暑すぎる日々が終わり、夏が終わっていきます。少しばかり涼しくなってきたのでしょうか。なんだかよくわからない気候ですが、もう9月になりました。
今年の夏は、これみよがしに遊びました。海、プールの繰り返し、ですからギンギラの太陽の日差しが、だんだん優しくなってくると、寂しくも感じてしまいます。一方で、昨今の暴力的な暑さが弱まっていくことに、少し安心もしております。
なにはともあれ、9月になりました。今年も、あと少しです。あと4カ月になって、もうすぐ今年の終わりが見えてきました。
どうですかみなさん、「そちらは9月になりましたか?」「カレンダーは9月になっていますか?」「そもそも地球全体が9月になっているのでしょうか?」などと、気が変になったようなことを言っておりますが、わたし自身、9月になると、必ず聴く曲があります。
それが、RCサクセションの「9月になったのに」なのでございます。この曲が入っているアルバム『楽しい夕に』は、もう何回聴いたかわかりません。思い返してみれば、20歳くらいのころから聴いているので、30年以上、9月になると、必ず聴いております。
そう考えると、音楽って、やっぱり凄いものです。心に染み入るというか、わたしのなかで「9月になったのに」は、夏の終わりの骨肉になっているような音楽なのであります。
なにはともあれ9月になったわけです。この曲の歌詞の内容は、「9月になったのに、暑くて、たまらん、嫌いな夏がまだ続いていて、汗をかいてる」と忌野清志郎が唄っているのです。しかしながら、いつ聴いても、ゾクゾクしてしまう歌詞のパートがあります。
なんと、このように9月のことを歌っているのに、とつぜん、清志郎が、「そちらは9月になりましたか? 9月はまだですか?」と訊いてくるのです。
普通に考えれば、あちらが9月になったのだから、こちらも9月というのは、あたりまえの話ですが、それを簡単にすっとばしてしまう、清志郎の凄まじさ、凄みを、この歌詞から感じます。
ですから、9月になって、この曲を聴いていると、自分はいつもビリビリと体が痺れ、わたしもこのような表現とういうか、このようなことを言ってみたいと思うのです。
つまり、9月なっているのに、そちらは9月なのか訊いてみたい。と言ってみたものの、それがいったいなにを意味するのか、どのようなことなのか、よくわかっておりません。謎は深まるばかり。とにかく、いつも9月になると、このような気持ちになるのです。
もしかすると、まだ9月になっていないのかもしれません。そして9月になったのに、そちらは9月になったかと訊いてしまう、忌野清志郎のわけのわかならない素晴らしさを感じるのでした。