あきらめちゃったら終わりだよな。反骨精神なんてもんじゃない。自分が生きていくのにちょうどいい社会にしたいだけだ。ぬるすぎる風呂水にお湯を足すようなもんだ。だけど社会は強固で、「原発なんかいらねぇ」と言ってみたって変わるわけじゃない。だったらもっと作戦練ろうぜ。いやでも変わるぐらいの作戦を。
ぼくの講演会を聞いてくれた人たちの多くは、別な社会のあり方に気づく。「可能性にあること」に気づいたら、今すぐにだって動きたくなる。だけど社会をすぐに変えられるわけじゃない。特効薬はないよ、あったらとっくに変えてるさ。でもそのとき、後ろを振り返ってほしいんだ。見渡す限り「可能性に気づいていない人たち」の群れだ。だから、「社会は変えられる」って伝えてほしいんだ。そこからしか始まらないから。
必要なのは階段だと思う。インターネットやツイッターにつながれる人たちの情報量と、テレビや新聞でしか情報が得られない人たちのギャップって大きいだろ。そこに紙ベースでの情報やDVDに焼いた情報を届けて、情報格差をよじ登る階段を作ってほしいんだ。それともうひとつ、音楽には興味があっても原発に興味のない人たちだっている。だから音楽と一緒に情報を届けることでウイングを広げることだってできるはずだ。斉藤和義さんが「ずっとウソだったんだね」を歌ったみたいにね。
先日「ap bank fes '11」に参加した。フジロックフェスにも参加してトークした。でも多くのミュージシャンが震災と原発事故の深刻さに、音楽をしていていいのだろうかと思い悩んでいた。だけどできることがある。というよりミュージシャンにしかできないことがある。小林武史さんは震災と同時に、被災者支援の活動を精力的に開始した。彼は言う。「ap bankを作っていてよかった」と。自分にできること、自分にしかできないことをすることが生きる証になると思うんだ。
ぼくは社会を仕組みから変える提案を続けるよ。それがぼくにできることだと思うから。だって生きるに値する社会になってないだろ? 今は。