正しいことなんて誰にもわからない時代に生きていると、どうしても何か権威にすがりたがる。それは学問の世界だけにとどまらない。アートだって同じだ。関係者には申し訳ないが、由緒正しい芸術をありがたがる気持ちがわからない。ミイラに思えるからだ。だってアートって、たいがいその時代には物笑いの種だった。「あんなくだらないもの」と虐げられてきたものが、時間が経ってミイラになるとありがたがられる。もう毒がなくなって、体制批判もなければ風刺も利いてないのに。
アートのメディア性を無視したくない。たとえばフィリピンでの運動は音楽と共に始まり、マレーシアでは劇から始まったりする。ぼくはこの意味で日本で最もメディア性を持っているのは「マンガ」ではないかと思う。人の心の琴線に触れながら、ぎりぎりの抽象化を行うことで普遍性を持とうとする。
そう考えたときに、アートの分野は無限の広がりがあっていいはずだ。「絵画、音楽、映画、小説…」ジャンルに分かれていること自体が奇妙に思える。もっともっと表現の仕方は自由でいいのに、ジャンルにとらわれること自体が権威主義ではないか。
よく人が「私は〇〇になりたい」という。それは職業だったり分野の名前だったりする。これも奇妙ではないか。職業になりたいなんて、自分で閉じ込めている檻のようだ。「机になりたい」「椅子になりたい」というのと同じくらい奇妙に聞こえる。ぼくは長年の間、自分になりたいものがなかった。なんでぼくにはなりたいものがないのか不思議だった。というよりコンプレックスだったかもしれない。だけど気づいたんだ。「ぼくは机になりたい」と言うほうが奇妙だったんだ。ぼくがなりたかったのは、ぼくの考える最高の自分だったんだ。机や椅子じゃなくて。
それじゃなんで、そう考える人が少ないんだろうか。自分が希望する自分自身になることが、一番の理想であるはずなのに。きっと「権威」が邪魔してるんじゃないかな。権威なんて邪魔なヤツは蹴飛ばしてやりたい。ぼくはぼくになりたいんだ。