『新春シャンソンショウ2023』に出させてもらうことになった。
かつてのベテランたちから世代も変わり、それを継ぐシャンソンを愛する者たちがその精神を繋いで頑張り楽しんでいる日本のシャンソン界。早口言葉にかけたこの『新春シャンソンショウ』も、フランス革命記念日にかけた7月14日のパリ祭に次いでもう欠かせないものとなり、そんな新年のイベントに出させてもらうのも恐悦至極に存ずるといったところであろうか。
“シャンソン”、そう日本語にすれば、“歌”ということで、日本なら“歌謡曲”ということになるのであろうか。イタリアなら“カンツォーネ”、英語なら“ソング”となるフランスの歌を指す言葉である。
そんなシャンソンとの出会いは自分が15歳のころであった。シャンソンなどという言葉とは趣を異にするフレンチポップスというべきであろうが、アメリカンポップス、そしてビートルズの出現と合わせて欧米のポップスで埋まる日本のヒットチャートに衝撃的に流れてきた「夢見るシャンソン人形」(Poupée de cire, poupée de son)。いま思い返しても、その後の自分の音楽人生を変えてしまうくらいの出会いだったと言えよう。
1965年、15歳でフランス・ギャルを知り、それ以来、生涯のファンとして生きてきたが、2018年1月7日に死去、享年70歳であった。1947年生まれであるから、1950年生まれの自分より3つ年上、なので15歳の自分が出会ったときには18歳のフランス・ギャルだったということだ。
自分がよく例に出すことだが、人が感動と出会うのは、平均18.8歳と言われる。それは本であり、映画であり、人であり、何らかの形で人は感動と出会い、その価値観で人は一生を生きていくということらしいのだ。なので若人には早く自分の感動を見つけられたらいいねと言わせてもらっている。
そして、そういうフランス・ギャルと出会ったことでアメリカンな文化とは味わいを異にするフレンチポップス、そしてトラッドなシャンソンを知り、ビートルズの登場とともに欧州への関心も高まり、ヌーヴェルヴァーグの時代も相まって、それはそれは多感な十代後半の自分に怒涛のようにあらゆるものがなだれ込んできたのだった。