クボケンジ、琴音、ヒグチアイ
SHINJUKU LOFT KABUKI-CHO 20TH ANNIVERSARY
LOFT三つ巴ライブ2019?アコースティックの夕べ
2019.7.31
一方は、いつの日かへと希望と共に想いを馳せさせ、また一方では、自身を省みたり足元を見直させたり、もう一方では、ノスタルジックな想い出の中、過ぎてしまった時間の尊さを慈しんだり…。
琴音、ヒグチアイ、クボケンジと、世代も歌内容も性格も表現形態や伝達方法も違う3者が共演した。
新宿ロフト恒例の三つ巴ライブ。その「LOFT三つ巴ライブ2019~アコースティックの夕べ~」にて実現したこの組み合わせは、歌とそれを伝えるに必要最小限な楽器を各々が用い、各位、歌に込めた想いや気持ち、願いや憧れ等が、ダイレクトに集まった者たちへと手渡されているように映った。
一番手の琴音は、これからや未来への自分へと歌を、丁寧にリボンも添えたプレゼントのようなステージとして贈った。彼女は現在高校三年生。これまで数々のコンテストでの受賞経歴を持ち、今年メジャーデビューもした。その実年齢にそぐわない歌声と表現力、多彩なソングライターセンスで既に多方面より高い評価を持つ。
そんな彼女はキーボードとギターと共にステージに現れた。1曲目は「願い」。オルガン的な音色とリバーブの深くかかったノスタルジックなギターに低くしっとりとした彼女の歌が絡む。ドライながらも艶やかさを交え、“この願いよ届け!!”とばかりに願いや祈りのような歌声が天に向かって伸びていく。続いての「戯言~ひとりごと~」では軽快さも呼び込まれた。鍵盤とギターが育むリズムに乗り、あえて歌い崩して歌う。
序盤のMCでは2年前にこの新宿ロフトに出た際の想い出や、東京ではホームのようなこの会場に久々に立てて嬉しい旨を告げ、夢は見ないと叶わない。どこで変わるかは自分次第と言い諭すような「夢物語」、そして「しののめ」ではスライドを交えたギターと荘厳さのある鍵盤の中、低いキーからフワッと、そしてブワッとその歌声が場内へと広がっていくのを見た。
中盤以降はアコギがその手に握られる。自身初の制作楽曲であった「大切なあなたへ」は、元々は自身の母に向けて作られた歌なのだが、ラブソングにも響くことから、この日は地元の仲の良い友人カップルに向けて贈られた。これまでへの感謝とこれからもよろしくの気持ちが場内に満ちゆく。誰かを想う歌は続く。世話になっていた地元の店長への元気づけ代わりに作られた「音色」が会場の手拍子と共に活気を帯び、同曲の♪きっと 大丈夫君は 一人じゃない♪のフレーズからは、立ちはだかるものに立ち向かう勇気を頂戴した。そしてラストは再度ハンドマイクにて。大きく強くなって行くからずっと見守っていて、との願いも込めて「ここにいること」がその凛とした歌声を場内いっぱいに響かせていった。
対してヒグチアイはけっして歌を包装しない。いや、試みるも結局は私らしくないと挫折。むき出しのままの音楽をありったけの感情と想いを込めて贈るタイプだ。昨今のライヴでは今秋発売へのデモも兼ね、新曲を連発していると聞く。かく言うこの日も新曲が中心。聞けば前日夜はFUJI ROCK FES.でのステージに立ち、その10数時間後には早くもこのステージに立っているという。タフだ…。
ヒグチも琴音同様、低い歌声が魅力のシンガーソングライター。この日も真直ぐ目を見据えられて歌われているかのような歌が次々と場内へと放たれ、聴く者の胸を締めつけていくのを見た。
正面を向いた鍵盤と彼女。1曲目の「どうかそのまま」から痛かった。どうかそのままで君は君のままでとの祈りにも似た歌が直線的に飛び込んでくる。続く「わたしのしあわせ」は軽快でブライト気味な鍵盤とは裏腹に、故郷に残している肉親への背徳感もない交ぜ、「私は幸せ」と自身に言い聞かせる歌が健気だ。シチュエーションは深夜のファミレスへ。最新発表曲「前線」が飛びかかってくる。対して♪逃げるな立ち向かえ♪と歌われる同曲。その乗り越えた一線先に何が待っていたのか?聴き手各々に尋ねたくなった。
フジロックでの想い出を語りつつも、「そのフジロックよりも今日を大事にする覚悟で挑んだ」とはヒグチ。これまたしっとりとした新曲「ラブソング」がピアノと共に、かつての愛されていた証として遺すべき「唄」を紡いでいく。 また、「ほしのなまえ」では光年や何億分の1のロマンを感じつつも、それも市井がある故であることを思い起こさせ、今の時代特に痛く響いた「聞いている」では、誰かを叩きマウントすることで自己満足している現状と、それに気づき知らん顔している私やあなたへの詰問が痛かった。
「ホームは人によって作られる。そんなホームであるロフトに久しぶりに出れて嬉しかった」との謝辞を経て、最後は、どうか自分よ卑屈になるな、自分ぐらいは自分を愛してやらなきゃ誰が愛し、救うんだ?と、「備忘録」が自身の出自を想い返させるように響いた。
さしずめ最後に登場したクボケンジはキチンとしたラッピングの上、併せて優しい言葉もかけて手渡しするタイプだろう。この日も歌に過ぎ去った時間という魔法をかけ、よき想い出に変換させて場内に手渡っていく様を見た。
鍵盤の山本健太と共にステージに立った彼。ここのところソロでの活動も目立つクボだが、この二人でやるのは春以来久々だと語る。残念ながら途中、声の出の中止が悪くなったこの日。が故に、そこをお客さんの大合唱がカバー。楽曲を一緒に完成させていく様も、この日ならではの感動であった。
「今日は僕のことを知らない人も多いだろうからカバーも交え媚びようと思って来た(笑)」とクボ。何曲かのカバーも交え歌の数々が贈られた。
どんな素敵な歌を作っても君が聞いてくれなきゃ意味がない。新しいおまじないを君と作るのさと、優しく柔らかくだけど力強く歌う「ルゥリィ」を手始めに、あえてアンニュイさを交えて歌い、歌われる愛しさがゆっくりとじわじわと広がっていった「Ladybird」。続くエレガントさを帯びた鍵盤ととぼとぼとした雰囲気の「絵本」では、小宇宙のような永遠性を感じた。
中盤ではカバーやセルフカバーが続いた。まずは1番はギターと歌、2番より鍵盤が加わった尾崎豊の「I Love You」がオリジナルよりも寂しげでより哀しさを醸し出せば、新垣結衣への提供曲のセルフカバー「うつし絵」では久保も椅子に座り、感情移入たっぷりに歌う。また、松田聖子の「赤いスイートピー」の際は、残念ながら声の調子が悪く、歌い切れないながらも、その不足箇所はお客さんが大合唱。感動すら覚えた。「東京に居る理由」を経て、「最後はむちゃくちゃ明るい曲を」と入った「クラシック」では、歌詞の一部を「三つ巴」と変え歌うサービスも。
声の調子の悪さからアンコールが起こるも当初は躊躇。しかし場内の熱意にほだされ、「どうなっちゃってもいい!!」と開き直りと共に、急遽みんなが歌える「ビスケット」に差し変わり、元気の出る明るい曲が会場の手拍子とともに贈られていく様を見た。
この日、この3者から共通して感じたのは、「誰かを想って作り、歌った唄も、結局は自身に向けて響く」といった類いだった。シンガーソングライターの方々から、「自分の為に作った歌が気づけば誰かの何かになっていた」「自身の手元を離れていつしかみんなの歌になっていた」的な話をよく聞くが、それとは逆の類い。誰かに向けて贈られた歌たちが、歌っているうちに気づけば自分のことを歌っていたり、自分を鼓舞したり、歩を進めたりさせている、自身に言い聞かせ、言い含める為の原動力、そんな類いのように響いた。
大事に、大切に、だけど忘れないで欲しい…。三者三様に作った各人の想いを乗せて手渡された歌のプレゼントたち。それをどこに、どうしまい、いざという時に、どう活用していくのか?そこから先は、また各人へと委ねられた。今度会った際には是非各位に、あの手渡された歌たちの行方を訊いてみたいと思った。