日本語の歌詞を聞いていて、なんだかわからないけれど心に染みるというものがあります。童謡などに、そのようなものが多い気がするのですが、心の中に残っている、どうでもいいような風景が、ぶわ〜っと浮かび上がってきて、どうにもこうにも愛おしいような(どうでもいい風景なのだけど)、ノスタルジックな気持ちになったりするのです。前向きではなく、いい意味で後ろ向きになれる。心象風景というやつなのでしょうか、これを、ごそっと浮かび上がらせる、素晴らしい歌が世の中にはあります。
ハナレグミの歌に「家族の風景」というものがあります。「キッチンにはハイライトとウイスキーグラス」という歌詞があって、わたしの場合、これを聴くと、ハイライトを吸っていた叔父が家に遊びに来たときのことがボワっと思い浮かべられるのでした。
本当に、どうでもいい思い出でもあるのですが、その叔父は、アメリカンフットボールをやっていて、いつも遊びで、喧嘩ごっこのようなことをやってくれました。しかし、あまりにも勝たせてくれないので、思いっきり殴りに行ったら、叔父がよけ、後ろのガラス扉のガラスをパンチして、割れたことがありました。このように、どうでもいいことが思い浮かべられます。
そんでもって、最近やたら聴いていて、どういうわけか、いつもノスタルジックになって、心が泣けてくるようになる歌い手がいます。
折坂悠太さんという方で、最近の『心理』というアルバムも、最高ですが、最初の『あけぼの』というアルバムの中に入っている「窓」という曲は、心がズキズキするくらい最高の歌なのでした。
この歌は、折坂さん自身の、昔の思い出も詰まっているのか、なんてことないことを歌っているようだけれども、どうにもこうにもぐさりぐさりと心に刺さってきます。
聴いていて、どうして、このような気持ちにさせられるのかよくわからないし、歌声、歌い方、いろいろあるのだろうけれど、折坂さん自身の、モノの捉え方が、聴いている人の心を動かしているのだと思います。
彼の見ている風景、心の動き、それが素直に言葉になっているのだから、いやらしさがない。だから聴いているこちらは、自分が、子どもの頃から聴いているような気持ちにもなってくるのです。でも、それは、ただの懐かしさではなく、現在進行形の懐かしさでもあり、聴いていると、子どものころのわたしが、心の中で踊っているような気持ちになります。
昔、一世を風靡したアーティストの方が、「今の人がやっていることは、全部、俺たちがやってきたことなんだよな」と偉そうに話していましたが、新しいとか古いとかで判断すること自体、旧態依然なわけで、そんなこと言ってもしょうがないのにと思ったことがります。
なにはともあれ、現在進行で、いまの世の中に、こんなに素晴らしい歌い手、音楽家がいるということが喜ばしく思えてくる歌い手、それが折坂悠太さんなのであります。わたしは彼の曲を、死ぬまで聴いていくのだろうと思えてくるのでした。