとイースタンが東京で高い評価を得ているって書いてあるのを見て、凄く嬉しかったのを覚えてる。自分がイイと思うバンドは東京の人もイイと感じるんだなって思ったよ。

──過去のルーフトップを見ると、ブッチャーズのロフト初登場は1988年4月17日の“スマイル・パーティ ~東西南北酸欠ギグ~”ですね。ガーリック・ボーイズやニューロティカなどと共演しています。

吉村:そう、その頃だね。同郷で、先に東京に来てたネェちゃん(音楽ライターの中込智子)に呼ばれたんだよ。

谷口:僕が谷口君と出会ったのはロフトの前で、ヨーちゃんに紹介してもらったんですよ。ヨーちゃんがちゃんと上京してきてすぐの頃で、それは劇的に覚えてますね。

増子:俺は谷口に「ビヨンズっていう凄く良いバンドがいるんですよ」って健ちゃんを紹介してもらったんだよ。それは三軒茶屋のヘヴンズ・ドアだったね。

吉村:あの時代はヘヴンズか20000Vしかなかったもんね。

谷口:うん。シェルターとは、どういうわけか縁がなかったんですよね。

増子:シェルターが出来た頃のことは覚えてるよ。最初は“やっぱりロフトだよな”なんて思ってたけど、今やこんなに独自の歩みをするとはね。全国レヴェルで見てもシェルターは凄く重要なライヴハウスだし、あそこをホームにして出てきたバンドは問答無用に格好イイ。あと、何たってシェルターはヨーちゃんの住み処だからさ(笑)。

谷口:ファウルの時はシェルターに凄くお世話になりましたけどね。イースタンユースが“極東最前線”をシェルターで定期的にやっていて、そろそろ暖簾分けしようということで“砂上の楼閣”を始めたんです。

──『砂の上のダンス』と『裏のスジの突き当り』が始まったのは、この2002年3月号からなんですよ(と、冊子を見せる)。

増子:うわッ、まだこんなに薄かったんだね! 紙質も全然違うじゃん。健ちゃんとブッチャーズのコラムを最初に読んだ時、イイ連載が始まったなと思ったよ。こりゃ完全に趣味のページだなって(笑)。これを見た時に、誰が作ってるかすぐに判ったもん(笑)。でも、このページだけは終わらせちゃいけないと思うよ。

吉村:ルーフトップで最初に取材したのは誰なの?

──増子さんとあぶらだこの長谷川裕倫さんの対談ですね(2002年2月号)。吉祥寺のルノアールでインタビューをやったんです。健さんとブッチャーズのコラムはもう5年半、それぞれ67回を数えるんですよね。ロフト席亭・平野 悠の『おじさんの眼』、カタルさん(ニューロティカ)の『今夜はトゥナイト』に継ぐ長寿連載なんです。

増子:カタルはあの凄まじい文字数の原稿を手書きで送って来るんでしょ? 打ち込むほうも大変だよね(笑)。

吉村:へェ。まァ、手書きも今や貴重だよね。

──健さんからは未だにワープロで打った原稿をFAXで頂いてますけどね。

谷口:メールに添付して送れないんですよ。鴎外っていうワープロを未だに愛用しているんです。

──“砂上の楼閣”の打ち上げの席で健さんに初めて原稿を依頼した時、「ルーフトップは全体的に誤植が多いから、原稿は椎名さんが責任を持って打ち込みして欲しい」と言われたのを覚えてますよ(笑)。

谷口:随分と偉そうなことを言ったんですね(笑)。全然覚えてませんよ。

増子:ブッチャーズのコラムは射守矢の回が特に面白いよね。あれは本にして欲しいくらいだよ。

吉村:そう、ルーフトップは自分達のコーナーをまず見て、射守矢が書いてると結構嬉しいんだよ(笑)。俺は酔っぱらって調子に乗って書くと文字数が多くなるんだよね。思い当たることはたくさんあるから、書こうと思えば幾らでも書けるよ。ただ、インターネットが普及してからは余りヘンなことを書けないようになったよね。一時期、意識的に句読点や“てにをは”を間違えたり、わざとメチャクチャな文章をネット上で書いてたんだけど、いろんな誤解や擦れ違いが生じるから書くのをやめたんだよ。こう見えて、そういうのは今でも意識して原稿を書いてるからね。

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フリーペーパーは内輪ノリで終わるな!

──でも、ネット上に載る文章と誌面に掲載されるそれとは、執筆の向き合い方が随分と変わってくるんじゃないですか。

増子:そうだね。紙に載る活字は検索に引っ掛からないからね。

吉村:あと、文字を読む集中度が全然違うよ。

増子:前に椎名君が「『ズミ眼』はネットに載せたくなかった、できれば冊子で読んで欲しい」って言ってたじゃない? 俺はその気持ちが凄くよく判るよ。紙のほうがじっくり読み込む楽しさがあるし、掲載を誌面限定にすることで雑誌の需要が高まって、発行部数も拡大していけるだろうからね。でも、そこを時代と譲歩してネットでも読めるようにしてるのはちゃんと目配せができてるんじゃないかな。

──有難う御座います。そんな『ZOOMYの眼』も早3年、気が付けば40回ですからね。

増子:もうそんなに経つんだねェ。ぼちぼち一冊の本にしてもらわないとね。俺はルーフトップが数あるフリーペーパーの中で一番好きだから『ズミ眼』をやってるんだよ。今ルーフトップ以外で連載をやってるのは、なぜか『web 女性自身』(『怒髪天・増子直純の男子たるもの!!』)だけだからね(笑)。もうさ、この3組のコラムをまとめて本にしようよ! それでプラスワンで合同サイン会をやろうよ!(笑)

──イイですねェ。一冊の本になるだけの原稿は溜まってきましたからね。ところで、ルーフトップに限らず音楽系フリーペーパーは普段からよくご覧になりますか。

吉村:ライヴハウスに行ったらやっぱり読むよ。ルーフトップもそんな感じだね。

谷口:僕も、ルーフトップはライヴハウスでよく拝見してますね。

増子:ルーフトップもそうだけど、これからのフリーペーパーに大事なのは内輪ノリにならないことだね。誰が初めて読んでも面白いものでないといけない。ライヴハウスで配布されてるフリーペーパーは、とかく内輪ノリに終始してるものが多いからね。コラムでも、“オマエ、誰やねん?”っちゅうようなヤツの先週起こった話を読んでも面白くも何ともないからさ。

吉村:それは、小松(正宏、ブッチャーズ)の書く文章のことを言ってるのか?(笑)

増子:違うよ!(笑) あとさ、俺は健ちゃんの書く文章が好きなんだよ。やっぱり凄く巧いよね。この間のテッキンにミカンをもらった話なんて、山田洋次の映画を1本観たようなイイ気分に浸れたよ(笑)。俺は家のトイレにルーフトップを置いてあって、用を足しながらいつも隅々まで読んでるんだよね。4店舗のスケジュールも隅々まで読んでるから。

──増子さんは、プラスワン方面のサブカルチャーにも造詣が深いですからね。

増子:『ジュリエットやまだの“あ・き・す・と・ぜ・ね・こ”』までちゃんと読んでるからね(笑)。言ったら、『深入りコーヒー三杯目!!』も遡って読んでるから。もう何杯目なんだ!? っちゅうさ(笑)。

──有り難い限りですね(笑)。とにかくこのお三方の見開き連載に関しては、誌面刷新を重ねる中で何としてもカラーにするのが僕の中でひとつの野望だったんですよ。

吉村:それは素直に嬉しいことだよね。

谷口:確かに、連載を始めた頃に比べたらカラーも増えて、凄く豪華になりましたよね。

増子:欲を言えば、中綴じの部分に折り畳めるグラビアを付けて欲しいよね。グラビアには程遠いバンドマンを毎回ピンナップ扱いにしてさ(笑)。最初は是非、小松にやって欲しいけど(笑)。イイと思うんだけどなァ…。

──善処します(笑)。これまでルーフトップに掲載されたインタビュー記事で、特に印象に残っているものはありますか。

増子:ブッチャーズもビヨンズも、それぞれがアルバムを出した時のインタビューは必ずチェックするよ。

谷口:バンドのインタビューに混じって、鈴木邦男さんのような政治活動家の記事が載るのが凄いですよね。

吉村:俺はね、おまえ(増子)が岡本太郎さんの養女・敏子さんと対談した記事(2002年6月号)は羨ましいと思ったよ。

増子:ああ、敏子さんにはあの時お会いできて本当に良かったよ[編註:敏子さんは2005年4月20日に逝去]。個人的にも凄く感慨深い対談だったからね。

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