音楽と人を繋げる橋渡し役だったスマイリー原島
苗場音楽突撃隊 with スマイリー原島|FUJI ROCK FESTIVAL 2025|©YukariMorishita
──今年のROUTE 17は、長年フジロックのMCとして活躍したスマイリー原島さんへの追悼を込めたステージになると発表されています。ぼくは原島さんが亡くなった翌日に訃報を知り、ふと池畑さんはどうしていらっしゃるのだろうと検索したら、京都磔磔の餅つき大会に参加されていましたね。仲野茂さんもゲストでいらして。
池畑:そのときに原島のことは聞いていたけど、さすがにその場では誰にも言えず。餅つきが終わって、飲み終わってホテルへ帰るときに茂には話したけど。「明日、熊本へ行ってくるよ」って。
──生前の原島さんと最後に会ったのはいつなんですか。
池畑:去年の11月30日。もともとその時期に熊本へ行く予定だった。去年、苗場で会ったときに「11月に熊本へ行くから遊ぼうね」と話してて、原島も京都の餅つきに行くよなんて言ってた。最後に会った日の原島は体調がいいとは言えなかったけど、必ずまた元気になるだろうと思ってた。
──原島さんとのファーストコンタクトはいつ頃だったのでしょう?
池畑:ルースターズが野音でやったときかな。
──ARBやロッカーズも出演した野音ですね(1981年4月5日に日比谷野外音楽堂で行なわれた『野音開き100円コンサート』)。原島さんがロッカーズのマネージャーだった頃ですか。
池畑:もうマネージャーじゃなかったけど、たまたま東京に来ていたんじゃなかったかな。楽屋で大声で熊本弁を話す男がいて、「誰よお前?」って(笑)。それからずーっと会ってたね。1週間に一度は必ず会ってた。野球も一緒にしてて、リーグ優勝したときは原島が泣いて喜んでたね。
──ルーモアズ(草野球チーム)ですか?
池畑:そう。ルーモアズと言えばもともとは新宿ロフトのチームだからね。それこそ原島とはいつも一緒にロフトで遊んでた。
原島宏和率いるジ・アクシデンツが表紙を飾った『Rooftop』1986年10月号
──原島さんとはどんな部分で波長が合ったのでしょうか。
池畑:向こうがアクシデンツで俺がゼロスペクターをやってたときかな。気づくと俺が着てた服を原島が着てるんだよ。なんで同じ服なのか訊いたら、「こないだ見て格好良かったから調べて買った」って(笑)。
──1985年頃、吉祥寺のバウスシアターでゼロスペクターとメジャーデビュー前のアクシデンツ、同じくメジャーデビュー前のSIONさんと共演したことがあったそうですね。
池畑:ああ、あったね。SIONはまだデビューしてなかった?
──テイチク/CONTINENTALのデビュー前、自主制作盤の『新宿の片隅で』の頃ですね。
池畑:バウスでやったときの写真がある。穴井(仁吉)もいたんじゃないかな。
──新宿ロフトでは1985年8月9日に『ロックンロールプレオリンピック』と題して、池畑さんが参加した山部善次郎&ミッドナイトスペシャルとアクシデンツの対バンがありました。
池畑:その当時は山善のバンドでほぼ毎週福岡へ行ってた。高速バスで。
スマイリー原島が企画・プロデュースした『RESPECTABLE ROOSTERS』
──原島さんの功績はたくさんありますが、ルースターズに関して言えば1999年に『RESPECTABLE ROOSTERS』というトリビュート・アルバムを企画したこと、2004年にBOXセット『VIRUS SECURITY』を監修したことでルースターズの再評価に繋げたのはまさに偉業ではないかと。2002年発表のロックンロール・ジプシーズの『I』も原島さんのプロデュースでしたし。
池畑:なんかいつもいたよね(笑)。もちろんいろいろと感謝してるけど。人と人を繋いでくれる架け橋みたいなところがあったし、原島がいると音楽と人が繋がるんだよね。
──石井聰亙(現・石井岳龍)監督の『RE・BIRTH II』の中で、原島さんのクレジットが“ex.The Accidents”の他に“Friend of The Roosters”と明記されていたのがいかにも原島さんらしくていいなと思って。ビジネスとして関わる前に友人であるという。
池畑:ルースターズのメンバーはみんな社交性がないから(笑)、原島がそこをうまくリードしてくれたところはあるね。
──今年のROUTE 17は原島さんへ捧げるステージにしようと、今年の頭にはすでに決めていたんですか。
池畑:それまで考えていたプランもあったけど、訃報を受けて切り替えた。ここでやるしかないなと。そこから方向性を定めて、常連の(甲本)ヒロトやトータス(松本)に声をかけて。ベンジーは4月のクアトロの時点ではまだ明確に伝えてなかったけど、あとでこっちの希望を伝えたら「もちろん大丈夫ですよ」と快諾してくれて。みんな忙しいなか引き受けてくれて本当に有難い。
──原島さんが亡くなった後のヒートウェイヴのツアーでは、アンコールでアクシデンツの「雨のメインストリート」をやっていると伺いました。
池畑:うん。アクシデンツと聞いていつも思い出すのは、九州で流れてた車のタイヤのCM。お、やったね、CMに起用されたんだ? と思っていたら、いつからかバンドのクレジットが消えたんだよ。タイヤのCMにアクシデンツ(事故)とは縁起でもないってことらしくて(笑)。
















