宮古島のサーウエストというレンタカー会社を経営する通称クラゲちゃんと呼んでいる小宮英孝という男は自分にとって非常に重要なかけがいのない存在なのである。
そう、あのスージー・クアトロとのツアーを共に戦いぬいたパンタ&セカンドのギターのクラゲちゃんこと小宮英孝なのである。
そのクラゲちゃんがサーウエストを経営していることを知り、よし、ここはみんなで軽くツアーをしながら宮古島へ乗り込み向こうのライブハウスで盛り上がろうと、ラジオ関東とソ連大使館に挟まれたアメリカンクラブでおおいに気勢をあげたものだったのだが、残念ながらその思いを果たせぬまま、昨年ミッキーこと小笠原光隆くんが他界し、ジョージ吾妻・ヒロミ夫妻の主宰で毎年8月14日におこなわれていたメモリアルライブも今年で最期となってしまった。
話を自分に戻し、15歳のとき、バイクの冤罪事件で学校を退学となり、それ以来、バイクというものに触れられなくなり、もっぱら車ばかり転がしていた。そしてセカンドと知り合い、スージーのツアーリハーサルをドラムのジョージ邸宅でやっていた折り、いつもクラゲちゃんはHONDAのCB250に乗って意気揚々と現れていたのである。
それは何気ない日常の一風景だったのだが、ある日、あれっ、そうだ、オレもバイクに乗りたかったんよだね、と気づいてからはクラゲちゃんと深く語りあった。
釣りとバイクとフェンダージャガーを愛する大好きなクラゲちゃん。結局、ハーレーのスポーツスターと一緒に宮古島に移住してしまい、自分がそのCB250を譲り受け、カワサキTR250バイソンを経て、スコルピオに至るまで、自分のバイク熱を思い出させてくれたクラゲちゃんはかけがいのない大事な大事な小宮くんなのであった。
【編註】本稿は、PANTAさんの絶筆です。PANTAさんが連載をしていた『杉作J太郎のネット配信マガジン「現代芸術マガジン」』(琴心剣胆)、『Rooftop』(青春無頼帖)、『PANTA note』に同時掲載されています。PANTAさん、長きにわたる本コラム『青春無頼帖』の連載執筆、また、ライブハウス「LOFT」黎明期からのグループ店舗へのご出演、本当に、本当に、どうもありがとうございました。あらためましてPANTAさんのご冥福を心よりお祈りいたします。(Rooftop編集部、LOFT PROJECTスタッフ一同)