スージー・クアトロとの笑えるツアー話などをしてきたついでに、日本に来たアーティストとの話も二、三紹介していけたらと思う。
時は70年代初期、ベトナム戦争が世界で反戦運動の根幹になっていた時代。日本でもべ平連などが、横田基地で離着陸する戦闘機爆撃機の数などを全部チェックしていたドライヴインなどがあり、緊張感あるなか、どこかノホホンとした空気が流れていたのも確か。さる一番の過激派が、基地に潜入しようとして、フェンスに穴をあけたのだが、角だけ切ればいいのに、漫画のように人型に穴をあけてしまう始末。
とにかくそんな話を置いておいて、アメリカから、バーバラ・デインさんという反戦歌手(?)がやってきて紹介され、ベトナム語の歌集などもいただき、その後、しばしお付き合いしながらいくつか在日米軍基地を廻ったことがある。
アコースティック・ギターを抱え、徹底して反戦ソングを唄う彼女に熱意を感じながらもどこかダサさを感じてしまうのは致し方ないところだった。しかし、それでも周りのスタッフたちは、脱走米兵らを支援したりけっこう過激な政治運動に徹していて、集まった支援者、聴衆のなかには当然、諜報部員も混ざっていただろうと想像がつく。
そして歌集で教わったベトナムの唄は、自分がのちに北ベトナムはハノイに行った折に唄うのにおおいに役に立ったのは事実だ。もっと言えば、ベトナム人に自分のベトナム語の唄はまったく通じなかったと言っておこう。
そして歌集で教わったベトナムの唄は、自分がのちに北ベトナムはハノイに行った折に唄うのにおおいに役に立ったのは事実だ。もっと言えば、ベトナム人に自分のベトナム語の唄はまったく通じなかったと言っておこう。
そんなバーバラ・デインさんのことは会うまでまったく知らなかったのだが、今になってみれば、アメリカ本国でもすごいジャズシンガーだったんじゃないですか。無知で申し訳なかったです。日本からヨーロッパまで反戦活動を続けながら、歌手としての生き様を貫き通す、あらためてバーバラ・デインさんの熱い思いに頭の下がる思い。
そして彼女のその志をわずかでも受け継ぎながら、バーバラ・デインさんとの出会いに深く感謝している今日この頃だった。