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編集無頼帖

吉村さんのこと

2013.06.27

yoo_iichiko.jpgあの日から今日で丸ひと月が経った。
このひと月のことは、どうにもこうにも未だにさっぱり対象化できないでいる。
これでもだいぶ落ち着いたけど、時折、ふと、どうしようもなくなることがある。
このあいだの「吉村秀樹会」でも、怒髪天の増子さんがふと掛けてくれた言葉でドドッと涙腺が決壊してしまい、醜態を曝してしまったのだった。
まぁ、自分の人生の中でもあれだけ濃い付き合いをした人だから、その喪失感のフィードバックも並大抵なはずがないのはよくわかってるんだけど、ホントはもっとカラッと行きたいのだ。
あの人も空の上から「なーに湿っぽいことやってんの?」なんて言ってるに違いないし。
でも結局、うっかり気を抜くとシケたツラをぶら下げてしまって情けない。
ただ、このケタはずれにやりきれない思い、埋めがたい欠落感はムリに何とかしようとしてもどうなるわけでもないし、もはやどうしようもないとも思ってる。
とりあえず、力まず行こう。

hideki_yoshimura.jpg用があって調べてみたところ、この11年のあいだにぼくは吉村さんに対して20回以上ものインタビューをしていた。
こんなやくざな稼業をしていて間違いなくダントツの回数だ。そりゃex.ペケペケエントロピーズのタケムラさんから「ブッチャーズのインタビューをよくやってますよね?」なんて認識もされるわけだ。

幸いにしてそれらの記事は今もwebで読めるので、ここに列挙してみよう。誰のためでもなく、おそらく最後の読者になるだろう自分のために。

1999_02.jpgBEYONDSトリビュートCD発売&LIVE決行記念スペシャル大放談!「あの時、確かにそこにいた──」【2002年6月号】
ぼくがルーフトップの編集に携わるのは2002年の1月からで、同年3月号から「bloodthirsty butchersのサンカク雑記帳『裏のスジの突き当たり』」というコラムを始めてもらうことにした(同時連載は現BEYONDS・谷口健さんの『砂の上のダンス』)。
それから数ヶ月後、ブッチャーズ関連の初インタビューはBEYONDSのトリビュート・アルバム『WE HAD BEEN THERE』に参加したバンドマンの座談会。深夜のシェルターで楽しい話を何時間も聞かせてもらった、起こすの大変だったけど(笑)。
あと、このレコ発のブッチャーズが小松さんとヘラさんのツイン・ドラムで、それはもうエンラくカッコ良かったんだよなぁ。

bloodthirsty butchers×54-71「規格外の組み合わせによる規格外のシェルター昼夜2公演が実現!」【2002年10月号】
“バック・ストリート・ボーイズ”としてカセット音源も出した両者の座談会。シェルターで昼夜公演をやるというので、当時店長だったニシ(現・新代田フィーバー店長)にまわしてもらった。取材場所はシェルター近くのおしゃれカフェ。『裏のスジの突き当たり』というタイトルの秘話をこのとき初めて射守矢さんから聞いた(笑)。

yoshimura.jpgfOUL×bloodthirsty butchers「いにしえの賛歌を今日的に洗い出す6人衆」【2003年1月号】
fOULの『アシスタント』とブッチャーズの『荒野ニオケル bloodthirsty butchers』が同時期に出るということで、新宿のらんぶるで座談会を決行。この日の吉村さんは風邪でご機嫌もよろしくなく(笑)。ただ最後は本題と何ら関係のない“ZIGGYさん”の話で締めるという吉村節は不変。
そうだ、ロフトプラスワンで『blood近くに来たもんで…。』というトークライブを企画したのもこの時期だった(人生3度目のMCでした)。北海道出身の盟友バンドマンが大挙ゲスト出演したあのイベント、間違いなくステージ上にいたぼくらが一番面白かったんじゃなかろうか。

bloodthirsty butchers×西村仁志(SHELTER)「下北沢SHELTERオープン12周年記念特別座談会」【2003年10月号】
シェルターのオープン12周年とブッチャーズの『green on red』『blue on red』の発売を祝して組んだ企画で、ひさ子さん加入後初のインタビュー。そしてこの号からカラーページを導入して、当インタビューを1ページ目に持ってきたのを覚えている。当時は吉村さんがシェルターに入り浸っていた時期で、ぼくもよく朝まで呑んでいた。あの居心地の良さはひとえにニシと当時のスタッフが生み出していた雰囲気だったと思う。

2004_02.jpgbloodthirsty butchers「このバンドで踏み込んでいたい、このバンドで存在していたい──最新作『birdy』最速インタビュー奪取!!」【2004年2月号】
ブッチャーズに表紙を飾ってもらった号のインタビュー(それ以前だと、1999年2月号で表紙巻頭)。市ヶ谷の番町スタジオで、菊池さんが撮影した後に取材をさせてもらった。手作りのクチバシとポンチョ姿がなつかしい。インタビューの欄外で「A Young Person's Guide to bloodthirsty butchers」という枠を設けたり、小松さんに全曲解説を書いてもらったり、とにかくビギナーにブッチャーズを聴いて欲しくて躍起だった。

bloodthirsty butchers×the band apart「合同ツアー“official bootleg vol.004&smooth like butter tour”記念対談」【2004年11月号】
このインタビューで吉村さん以外のメンバーとバンアパが初対面、明日からツアー開始、始まる前から赤字覚悟(笑)という異例だらけの対談。バンアパが好きだった当時のスタッフ(カトエミ、元気?)にインタビューをまわしてもらった。憲太郎君デザインのTシャツ、かっこいいなぁ。

yoo_04-09.jpgbloodthirsty butchers「日本の至宝、ブッチャーズが提示したロック・バンドとしての矜持」【2005年4月号】
『banging the drum』と+/−{PLUS/MINUS}とのスプリット・アルバムリリース時の吉村さん単独インタビュー。場所は当時まだ赤坂にあったコロムビア。缶ビールを数本持っていって、吉村さんはピザを食べながらプシュッとグイグイやっていた。この頃にはもう吉村さんとメールのやり取りをしていて、このインタビューが面白かったと褒めてくれたのを覚えている。「先のことなんて判らないし、だからこそ楽しい」。そういう人でした。

NUMBER GIRL「センチメンタル過剰なomoide座談会」【2005年7月号】
ナンバーガールのアーカイブ作品が発売されるということで、吉村さん、K.O.G.Aレコーズの古閑さん、EMIの加茂さんと吉田さん、当時シェルターのニシに集まってもらい、ナンバーガールにまつわる思いを各自に語ってもらった。吉村さんが言ってた炭酸のシュワシュワ感、これはブッチャーズの音楽にも通ずるものだと思う。

yoshimura_naked.jpg吉村秀樹(bloodthirsty butchers)THE ROOSTERS→Z CHILDREN INTERVIEW「自分の中だけにある細胞の一部ですね」【2005年9月号】
ルースターズのトリビュート・アルバム第2弾『RESPECTABLE ROOSTERS→Z a-GOGO』のリリースに合わせた企画。プロデューサーのスマイリー原島さんのインタビューをメインに、アルバムに参加した吉村さんとパッチさんにルースターズの魅力を聞いた。吉村さんにはネイキッドロフトの楽屋で呑みながら話を聞いたのだが、はっきり言いたくないことはわざと小声で聞き取りづらく喋っていたのを思い出す。

bloodthirsty butchers×the band apart「バンド対抗!『男の料理』対決頂上決戦!!」【2005年11月号】
ルーフトップならではの料理対決企画。ウチの会社近くの塩田屋で食材を買い込み、イベント終演後のロフトプラスワンで調理。今やフリーのカメラマンとして活躍しているアカセが撮影を頑張ってくれた。それにしても、いいちこのエプロンがこんなに似合うバンドマンをぼくは他に知らない(笑)。

kara_03.jpgウルトラマン生誕40周年&『ROCK THE ULTRAMAN』完成記念大放談!!【2006年6月号】
中込智子さん監修の『ROCK THE ULTRAMAN』の発売を記念して敢行した座談会。場所は渋谷パセラ。稀代のボーカリストたちの特撮・アニメ系カラオケを聴けたのは得難い経験だったけど、吉村さんがひたすらボトルで酒を注文するわ、パセラ名物ハニトーを頼むわで、気づけばお代が5万円。そんな高額、経費で落とせるわけもなく、自腹切りました(笑)。
インタビューが終わって近くの居酒屋で中込さん、吉村さんたちと呑み直して、最後はシェルターで朝までコースだった気がする。

2006_11.jpg月刊・増子直純 2006年11月号/ZOOMYの眼 第30回「トーキョー・ロンリー・サムライマン、コリアタウンに赴く!〜ブッチャーズのレコーディングに表敬訪問!の巻〜」【2006年11月号】
当時の人気連載コラム、通称“ズミ眼”でレコーディング中のブッチャーズを直撃。これは『ギタリストを殺さないで』を録ってた時期になるのかな。
新大久保のフリーダム・スタジオはブッチャーズの根城で、会社が近いぼくは吉村さんから「レコーディングやってるよ」とメールをもらってよく遊びに行っていた(そこで見聞きしたことが後でインタビューの役に立ったりもした)。もちろん去年の年末も。まさかあれが最後の訪問になるとは思わなかったけど。

zadankai_main.jpg吉村秀樹(bloodthirsty butchers)×谷口 健(BEYONDS)×吉田肇(PANICSMILE)×中尾憲太郎(SLOTH LOVE CHUNKS / SPIRAL CHORD)「The Stranglers『Suite XVI』日本盤発売記念特別座談会」【2007年3月号】
ストラングラーズの新譜が出るということで、ルーフトップに馴染みの深いバンドマンにその魅力を語ってもらった企画。各人が持参したCDやビデオ、DVDを見ながら語るという趣向で、場所はネイキッドロフトの楽屋。撮影用に、ネイキッドロフトの下にあるバーへ移動したんだった。
セーヌ川のほとり、吉村さんと健さんで歩いて欲しかったな。

bloodthirsty butchers「結成から20周年を迎えたブッチャーズが踏み出した新たなる“イッポ”」【2007年4月号】
『ギタリストを殺さないで』のリリースに合わせて、2ヶ月連続インタビューを断行。自主レーベルからの発売ということで、それまで以上に手厚くフォローしたかったから。この号は吉村さんへの単独インタビュー。
そういえば、ある日吉村さんに新宿ロフトのバーに呼び出され、このアルバムと制作が同時進行だったtoddleの出来たてのアルバム音源をもらった記憶がある。「(渡すの)第1号だよ。まだメンバーですら持ってないんだから、ルーフトップで頼むよ」って言われた。

2007_04.jpgbloodthirsty butchers「不撓不屈のクソッタレ精神ここに在り!成年に達したブッチャーズが踏み出した大いなる“イッポ”」【2007年5月号】
ウチの会社から近い北新宿の橋で撮影、その後ネイキッドロフトの楽屋でインタビュー。吉村さんがカメラに凝っていたので、メンバーがカメラを持った写真を撮ろうというアイディアを出してくれたのは撮影のアカセ。
マネージャーのナベさんが『ギタリストを殺さないで』のCD-Rを持ってきてくれたことは忘れないなぁ。ナベさん、アカセと一緒に会議室で興奮しながら聴いた。あと、ある日突然吉村さんとナベさんがウチの会社にやって来て、ジャケットの色見本がああでもないこうでもないと2人でディスカッションを始めたのは驚いた(笑)。だって、何の前ぶれもなく突然来たんですよ?(笑)

HIGH VOLTAGE×吉村秀樹(bloodthirsty butchers)「HIGH VOLTAGE初のフル・アルバム『1 (one)』をブッチャーズ吉村が一刀両断!同郷の大先輩による御神託は、吉と出るのか邪と出るのか──!?」【2007年5月号】
同郷の後輩、HIGH VOLTAGEの新作に吉村さんがもの申すという、これもウチならではの企画。そんな企画を許してしまうハイボルの当時のマネージャーS氏の辣腕っぷりも今思えば凄い(笑)。

yoo.jpgtoddle×吉村秀樹(bloodthirsty butchers)「Dawn Praise the World──希望と絶望が交錯する日々のなか、すべてを讃えるように世界を照らす朝の光のような音楽」【2007年6月号】
toddleの傑作セカンドにまつわるインタビューで、プロデューサーの吉村さんにも参加してもらった。撮影は弊社ビルの屋上(今はカギが締まっていて登れない)。このインタビューを読むと、吉村さんとエンジニアの植木さんの貢献が如何に大きかったかを改めて痛感する。“チームtoddle”(☆ちーむ☆とどる)、ホントに素晴らしいチームだった。

2007_10.jpg谷口 健(BEYONDS)×吉村秀樹(bloodthirsty butchers)×増子直純(怒髪天)「Rooftop & shinjuku LOFT 31st ANNIVERSARY 〜砂の上のスジの眼〜開催記念特別座談会」【2007年10月号】
これは忘れられないインタビュー。ルーフトップの企画ライブに当時コラム連載を持っていたこの3組が出演して頂けるということで、通常のコラム枠の見開きページをこの座談会に当てたんだった。
普段どれだけ親しく付き合わせてもらおうとも、こうしたインタビューでは必ず一定の距離を保つことを自分に課しているのだが、これだけはちょっと例外。「ブッチャーズが新譜を出す時のインタビューはルーフトップが一番面白いと俺は思うよ。やっぱり、ヨーちゃんと椎名君の関係性があるからね」(増子さん)とか「椎名は友達っちゅうのもあるけど、そこを一回取り払ったところで喋りやすくさせようとするっていうかさ」(吉村さん)みたいな言葉をわざと残してる。
後にも先にも、もうこんなインタビューはやれないし、やらない。

bde_039.jpgbloodthirsty butchers・eastern youth・怒髪天『official bootleg vol.014 〜20th Anniversary / 僕達の疾走〜』ライブレポート【2007年12月号】
2007年11月14日、札幌ベッシーホール。怒髪天、イースタンユース、ブッチャーズという3組が20年ぶりに同じ場所、(ほぼ)同じ顔ぶれで行なったライブのレポート記事。この記事はなぜかwebにはアップしなかったみたいだけど、このあいだSLANGのKOさんがブログで触れていた。終演後、出演者がステージに勢揃いした時の写真はぼくが撮ったもので、これは今もずっとPCの壁紙になっている。
この日はブッチャーズ号に同席させてもらって羽田空港まで向かったのだが、空港の駐車場でぼくがとんでもない迷惑を吉村さんに掛けてしまった。このことを思い出すと今もちょっと血の気が引くので詳細は書かない(笑)。このレポートには細かく書いてあるので、興味のある人は探して読んでみて下さい。

2010_03.jpgbloodthirsty butchers「生きている、生きて行こう──砂を掴んで立ち上がる無頼漢のブルース」【2010年3月号】
音楽ライターの石井恵梨子嬢に「W表紙はブッチャーズと怒髪天。編集長の道内贔屓はよーく知ってるが、それにしても渾身の作りだなぁ。この紙質と字数でタダって驚異的」と言わしめた号で、『NO ALBUM 無題』リリース時のメンバー揃い踏みインタビュー。キングレコードの周辺近所とスタジオ内で菊池さんによる撮影をした後に話を聞いた。表紙撮影の動画が残っていたのでリンクを。
このインタビュー前日の深夜に阿佐ヶ谷ロフトAでぼくがこっぱずかしくも担ぎ上げられた宴があって、そこで吉村さんは弾き語りを披露してくれた。で、この日は会うなり開口一番、「昨日の帰り、酔っ払って自転車でズッコケたよー」と言われたんだった。

kocorono_main.jpg吉村秀樹×名越由貴夫「憂色に包まれた12ヶ月の物語、失われた一篇の歌が加わり遂に完結──」【2010年3月号】
これも思い出深いインタビュー。上の記事と同じ号に掲載。
江戸川橋のキングレコードのスタジオで『kocorono』のマスタリングを昼から深夜にかけて見学させてもらったのは、吉村さんから「名越君と一緒にいるから取材せよ」というメールをもらったから。ホントはその日のうちにインタビューまでやらせてもらう予定だったのだが、作業が難航していた上に「walk on by」(『NO ALBUM 無題』のボーナスCD)のマスタリング作業まで急遽入って、ぼくは終電前に帰らせてもらうことになった。
インタビューはその翌月、キング近くの居酒屋で。神様と称する名越さんの隣で話す吉村さんはいつになく饒舌で、ご機嫌だった。後日、「あのインタビューをまとめたアナタはイイよ!」というメールを送ってくれて嬉しかったな。

bloodthirsty butchers ドキュメンタリー映画『kocorono』公開記念座談会 吉村秀樹(bloodthirsty butchers)×川口 潤(『kocorono』監督)×中込智子(音楽ライター)【2011年2月号】
渋谷シアターNの向かいにあった日販のビルで、吉村さん、川口監督、中込さんに映画『kocorono』について聞いたインタビュー。始まりが夜遅かったのと、取材を終えた後も缶チューハイを呑んでダラダラしていたために、ビルを出ようとしたのが午前0時目前。が、ビルのセキュリティだか何かのせいでドアが開かずに表に出られず、一行は足踏み状態に。しかもこの日は吉村さんの誕生日の前日。結局、日付が変わっても警備員が現れず、吉村さんは44歳の誕生日を真っ暗なビルの中でぼくらと共に迎えたのだった(笑)。
シアターNとバウスシアターでの舞台挨拶、ネイキッドロフトでのトークライブ、そしてライジングサンでの深夜の上映会と、この『kocorono』関連ではつたないMCの仕事をやらせてもらったことも大切な思い出。シアターNの支配人だった近藤さんやキングの長谷川さん、大河内さんといった人たちとは吉村さんが結んでくれた縁だと思ってる。

iichiko_sub.jpg新春特別企画 bloodthirsty butchersが行くオトナの工場見学! 〜「いいちこ 日田蒸留所」編〜【2013年1月号】
栗善の愛称で知られるパーソナリティ、栗田善太郎さんに間に入ってもらって実現したいいちこの工場見学取材。
そもそもはシェルターでブッチャーズとシネマスタッフが対バンした時の打ち上げで「いいちこの工場見学がしたい、ルーフトップでやろう」と吉村さんが言い出して、かつて9mmがいいちことコラボをしていたことを思い出したぼくがその場にいた残響の高木女史に打診したんだった。
まさかこれが吉村さんと関わる最後の取材になるとは夢にも思わなかったけれど、それもいいちこをこよなく愛した吉村さんらしくて良かったのかもしれない。お陰であの日以来ずっといいちこの濃いめのウーロンハイばかり呑むようになっちゃったけど。

こうして振り返ってみると、吉村さんとはホントによく呑み、よく語らったなぁ、と思う。
「調子はどう?」「明日のライブ来る?」「愚痴ならいつでも聞くぜ!」「さて問題です。ぼくは今どこにいて何をやっているでしょーか?」といった気まぐれなメッセージをメールやLINEで頻繁にもらってたし。
取材対象のバンドマンとはあまり親しくならないようにしている自分にとっては、まさに例外中の例外みたいな人だった。

ただやっぱり最後にもう一度だけ、一対一で話を聞いてみたかったな。呑みの席ではさんざん聞いていたけど、新作にまつわる話をちゃんと仕事として聞きたかった。その吉村語を誰が読んでも意味がわかるように翻訳しながら文字起こしがしたかった。

昔から中込さんが酔うとぼくに話してくれるエピソードがあって。
「ようちゃんにね、『最近、誰とのインタビューが話してて楽しい?』って聞いたことがあるの。そこでやっぱり私って言って欲しいじゃない?(笑) でも、名前が挙がったのは椎名さんだったんだよ」
そんな話、吉村さんから直接聞いたことなどもちろんあるわけがない。
でも、その中込さんの一言が自分にとってどれだけ力になったことか。

公私ともにさんざんお世話になりっぱなしだったことの恩返しのためにも、吉村さんに対する自分なりの思いの丈は次号のルーフトップに載せます。

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PROFILEプロフィール

椎名宗之(しいな むねゆき):音楽系出版社勤務を経て2002年1月に有限会社ルーフトップへ入社、『Rooftop』編集部に配属。現在は同誌編集局長/LOFT BOOKS編集。本業以外にトークライブの司会や売文稼業もこなす、前田吟似の水瓶座・AB型。

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