ジェーン・フォンダ~バーバレラの項で久しぶりに出てきたデュラン・デュラン。その名をとったイギリスのデビューしたばかりのロックバンド、デュラン・デュランと対談の席が設けられた。
“ニューロマンティックス”と名付けられた潮流のなか登場してきた新進気鋭のロックバンド。1982年のことだったと思うが、その3年後の1985年に、『007 / 美しき獲物たち』のテーマソング「A View to a Kill」を出すことになるのだが、いまだに『007』シリーズの中でのランキングが1位だといわれている。が、他にもっといい曲が揃いまくっているので、自分には決して納得できるものではない。
さて、そのデュラン・デュランが来日したとき、折りしもイギリスとアルゼンチンがフォークランド諸島の領有を争う紛争の真っ最中であって、これはちょっとちょっかい出してやろうとタバコの火をくゆらせて出かけたものだった。
先の世界大戦でアルゼンチンは中立国として、ドイツ海軍グラーフ・シュペーが逃げ込み、イギリス海軍に包囲され、結果、自沈という最後を迎えてしまったラプラタ川沖海戦も知られた話だ。1982年3月、フォークランド諸島の領有権をめぐり、当時の軍事政権によるアルゼンチンの侵攻により、イギリスとの間で3カ月に及ぶ戦争状態となったフォークランド紛争。フランス製のエグゾセミサイルを積んだシュペルエタンダール機にイギリス駆逐艦シェフィールドが撃沈されるなど、それは各国の新兵器の試験場となった場でもあった。
はてさてデュラン・デュランと挨拶をかわし、テーブルに着き、軽く昨今の音楽話などをこなしながら、さりげなくこの紛争についての質問を投げかけてみた。
「いまここで言うことではないかもしれないが、避けても通れない話なので、軽く聞いておこうと思うのだが、いま南大西洋上で起きているフォークランド紛争に関して、あそこは英国のものじゃないだろ? 自分はそう思うが、キミたちはどんなふうに思っているんだい?」と投げかけたところ、どのメンバーだったか忘れたが、間髪を入れず、「あれは大英帝国のものだ。アルゼンチンのものじゃない」と力を込めた返事が返されてきた。
驚いた、仮にもロックバンドとあろうものが、国の領有権を主張するとは。愛と平和の時代の洗礼を受け、反戦ロックミュージカル『ヘアー』に感動し、ジョン・レノンを聴き育ってきた頭には俄かに信じられないような返しにちょっと固まってしまったのも確かだ。デュラン・デュランがワーキングクラスなのかどうか知らないが、あれほど身分制度のなかに押し込まれ、それでも大英帝国への愛国心をあからさまに主張する若い彼らに驚きを隠せなかった。
いまさら大航海時代、そして植民地覇権主義の話をここで彼らと言い合う気はさらさらないが、それから数十年後のある日、さる大学の教授とこのフォークランド紛争についての考察をやり合っていたことがあった。
もちろんそこではアルゼンチンのクーデター、イギリスの植民地覇権主義の話は外せず、それは熱く語り合っていたとき、そばにいたフェリスの教授から、「お二人の話に水を差すようで申し訳ないのですが、そのフォークランド諸島にはもともとインディオたちが住んでおり、イギリス、アルゼンチンといった大国の論理で話を片付けないでいただきたい」という。静かながらも強い注意を受け、その後、二の句も告げられなくなってしまったというおまけが付くのであるが。