先日、まだ電気すら届いていないラオスの先住民の村に行ってきた。そこに国連と他国の援助団体がトイレの設置を勧めていたそうだ。いわく衛生的でないからトイレが必要だそうで、地域の人たちが協力的でないと知ると、「皆さんが排泄する大だけで年間何トンになります、衛生的に暮らすためにトイレを作りましょう」と言って設置したそうだ。もちろんぼくもそのトイレの世話になった。夜、真っ暗な中トイレに行くと、中からヤギが飛び出してきて驚かされたが。
でも二日目に気づいた。トイレを使っているのはぼくら外から来ている人間だけだったのだ。彼らは「排泄」そのものをタブーにしているようなのだ。トイレに入れば当然その人は排泄していることになる。それを知らせてはいけないから彼らは森に隠れて用を足す。ラオ人の言葉では「ウサギを打つ」と言うから、ぼくらは小用のたびに「ラビットシューティングだ」と言い、行為そのものを「ラビットファイアー」と呼んでいた。もちろん現地の人はそんな言い方はしないが。
村の周囲は糞だらけになっていそうなものだが、実際には全くきれいだ。理由は簡単だった。気配を察知したブタたちがついていくのだ。ブタがきれいにしてくれるおかげで、森はきれいなままなのだ。それなら援助機関のトイレは必要ないではないか。実際トイレは使われないためにボロボロになり、期待に反して流れていかなかった。「どこが衛生的なもんか」と突っ込みを入れたくなる。援助は現地の人たちのためにある。現地の人たちの合理的な暮らしを理解せず、勝手な先進国の思い込みでしてはいかんと思う。
その点、案内してくれたJVC(日本国際ボランティアセンター)の援助は徹底して彼らの暮らしを考えていた。驚いたことにスタッフの一人を除く全員が日本人ではないのだ。最終的にプロジェクトは現地化する。現地の人々のものになる。人々のための支援、そのために人々を知ることから始めているのだ。その援助を見て、ふとうれしくなった。