メレンゲ
「SHINJUKU LOFT KABUKI-CHO 20TH ANNIVERSARY 初恋の集い」
2019.10.10 新宿ロフト
何だったんだろう…? これまでの彼らのライヴ以上に生命力に溢れ、次へと向かう強い意志や、これから更に明るい方向に進んでいくであろうことを予期させた、終始ライヴ中に漂っていたあの雰囲気は…。それはまるでこの場所が彼らの立脚地点であり、何か次のアクションへと向かう際の大事なリスタート地点とでも語っているかのようでもあった。
メレンゲが古巣とも言える新宿ロフトのステージに再び立った。これまでもエポックな出来事や企画も含め、何度もこのステージに立ってきた彼ら。ワンマンとしては実に14年ぶりであった今回は、あえてこの日この場所で鳴らす意味のある曲たちが、「ここまでついてきてくれてありがとう」の感謝の気持ちも含め満場へと放たれ、それらは時間や空間、意味合いや受け取り方への変化を交えながらも、しっかりと聴き手のものへと移り変わっている様を改めて実感することが出来た。
彼らにとって今年2度目、ワンマンとしては実に約一年ぶりのライヴとなったこの日。タイトル通りしっかりとそのときめきとキラキラとした希望、そして失ったら二度と取り戻せない尊さや刹那も含め各人に様々な「初恋観」を寄与してくれたのも印象深い。
お馴染みのSEが場内に流れ、ベースのタケシタツヨシを始め、この日のサポートメンバーである松江潤(G.)、小野田尚史(Dr.)、皆川真人(key)が登場。間を置きクボも現れる。丁寧にスタンバイの準備をする各人。そんな中、小野田のシンバルによるカウントからガツンとした五味一体のデモンストレーション音が場内へと飛び込んでくる。そんな中から「イエーイ。メレンゲです。お待たせしました!始めます!!」とクボ。まずは出航よろしく「旅人」がライヴという地図を広げ、「さあどこに行こう」「ここから始めよう」とワンダーな気持ちを場内いっぱいに広げていく。誠に生命力溢れるオープニングだ。航海は続く。次曲の「午後の海」では皆川のエレピから、小野田も4つ打ちのダンスビートを打ち出す。同曲ではクボもギターを持ちながらハンドマイクスタイルにて歌唱。きらめきと刹那が場内の隅々にまで染み渡っていく。続く6/8拍子のロッカバラードな「ムーンライト」では切なさが場内に呼び込まれ、クボも気持ちの込もったファルセットを交え歌う。また同曲ラストでのクボによる感情の込もったロングシャウトも印象的であった。
「来年はスタートから行く。最初が肝心だから」と早くもクボの心は次年へ。「今日は14年ぶりの新宿ロフトでのワンマン。せっかくなんで懐かしい曲もやる。なんだかんだ言っても自分たちはロフト出身なので」と続け、ここからは彼らがロフトのレーベル「Song-Crux」時代にリリースしたミニアルバム『少女プラシーボ』からの曲たちが続けて放たれた。ミディアムで優しげ、ノスタルジックさを織り交え、場内をキュンとさせた「燃えないゴミ」、秘めたエモさもたまらない「声」が続けて歌われる。特に「声」での一旦ブレイクし、その後にブワッと広がっていくダイナミズムさと、漂うセンチメンタルさを吹き払うような健気さも想い出深い。
次のMCはタケシタが任された。新宿ロフト移転20周年への祝辞を告げ、この日、特別提供されたタケシタ考案のドリンクを告知宣伝。ここまでをちょっと振り返り、既にアコギにギターを持ち替えたクボが「昔作った曲も、いま歌うと全然違う気持ちで歌ってる自分がいる」と告げ。妙に納得。「タイムマシーンについて」に入る。同曲では皆川のキーボードがノスタルジック性を加味させ、ストリング的な音をドラマテイックに感動的に加えていく。松江もリバースを効かせたギターにて会場をあの日あの場所へと引き戻していった。対して「まぶしい朝」では松江のスライドギターがノスタルジック性を、皆川のピアノの音源がエレガント性を各々同曲に付与。何かを乗り越えた後の、いつもとは違った朝を迎えた気持ちの良さを想い出した。
「来年は新曲を出すから」とクボ。「今はどうしても歌詞が書けない心境である」旨を伝え、やはりこれまでよりもいいものを届けたい。ようやく光が射してしたから、もうちょっと待ってて」と続ける。そんな夜明けの近さを予感させる「アルカディア」では、そこに向かい「無駄になるかもしれない。でも…」と走り出す気概と意志が会場を引き連れていく。対して「きらめく世界」では秘めたエモさが会場いっぱいにみなぎり、ボーントゥランなロックンロールナンバー「さらさら'90s」がドライブ感を伴い会場中を、ここではないどこかへと惹き連れていく。
ライブはさらに深部へ。「アンカーリング」が一体感を帯びて走り出していけば、ループするフレーズも印象的な「星の屑」、また、ドッシリとした質感とワイルドさも特徴的な初期曲の「ソト」、タケシタの躍動的なベースも特徴的だった「underworld」では疾走感のあるサウンドの上、アンニュイに歌われながらも不思議なワンダーさが場内に満ちていく。
最後のMCはまさに会場に向けて贈られた。「ここまで続けてこれたのはみんなのおかげです。みんながいなかったら僕らは歌い続けることはできなかった」と告げ、以後はラストスパート。初期曲「チーコ」がタケシタの運指の多いベースで躍動感を育み、ラストに向けてグイグイと会場を惹き込めば、本編ラストは会場中のクラップと渾身のシャウトと共に「ビスケット」が疾走感のあるサウンドに乗せて場内を引き連れんと力強く放たれる。かつては自信無さげに放たれていた各曲が今やスッカリ逞しく響き、引き連れていく様にはとても男らしさを感じた。
アンコールは1曲。「久しぶりの曲を」(クボ)と、最後も駆け抜けていかんとデビューシングルの「カッシーニ」が。最後に現れるフレーズ「これからも走り続けていくには」には本気で信じさせてくれるものがあった。
これまでの彼らのライヴ同様、ここが地下であることを何度も忘れさせてくれたこの日。途中のMCでクボが語っていた、「昔作った曲も、いま歌うと全然違う気持ちで歌ってる自分がいる」の言葉も印象深い。
かつてはリアルに響いていた歌たちも時が経てば不思議な懐かしさと甘酸っぱさを有した、いい意味でちょっとした風化と時を経たが故の豊潤な想い出感を伴い、この日も終始各曲が贈られた。
私の思うメレンゲの歌の基本的な本質はやはり「初恋観」。歌われている当時の健気さや一途さ、一生懸命さやひた向きさが時を経て、淡く甘く、キュンとした痛みや甘酸っぱさを蘇らせてくれる。そんなまるでタイムマシンのようなノスタルジック性を擁した楽曲の類いを改めて感じ確認できたこの日。「歌詞がなかなか書けずに新曲が出来ない…」と、この日のライヴ中クボは笑って語っていたが、このライヴを経て、その自身の本質や「らしさ」に改めて気づき、実感した彼は、きっとそのスランプを脱して、これから再び「メレンゲらしい」新しい曲たちを我々に届けてくれることだろう。その為にももう一度、立脚地点とも言えるこの場所に再び立たなければならなかったし、意義の事象にしなくてはならなかったのだろう。
メレンゲから再び新曲たちが届く日もそう遠くない。今、そんな嬉しい予感に包まれている自分が居る。