1978年当時の日本のパンク黎明期に爪跡を残したムーブメント「東京ロッカーズ」の姿をフィルムに焼き付けた自主制作ドキュメント映画『ROCKERS[完全版]』(1979年/津島秀明監督)の上映イベントが8月23日にロフトプラスワンで開催された。
今春公開された映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』(田口トモロヲ監督)によって、改めて注目された「東京ロッカーズ」だが、虚実皮膜のフィクションではなく、「本人」たちの「実(リアル)」が詰まった貴重な作品のスクリーン上映を求める幅広い世代で会場は超満員となった。
上映後には当事者によるトーク、中心となったバンド「ミラーズ」と元「リザード」のギタリスト・カツ率いる「熊のジョン」のライブが行なわれた。その一夜を現場からリポートする。(文中敬称略)
まずは『ROCKERS』の上映で、当時の荒ぶる演奏と肉声を観客は全身に浴びた。東京ロッカーズのオーガナイザーとなったS-KENをはじめ、ミラーズ、リザード、ミスター・カイト、フリクション、8 1/2(ハッカニブンノイチ)、ペイン、スピード、自殺、関西からSS、さらに英パンクの雄、ザ・ストラングラーズ……。同作には一部カラーのリザードをのぞき、貴重なライブ映像が時を超えたモノクロ映像で記録されている。
ロンドンやニューヨークで勃興したムーブメントに乗じて「パンク」というワードが日本に“輸入”されて1~2年ほどという時代。社会的な背景や歴史的必然のない日本において「パンク」という呼称は破壊的な歌唱&演奏スタイル、過激なファッションといった表層的な部分でレッテルを貼られがちだったが、登場するミュージジャンたちへのインタビュー映像からは、そんな“新語・流行語”的な言葉でカテゴライズされることを拒絶する意志が感じられた。
フリクションのレックは「きみらパンクなの?」という問いに「パンクだと思ってないよ。I don't know.」と一蹴。ペインのギタリスト・モジャは生業とするタクシー乗務員としての日常に密着されながら「パンクなんて新しいものじゃなくて、昔はロックってみんなパンクだった」と指摘。東京ロッカーズの参加でさえ拒んだスピードのボーカル・ケンゴは「みんながみんな、向こう(海外)のものを教科書にしてしまう。教科書は破り去れ、ここ(東京)で起こってることは、ここで起こってることなんだと…」と説いた。
撮影 地引雄一
作品を通して感じたのは、彼らが「パンク」云々(うんぬん)以前の、「ロックンロール」というシンプルな言葉で初期衝動の「原点」を強調した点。リザードのモモヨは「ロックンロールはガキとか、そういうやつ(社会的に“下”の生活をしている者)らのものでしょ」と断言した。
さらに、S-KEN(田中唯士)は「マイナーとかメジャーとか(の区分けは)、俺は大嫌いだよ。お茶の間にあるものがメジャーかというと、全然違うと俺は思う」「学者みたいな存在、研究家みたいな者はヒーローにはなれないでしょ。だって、自分の意見は持ってないわけだからさ。何か起こったことに対して何か言う…そんなのはクソだと思うな」と言葉を吐き続けた。ミラーズのヒゴヒロシは「なんでこういう金にならない音楽やってるわけ?」というインタビュアー(津島監督)からの根源的な問いかけに対して「自分でハイになるものを見つけ出していかないと…それがないと、ただ流されるだけで終わっちゃうから、それが一番大きい」と演奏後の汗を拭いながら言葉を絞り出した。「ハイ」という言葉が(「あしたのジョー」的な意味での)「灰」にも重なった。
そして、レックは言う。「東京にはエネルギーがすごい渦巻いていて、いっぱいエネルギーを吸ってるんだけど、外に向かって発射してないんだよ、俺は発射させようと思ってる」。最後に、スタッフから「どうも、お疲れ様」とねぎらわれたレックは「慣れてないからさ……」。そう、ポツリと漏らした彼にサングラス越しの“素顔”を見た思いがした。
上映後のトークには、ヒゴ、S-KENの初代ドラマーで『ROCKERS』の音声を担当した山浦正彦、ペインのボーカルで音楽評論家の鳥井賀句、ミスター・カイトのギタリストであるワクが登壇。進行の音楽プロデューサー・サミー前田が「70年代後半の日本の音楽シーン独特の閉塞感、みんなが、いろんなことに不満を持っているということが伝わってくる」と当時の状況を解説。撮影現場を知る山浦が同作の背景、経緯を説明した上で「津島君がこのフィルムを2026年にみなさんに見ていただけている。すごいものを残していってくれたんだな……」と感慨を込めた。舞台脇には1994年に逝去した津島監督の写真が置かれていた。
前田は78年春の国内パンクシーンについて「1~2カ月でものすごいことが東京で起きていた。東京でパンクをやるということを意識しましたか?」と問われたヒゴは「最初は『パンク』って言葉は好きじゃなくて、自分がやりたいこと、自分の曲を作りたくて始めた」と、ニューヨークへと渡ったフリクション勢とは別に、東京に残って活動を続けた原点を振り返った。
鳥井は「(自身が)高円寺でやっていたパンクバー『ブラックプール』が東京ロッカーズ以前の『ジャンプ・ロッカーズ』の人たち(ミラーズ、ミスター・カイト、スピード)、後のザ・フールズになる伊藤耕や川田良といったミュージジャンのたまり場になっていた」と証言。70年代の高円寺について、ヒゴは「当時は高円寺を中心にカメラマンとか絵を描く人とかアンテナ貼っているような人達が集まっていて、皆が同時に自分たちで何かやりたいという意識が大きくなっていった」と補足し、「S-KENスタジオができた時は(所在地の)六本木には縁がなかったので逆に新鮮な感じもしました」と回顧した。
ワクは自身の音楽遍歴を振り返りながら、東京ロッカーズの参入を拒んだスピードのギタリストだった時期のことも語りつつ、ミスター・カイトでボーカルを務めたジーンについても言及。ジーンは美咲歌芽句(みさか・めぐ)の筆名で2007年に詩集「荒涼天使たちの夜」(思潮社)を出版しているが、その刊行時のライブツアーで活動を共にした鳥井が知られざる彼女の人となりを補足した。山浦はストラングラーズの演奏シーンがS-KENスタジオで撮影されたことを経緯と共に説明し、「井出情児のカメラワークがすごい。素晴らしいカメラマンです」と付け加えた。
トークも佳境に入ったところで、前田が「当時のバンドの発言や歌っているテーマとして『流されちゃいけない』という言葉がよく出てくるが、欧米のバンクバンドの歌詞には(『流される』という言葉は)出てこないような気がする。それは日本人独特のテーマなのかなと思ったんですけど」と指摘し、この「流されちゃいけない」というメッセージについて登壇者に問うた。ヒゴは「(流されるのは)日本人の特性だと思う、個人主義に徹していない」と指摘。ワクは「大谷翔平選手の『憧れてちゃダメですよ』という言葉がありましたけど、この頃はロックをやるにも、人に憧れて、似たような音をやっても意味がないと思っていた」と振り返った。
トークの最後に、前田は「この映画は全バンドの爆発寸前の良い時期を捉えられているんじゃないかなと個人的には思います」と総括、劇中、カラーとモノクロ映像が混在していることについて、山浦は「フィルム代が足りなくて、なんとかカラーフィルムをちょっとだけ買えた(※そのカラー映像はリザードの演奏シーン)という裏側があるんです。(監督は)一切、お金には興味がない人で、ただ、『これは撮らなきゃ』という使命感だけだった」と同志を偲び、ヒゴは「本当に貴重な映画だと思うんで、ドキュメンタリーの良さ、空気感を感じてもらいたい」と強調した。
続くライブでは、まずミラーズが登場。ヒゴ(ドラムス&ボーカル)、アンドウアツヒコ(ギター)、ヤナギハラリュウタ(ベース)のトリオで、「ミラーズ」「どうする?」「偵察」「冬眠」……とレパートリーをたたみかけた。ヒゴの“実直”な歌とドラミング。この日のトークで、ヒゴは「(バンド)『3/3』(サンブンノサン)ではベースを弾いていたので、最初はドラムで歌うつもりはなかったんだけど、スタジオでいろんなドラマーとやってみたけど、どうもしっくりこなくて、自分で叩いたほうが早いとなった」と語っていたが、改めてその選択に間違いはなく、“歌うドラマー”としての年輪を感じさせた。ヤナギハラの骨太なベースにアンドウのソリッドなギターが重なり、クライマックスの「衝撃X」ではバンドのアンサンブルの底からヒゴが踏みしめるバスドラの重低音がはらわたに響いてきた。そうして高まるテンションの手綱を緩めることなく、ラストの「why don't you knock in」になだれ込んだ。リングと化したステージで、ストレートな“真剣勝負”が繰り広げられた6曲だった。
熊のジョンはカツ(ギター)、akira(ベース)、南部輝久(ドラムス)のトリオで「マラゲーニャ」「太陽はひとりぼっち」「カチューシャ」「夢見るシャンソン人形」「Ralf」「My Favorite Things」といったスタンダードナンバーを高速インストで演奏。それらは“懐メロ”などではなく、生き急ぐかのようなスリリングな演奏によって、時を超えても古びない原曲の力と、その「核」にある強度を際立たせた。例えば、映画『サウンド・オブ・ミュージック』(59年)の挿入曲である「My Favorite Things」はジョン・コルトレーンの同名アルバム(61年)や、映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00年)におけるビョークの歌唱といったカバーで知られるが、そうしたビッグネームの個性に比肩するほど、オリジナルの良さを引き出しつつ、バンドとして唯一無二の存在感を示した。ステージの後半には、カツが率いる「ミッドカンブリアンピリオド」のボーカル・よしえが加わって同バンドの曲「トラウマ」「カインの末裔」「花火」「シエラレオネの風」を熱唱。耽美的でサイケデリック、アンダーグラウンドな世界観で場の空気を変えつつも、多面体であるバンドの「芯」は揺るぎなかった。
こうして、「あの時代」を真空パックしたイベントは幕を閉じた。そして、改めて思った。パンクが「ジャンル」という“箱”に入れられた時点で、それはもはやパンクではないことを。精神の「運動」そのものとしての衝動(パッション)が映画『ROCKERS』には貫かれており、その残り火は消えることなく、齢(よわい)を重ねたメンバーの中でゆらめき続けている。東京ロッカーズというムーブメントから48年後の今、まだ希望のあったあの当時よりも、さらに先の見えない時代の閉塞感を切り裂く「音」が求められている。その切り口となるヒントが東京ロッカーズにはある。そう実感させられた一夜だった。(Text:けいしけい / Photo:大西基)














