頭脳警察をつくった1969年を前後して、霞町のZK事務所には、バルバラの「黒い鷲」が鳴り響き、来客の耳には「ジュテーム」がBGMとなり、およそロックバンドの事務所とは思えないフレンチテイストな曲がヘヴィーローテーションで流れていたのもいかにもな昔話である。
お忍びで来日していたセルジュ・ゲンスブールと、生誕前のシャルロットに腹を大きくしていたジェーン・バーキンと赤坂MUGENで会ったのもその頃だったと記憶しているが、キャンディーズ・ジュニア、後にトライアングルと名を変えたグループの小森みちこをプロデュースした折、「薔薇のDiary」という曲で、「ジュテーム」を気取ったことも懐かしい思い出だ。
スタジオにベッドを持ち込んで録音したなどといろんな噂のとんだ「ジュテーム」だが、こちらの小森みちこのケースも、吸うときに震わせてとか細かい注文をつけ、ため息のところにやたら力を入れたボーカルトレーニング。それを経て、いざ唄入れの本番のとき、インターフォンのスイッチを押さず、ガサガサ音が入るから上着をもっと脱いでしまおうかとこれ見よがしに言うと、隣のマネージャーが焦って、それはちょっとと慌てるさまが可笑しくて、スイッチは押してませんよ、冗談ですよとからかって大笑いしたことを思い出す。
話は逸れてしまったが、大影響を受けているにもかかわらず、自分の居場所がロックバンドというところに住んでいるため、大御所たちが朗々と歌い上げるいわゆるシャンソンな世界とは無縁なものであった。そしてここに至って前述させてもらったとおり、世代も代わり、ROLLYやおおくぼけいがイニシアチヴをとるようになり、自分も頭脳警察50周年を経て、ソロとの差別化や区分けはもう必要ないのではないかとライブでも好きなことをやれば良いという空気感に支配され始め、この『新春シャンソンショウ』に声を掛けられたからには、お誘いを待ってましたとばかり受けさせてもらっての出演と相成った次第なのです。
唄う楽曲に関してもいろいろ書きたいことが多々ありすぎるので、これは後に書き足すことにしたいと思っているので、まずは『新春シャンソンショウ』を楽しんでもらえたら幸いです。