1994年6月のバンド結成から今年目出度く10年を迎え、来たる4月4日に下北沢SHELTERで行われるワンマン・ショウで自主企画ライヴ"砂上の楼閣"が晴れて30回目を数える我らがfOUL。ヒットでもなければホームランでもない、あくまで"ファウル"として足元のおぼつかない出発から始まったバンドの"輝ける10年"とは? 音楽ライターの傍ら現在は楽器面 のケアでバンドを支える川上啓之、マネージャーの長森 洋(坂本商店代表)の両氏を交え、長くて短い10年の道程を回顧する座談会と相成った。(interview:椎名宗之)
始まりは“足元のおぼつかない出発”だった
——まずは結成10年を迎えての率直な感想から聞かせて下さい。
谷口健(g, vo):充実していたディケイド、10年でしたね。20代の後半から現在に至るまで、自分の年齢的にも大事な時期にこうしてひとつのことに打ち込めてこれたのは幸せなことだと思いますし。単純に自分でも自負していいことなのかなって気はします。
大地大介(ds):振り返れば確かにあっという間だったけど、こういう資料(取材用に用意した“砂上の楼閣”30回全リスト)を見ると、ちゃんと歩いてきたんだなぁって思いますよね。
平松学(b):終わることなくずーっと突っ走ってきたっていうか。試行錯誤を繰り返しつつも、「休もうよ」っていうのは一回もなかったし。まぁ、周りにはGOD'S GUTSとかもっと長くやってるバンドはいるけど、自分がやってることで10年っていうのは他にないし。
——fOULの場合、活動のペースが無理なく一歩一歩を積み重ねて今日まで辿り着いたという印象がありますね。
大地:バンドの出だしが、谷口が就職してまでの時期と重なってて、そのペースが自分達のなかで定着したんですよ。彼が仕事を辞めてからは、ライヴを増やすよりは練習が増えたり曲を増やしたりして。ライヴ自体は割と踏みしめながらやってきた感じなんです。
谷口:この“砂上の楼閣”が始まるまでは(eastern youthの)“極東最前線”に出させてもらってて、それがいい経験になったんですよね。そこからのれん分けする形で“砂上”を始めて。だから自分達でやる企画ライヴの面白さを教えてもらったのは“極東”だし、そこで足固めができたんですよ。(資料を見ながら)この、第1回目のフライヤーにある「足元のおぼつかない出発から、太陽の光に浸かる黄泉の国のヴィジョンへ」っていう言葉が思い出深いですね。始まりは文字通り“足元のおぼつかない出発”だったんです。敢えてこういう表現にして始まったという…。やっぱり、坂本商店を始めeastern youthのメンバーには感謝してますね。
——初回の“砂上”のことは覚えてますか?
谷口:出演して下さったバンドの印象は全部覚えてるんですけど、“砂上”より前に自分達のやってたライヴの風景が僕は全然思い出せないんですよ。それが見たくてしょうがない。20000Vでやってた頃とかね。
大地:そういうのが“足元のおぼつかない出発”の一言に表れてますよね(笑)。
——今やfOULのライヴには欠かせないスタッフの川上さんですが、BEYONDSが解散して一頭最初のfOULのライヴを観て愕然としたと仰ってましたよね(笑)。
川上啓之:そうですね(笑)。そこから戻ってくるまでに1~2年かかりましたし。『Dostoevsky Groove』の曲が揃うくらいの頃までは離れていたのかな。
——それがいつしか“砂上”のフライヤーに登場するまでになり(笑)。
大地:あったあった、KIRIHITOとstruggle for prideの時(笑)。
谷口:僕が持ってるギターと学が持ってるベース、どちらも川上さんが偶然持ってたんです。
川上:『Dostoevsky Groove』発売記念の“極東”(極東最前線15~感受性、応答せよ!~/1997年10月25日@下北沢SHELTER)の時からはもう常連客でしたね。楽器を手伝いだしたのは割と最近の話で。
大地:『ブックシェルフ1F』レコ発のワンマンの時って、普通にお客さんでしたっけ?
川上:うん。
——さっき西村(仁志/SHELTER店長)に「一番思い出深い“砂上”はどの回?」って訊いたら、その最初のワンマンの時だって言ってましたよ。理由は「大泣きしたから」って。
大地:言ってたなぁ、それ(笑)。