音楽も野球もやり続ける限りは終わりがない
『Rooftop』1985年11月号の表紙を飾る池畑潤二
──今年の10月にオープン50周年を迎える新宿ロフトについても聞かせてください。池畑さんと言えばとかくルースターズのことばかり注目されますが、1985年から翌86年にかけては山善さんのバンドとゼロスペクターとして何度も出演していただいていました。1985年11月29日、30日には『DYNAMITE KICKS・池畑潤二2DAYS』というイベントも行なわれていたり。
池畑:ああ、あったね。ロフトと言えば、ルースターズのテープを最初に持っていったのは俺なんだよ。ロフトに出るために昼のオーディションを受けないといけなくて、そのためにマネージャーだった石飛(智紹)か誰かとテープを持っていったんだ。
──それが1980年10月27日のロフト初出演に繋がると。当時は客としてロフトへ行くことはありませんでしたか。
池畑:なかった。昼間のロフトにテープを渡しに行ったのは、もう上京した後だったと思う。
──東京での初ライブはルイードでしたね(1980年7月5日)。
池畑:そう、ルイードが先だった。ルイードでそれなりにやれるようになったので、次はロフトだと。
──ARBなどロフト常連バンドとの交流は?
池畑:当時はよく知らなかった。その前のリンドン(田中一郎が在籍していたバンド)は中学のときに聴いたことがあったけど。
──1985年当時のロフトのスケジュールを見ると、「ゼロスペクター(Dr.池畑潤二)」「山部善次郎&ミッドナイトスペシャル(Dr.池畑潤二)」といった出演表記なんです。つまり池畑さんの名前を出したほうが集客に繋がると当時のロフトは考えていたんじゃないかと思って。
池畑:そうなのかな? 当時は蟹江(信昭)ちゃんが店長の時代だよね。
──そうですね。当時のバンドブームについては、その渦中にいながらどんなことを感じていましたか。
池畑:アナーキーやARBでロフトの集客を競い合って、もちろんそこにルースターズも入り組んで、誰がトップか? なんて鎬を削ってた。でも当時はその次の景色を見ていたんだろうな。この先どうなるんだろう? って。でも多くのバンドはそうなんだろうけど、それくらいだと自分たちがどの地点にいるのかまだわかっていない。ルースターズもルイードやロフトの後に久保講堂とかでライブをやったりしたけど、特に何かが変わるわけじゃなかった。動員が増えて注目を集めつつあるのは感じていたけどね。
2016年10月1日に中野サンプラザで行なわれた『ROCK OF AGES 2016 〜big beat together with spirits, stay alive〜』
──さまざまなセッションドラマーとして活躍した後は柴山俊之さん率いるRubyでもロフトのステージに立っていらっしゃいますし、ロフト40周年の際には『ROCK OF AGES 2016 〜big beat together with spirits, stay alive〜』と題したスペシャルイベントをロフトと共同プロデュースしていただきましたし、半世紀近くにわたってロフトと関わり続けてくださるのが本当に有難いことで。
池畑:シゲ(ロフトプロジェクト前代表の故・小林茂明)の存在も大きかったね。シゲも一緒に野球をやってたし、あいつに「ロフトの周年で何かやってもらえますか?」とお願いされると断れなかった。ロフトは好きだったね。思い出がいっぱいある。小滝橋通りからの移転候補として初台とか笹塚方面があって、その設計図を見せてもらったこともある。とにかく当時のロフトへ行けば誰かしらいたし、何をするにもロフトだった。あの時間は何だったんだろうね? まあ、他にやることもなかったし(笑)。
──原島さんやシゲさんといった仲間の旅立ちに直面するたび、あとどれくらいドラムを叩けるだろう? と考えることはありますか。
池畑:70歳くらいまでは叩きたいと思っていたけど、もうすぐだよね(笑)。
──池畑さんの満50歳を祝した『BIG BEAT CARNIVAL』の開催が2008年、もう18年前ですからね。2年後は古稀の盛大なイベントをやろうと考えていますか。
池畑:何も考えてない。そもそも50になったのがついこないだみたいな感覚だから(笑)。
──53歳で苗場音楽突撃隊が始まり、54歳でROUTE 17 Rock'n'Roll ORCHESTRAが始まり、その後も菊さんとのギラギラバンドやMIKA RANMARUなどにも参加しているわけですから、50代以降も濃厚濃密なドラマー人生を歩んでいると言えませんか。
池畑:そうかもね。日々ドラムを叩き続けて、「なんでこんなことを若いうちに気づかなかったんだろう?」という発見がいまだにあるから。やればやるだけ叩けるようにもなるし。若いときにしかできないのは技術的なものじゃないから、特にツールを持たなくても闇雲な力とエネルギーだけで行けてしまう。今は歳を重ねたからこそそうしたツールが必要になってくるとは思うけど。でもルースターズをやるには若いときのような力とエネルギーが必要で、自分の中のギアをだいぶ上げないとああいう演奏はできない。そういう怖さに似たものをよく理解してるから覚悟はしている。
──これだけの長いキャリアの中でソロ名義の作品、ジャズで言うところのリーダー作品を発表しようと考えたことはありませんか。
池畑:ないことはないけど、いまだに考えがまとまらない。あと、自分なりのドラムの極意みたいなものを若い世代へ伝えたい思いもある。それもどんな形がいいのか模索してる。そういうのを70歳までの目標にしようかな(笑)。
©YukariMorishita
──当座の目標は満足のいくライブを一本でも多くやることでしょうか。
池畑:自分の中ではドラマーとしていろいろと試しながらやりたいことがまだいっぱいあるんだよ。その感覚は一つのことをやり続けている人なら誰しもわかると思うし、やり続ける限りは終わりがない。
──やり続ける限りは終わりがないのは野球も同じでしょうか。
池畑:そうだね。野球は走れなくなったら終わりかなと思ってる。そのために多少のトレーニングはするけど、それで身体が動くようになると必要以上に動かしてしまうから、怪我のリスクが逆にまた高まる。動かないほうが怪我のリスクが低くて、動くがために怪我をしてしまうだなんて、実に悩ましい問題だね(笑)。
















