4-STiCKSのベーシストを筆頭に、G.D.FLICKERSやVERTUEUX、Let's Go MAKOTOØ'Sのマネジメント、レーベル"BAD RIDE RECORDS"の主宰、『MINAMINO ROCK FESTIVAL』の主催など八面六臂の活躍を続ける"SMILEYyagi"こと柳沼宏孝が、キャリア初となるソロ作品『Thank you 〜SMILEYyagi生誕55周年記念〜』をリリースした。
柳沼は10代より音楽活動をスタートさせ、いくつものバンドを渡り歩き、新宿LOFTを中心に都内近郊で活動。1996年にEPICソニー(現・エピックレコードジャパン)より4-STiCKSのメンバーとしてデビュー。バンド休止後、30代で広告制作等のキャリアを培い、2008年にそれまでのノウハウを活かして株式会社ピーシーズを設立。バンド活動と広告制作業務・イベント事業を併走させていたが、2012年6月10日、盟友・南野信吾(4-STiCKS、billionのボーカル)が大阪の心斎橋通りで通り魔事件に巻き込まれ他界したことを契機として、南野の追悼イベントを毎年開催。南野の分まで悔いなき人生を送ることを決意した柳沼が、55歳を迎える"GO GO(55)SMILEY"の企画の一環として発売したのが『Thank you』と題したソロアルバムだ。
ZIZZ STUDIO代表・磯江俊道による楽曲提供とプロデュースが施された本作をリリースした経緯、今年も南野の命日に新宿LOFTで『MINAMINO ROCK FESTIVAL』を行なう意義、上と下の世代を繋ぐ継ぎ目としての矜持など、いつもは裏方に徹する柳沼に、さる3月6日に新宿LOFTで行なわれた『やなモン生誕祭〜四十五の春だから〜』のリハーサル前にじっくりと話を聞いた。(interview:椎名宗之)
すべては磯江俊道の無茶振りから始まった
──ソロアルバムを作る構想は以前からあったんですか。
柳沼:いや、全く(笑)。今回、全面的に楽曲提供してもらった磯江(俊道)さんには4-STiCKSの新作を録りたいとずっと伝えていたんですけどね。事の経緯としては、磯江さんからある日突然LINEが届いたんです。「自分が曲を作るので唄いませんか?」って。それが去年(2023年)の2月くらいの話で、3月に新宿LOFTでやるVERTUEUXの企画(『“キラッキラッナイト”トライアル編』)に間に合わせたいと。自分としてはいきなり何のこっちゃい?! って話だったんだけど、磯江さんとしては僕のシングルを出したいと。で、イベントの9日ほど前に歌詞の一部と曲のワンコーラスが入ったデモが2曲分送られてきたんです。その6日後に急遽レコーディングすることになって、当日、スタジオへ向かう間にLINEで歌詞がポンポン送られてきて。スタジオに着いたらちゃんと曲も覚えていない状態でいきなり「やってみましょう」とブースに入らされて、わずか3時間ほどで2曲を録り切ってしまったんです。唄いながら曲を覚えるという荒技で(笑)。
──その2曲というのは?
柳沼:今回のアルバムにも入っている「命脈」と「Get the hell out!」です。その2曲を『End of Life』というタイトルで販売することにして、売上の一部を(南野)信吾の家族へお渡しすることにしたんです。それが図らずも、2023年12月に55歳を迎える“GO GO(55)SMILEY”の企画第1弾になったんです。磯江さんとの話はそれきりだと思っていたんですが、その後、6月くらいになって「また曲ができましたよ」と連絡をいただいて。そうなると、あと数曲足せばアルバムになるし、これはもうソロ作を作るしかないのかなと思って。それを磯江さんに相談したら「やりましょう!」と即決で(笑)。ちょうど12月に会社(株式会社ピーシーズ)の設立15周年企画と55歳の生誕祭が新宿LOFTであるので、そこにリリースを合わせて作業に入ることにしたんです。
──ということは、磯江さんの無茶振りからすべてが始まったわけですね。
柳沼:そうなんです。歌のレコーディングは5年振りだったし、ソロアルバムを作りたいなんて自分ではまるで考えていませんでした。でもせっかくの機会だし、アルバムにするなら自分の曲も入れられるし、1曲くらいは本業であるベースを弾いておきたいとも思って。あと、今は4-STiCKSでも唄ってもらっている中尾諭介の歌も入れたかったし。
──今回の『Thank you』に打ち込み主体の曲が多いのは、バンドマンを本来の生業とする柳沼さんが普段やれないことをソロ作品で敢えてやろうとしたからだと思っていたのですが、成り立ちとして磯江さんありきの作品だったからなんですね。
柳沼:磯江さんに曲もオケも作ってもらうのが前提だったので。最初は全曲でベースを弾いてくださいと磯江さんに言われたんですけど、技術的にムリで(笑)。生演奏に比重を置いた作品はまた今度作ろうという話になり、今回は磯江さんのオケ主体の曲で固めることにしたんです。
──柳沼さんにいきなり「唄いませんか?」と持ちかけたということは、磯江さんが柳沼さんにボーカリストとしての資質があると見抜いていたのでは?
柳沼:どうなんでしょうね。真意は未だにちゃんと聞いてないんですけど。ただ、磯江さんはレコーディングで凄く褒めてくれるんですよ。録り終えるたびに「素晴らしい!」って(笑)。僕もその言葉を真に受けるわけじゃないけど、乗せられて作業がどんどんスムーズに進むわけです。「パラノイア」と「夕空、焼けて」は通しで録って、2テイクくらいでOKだったんです。磯江さんに「涙が出ました!」とか言われて「またまた…」なんてやり取りをして(笑)。だから磯江さんに上手いこと乗せられて形にできたのは確かですね。
──こうして実質的に初のソロ作品が完成して、手応えはいかがですか。
柳沼:意外なことに、バンドマンの方々からの反響が凄い良くて。こういう路線じゃない、もっとバンドっぽい感じだと思ったという反応が多かったです。僕が“心の友”と呼ぶニューロティカのカタルっちには「二枚目だね」と言われました(笑)。あと、「ポップよりシティポップだね」という声も複数いただきましたね。これをシティポップとは言わないだろ? と思いつつ、僕は自分のスタンスや自分の音楽をロックとは敢えて言わないし、ポップさが出るのは自分らしいところではあると思います。ロックはもちろん好きなんだけど、その定義はさておき、何でもかんでも「ロックだね」の一言で片づけるのはなんか違うなと若い頃から感じていたので。ロックの本質と程遠い人たちほど“自称ロック”を言いたがるし、それをわざわざ指摘するのも無粋だし、少なくとも僕は自分でロックだとは絶対に言わないぞと昔から決めているんです。
──そうした柳沼さんの信条もあったからこそ、4-STiCKSはポップな血中濃度が高いバンドだったのかもしれませんね。
柳沼:そう思います。僕のソロアルバムよりも4-STiCKSのほうがよっぽどシティポップらしいし(笑)。だけど『Thank you』の評判が良いのは素直に嬉しいですよ。