東中野にあったフォンべトというベトナム料理店をアポによく使わせてもらった。南ベトナム難民一号として有名になってしまったディエップさんの経営する店だったが、辻本清美らが応援していたこともあって、ことあるごとに使わせててもらっていた。
そして数年を経て、自分がタンソニエット空港(サイゴン~ホーチミン)から乗り換えてハノイ行きの飛行機に乗っているのが信じられないような日がやってきたのだった。いまは亡くなってしまったが、ジャーナリストの今拓海も同行し、制服向上委員会も引き連れて平和使節として枯葉剤の後遺症に苦しむ子どもたちを支援するという目的で出かけてきたのである。
シートの上のカーゴにはディエップさんから預けられた、二抱えくらいある荷物が置かれていた。まずホーチミン空港から空港ロビーを出た某所で合流した、いかにも元南ベトナム軍兵士というような若者と歩き出し、ついていくと、バイクに埋まる大きい交差点を横断し、古びたビルの路地を抜け、まるで迷路のようなホーチミン市内のビルの隙間を歩かされた。こんな風景はどこかで見たことあるな、そうだ、香港の九龍城の脇を抜けていくときだ。これはやばいぞ、気をつけて早く脱出せねばと焦った記憶がまた頭を横切っていった。
そしてそこの角を曲がったところがそうだと指さされ、通じもしない英語とフランス語で呼びかけると、中年のオバサンと若者が飛び出してきた。満面の笑みを浮かべ、その荷物を大事そうに抱え、何度も礼を言われたのだ。お茶も出されずに帰されてしまったが、かえって申し訳ないくらいにありがたく思われたのも、橋本治いわく、「小さな親切、大きなお世話」だったのかもしれない。
入国審査のとき、中身が普通の野菜のようなものだったので安心してはいたのだが……まさかAKとか爆発物関係だとは思ってはいなかったが。