老舗ライブハウス「ロフト」がマネジメントを本格的に手がけるバンド第1号として、1996年にEPICソニー(当時)からメジャー・デビューを果たした4-STiCKS。1997年にレーベルとの契約切れを機に解散、2000年にboiceとして復活(2002年に活動休止)、2012年に初代ボーカリストだった南野信吾が心斎橋通り魔事件に巻き込まれ急逝したことを受けて活動再開と、紆余曲折を経てきた彼らが、実に28年ぶりに現メンバー[中尾諭介(vo.)、高田佳秀(Gt.)、柳沼宏孝(Ba.)、三隅憧人(Ds.)]によるオリジナル作品『果てなき旅の途中』をリリースした。中尾が天国の南野へ捧げた雄大な「空に」、南野の作詞・作曲による未発表曲「LOVERS DREAM」、中尾と高田の共作詞が光る「ハレルヤベイベ」という渾身の3曲を収録した本作は、南野の遺志を継ぎ"果てなき旅"を変わらず続ける決意表明と言うべき一作。EPサイズながら本作が世に出ることはバンドにとってフルアルバムのリリースと同等の極めて重要な意味を持つ。今年も南野の命日である6月10日に行なわれた『MINAMINO ROCK FESTIVAL 2024』のリハーサル後、中尾と高田に本作の制作秘話とすこぶる順調なことが窺えるバンドの現状について話を聞いた。(interview:椎名宗之)
歌の中でロフト的タテ社会のシゴキを受けている?!
──中尾さんが2019年に4-STiCKSに参加してから5年が経ちますが、そもそもどんな経緯で加入することになったんですか。
中尾:僕は4-STiCKSのことも、高田さんや柳沼さんのことも南野さんのことも実はよく知らなかったんです。
──ピンクムーン(ロフトプロジェクトがマネジメントを手がけるセクション)の後輩なのに?(笑)
中尾:うん。ロフト的なタテ社会の人間関係を高田さんたちの代が止めてくれて、In the Soupまでその波が来なかったんです。それが2016年頃だったかな、柳沼さんがPAの仕事ができる人を探しているということで、金子さん(In the Soupのマネージャーだった金子司)経由でK(草場敬普)が呼ばれたんですよ。その現場でKが柳沼さん始め4-STiCKSの存在を教えられて、後日、Kから「4-STiCKSという先輩方がいたからこそ俺たちはピンクムーンに在籍できたんだぞ」と聞かされたんです。4-STiCKSが礎を築いてくれたことでIn the Soupが活躍の場を与えられたと聞いて、なんかグッときまして。
高田:ホントに? 先輩風を吹かせる面倒くさい奴らが出てきたとか思わなかった?(笑)
中尾:思いませんよ(笑)。そういう柳沼さんとKの出会いがあって、新宿ロフトで柳沼さんを紹介されたんです。せっかくKとも繋がったし、毎年、南野さんの命日に柳沼さんの主催で『MINAMINO ROCK FESTIVAL』が行なわれていることもあるし、Kと2人のユニットで出させてもらって。
──過去のスケジュールを遡ると、それが2017年6月10日でした。その後、2019年の『MINAMINO ROCK FESTIVAL』から中尾さんが4-STiCKSで唄うことになりましたね(当初は4-STiCKS・中尾諭介 名義)。
中尾:2018年までは南野さんの歌が入った音源に合わせてライブをやっていたので、数曲唄ってみないか? と柳沼さんに誘われまして。
──5年も経てばもうゲスト・ボーカルではなく、実質的に“二代目4-STiCKSボーカル”ですよね。
中尾:うん、そうですね。
高田:多角的な活動の中の一環としても、すでにパーマネントなものになっているよね。
中尾:でも4-STiCKSの歌は唄うのが難しいんですよ。生前の南野さんと面識がなかったぶん、歌の中でタテ社会のシゴキを受けている感じですね。「南野さん、これはどこで息継ぎすればいいんですか?!」って(笑)。
高田:まあ、単純にキーも違うしね。そんなの聞いてくれればいいのに何も言ってくれないから、それを見かねて「キーを下げようか?」とこっちが聞いたり。
中尾:急に唄うのがラクになったなあ…とか思ったら、いつの間にか下げてくれてて(笑)。
高田:後々聞いたら「あれはシゴキかと思いました」と言われたけど、そんなキーのことでシゴいても仕方ないから(笑)。
──4-STiCKS唯一のオリジナル・メンバーである高田さんは、中尾諭介というボーカリストをどう見ていますか。
高田:凄くいいボーカリストですよ。南野とはタイプが全然違うし、もっと言えば南野よりも硬派だし、中尾君のほうが歌唱力として味はあります。南野はどちらかと言えばわかりやすいボーカルという感じだったから。
中尾:なかなか南野さんのレベルまで追いつけないですけどね。
──近年の中尾さんはすっかり4-STiCKSに溶け込んでいるし、出会うべくして出会った印象がありますね。
高田:そうなのかな? 柳沼さんが強引に引っ張ってきた感もあるけど(笑)。
中尾:僕は縁を感じて唄っていますよ。シゲさん(前ロフトプロジェクト代表取締役であり、4-STiCKSのマネジメントを務めた故・小林茂明)のモノマネをするのが柳沼さんは上手じゃないですか、「オネーちゃん呼べよ、オネーちゃん」って(笑)。当時、4-STiCKSがどういう環境でシゲさんと一緒に夢を見ていたんだろう? とか想像しながらやっているので面白いです。
──ピンクムーン在籍時、シゲさんから4-STiCKSの話を聞いたりは?
中尾:何も教えてくれませんでした。してくれてたのかもしれないけど、僕が普段、人の話を聞いてないことが多いので(笑)。
高田:関門海峡まで話が行かなかったんだ?(笑)
──1996年7月にEPICソニー(当時)から発表された『STICK IT OUT!』以来、実に28年ぶりに現メンバーで制作されたEP『果てなき旅の途中』がリリースされるのは、今の4-STiCKSがいかに良い状態にあるかの表れでもあると感じます。高田さんと柳沼さんの中では、このメンバーによる音源を残しておきたいという思いがずっとあったわけですよね。
高田:そうですね。何らかの形で残したいという話がこれまでちょこちょこあったんですけど、具体的なきっかけがなくて。今回は柳沼さんが意を決して「やるぞ!」ということで。それも中尾君というボーカリストの存在があってこそですね。
──実際のレコーディングは取り組んでみていかがでしたか。
高田:作業はとてもスムーズでした。
中尾:雰囲気も凄く良かったし、高田さんも柳沼さんもドラムの憧人君(三隅憧人)も仕事が早かった。
高田:基本的にワンテイクで済ませましたから。たまに少し直すくらいで。
中尾:高田さんはギターにこだわりのある人だと思っていたので、重ねるのにもっと時間をかけるのかと思ったんですよ。たぶん事前にいろいろと考えてこられてたんでしょうね。あと、高田さんのコーラスが入るとグッときたり。あのコーラス・ワークはAfter meの長田(剛)さんを彷彿とさせるところもあったりして、これもピンクムーン繋がりだなと思って。「ハレルヤベイベ」のAメロでいきなりコーラスが入る感じとかが長田さんっぽいなと。
高田:事前にしっかりと準備をしていたわけでもないんですよ。ベーシックを録ってボーカル録りを聴いた後に「ここはコーラスを入れたほうがいいな」とその場で思いつくケースがほとんどで。
──柳沼さんからは「レコーディング中も凄く心地良いGOOD WINDが吹いていました」と聞きました。“GOOD WIND”はシゲさんの頻出単語ですけど(笑)。
中尾:実際、良い風が吹いていたし、それが何よりだと思って。