学生運動もほとんど終息した頃、最後まで息を荒らして元気だった市ヶ谷はホウケイ大学(当時の我的通称、褒め言葉ではないが…)ならぬ法政大学の学館ホールでの例年のコンサート。
トリの自分たちのステージでアンコールの終わりを見計らったかのように一斉に停電。後に知ることとなるが、電源室に仕掛けられた爆弾が炸裂したらしいということだった。
校外の御堀端では常駐していた機動隊の車両が待ってましたとばかり校内に突入、結構な人数の濃紺のヘルメットがなだれ込んできた。それは手際よく校舎前の広場にロープを張り、校内の全員を一時拘束。どうにも動きが取れなくなってしまったのだが、自分たちは次の用事があったのか、この状況が気に入らなかったのか、一緒にいた三文役者の連中を身代わりに置いていくからと、さっさとおさらばしてしまったのだった。
さすが乱破の血を引く消え方の素早さ。今さらながらに人身御供にしてしまった三文役者には感謝と陳謝。今はコロナと自分の療養で一緒にやれないが、来年はまた盛りあがろう。絶滅危惧種の貴重な三文役者の存在が時代の人質とならないよう、コルト02の引き金に指はかけておこう。