2020年に結成し、USインディーを意識した音楽性と、Vo&Gt. Meariのキャッチーな存在感で人気を集めているオルタナティブ・バンド、xiexie。
Gt.幸田、Dr.飛田、Ba.開の鳴らす心地よく危ういサイケデリックなサウンドと子どもの頃からモデルや舞台、海外での活動経験もあるMeariのラフで存在感のあるステージで、これまでFUJI ROCK FESTIVAL'22 ROOKIE A GO GO、SYNCHRONICITY'23、トミー・ゲレロ来日公演のO.A.を務めるなど、着々と活動の幅を広げている。
全員が豊富な活動歴を持ち、中でもミュージシャンを両親に持つMeariの育った環境、経歴を見れば、ステージでの存在感や、疎外感のある歌詞にも納得、と思いきや、掘り下げてみると実はバンド活動は初めてであり、楽曲の世界観の要になっているのは幸田であるなど、予想外の展開に。バンドの裏テーマ、共通認識と信頼関係があるからこその曲作りなど、MeariとDrの飛田に話を聞いた。(interview:小野妙子)
小さいときから人前で表現する何かをやりたくて、十代のときはもうその道で行こうって思ってましたね
──小さい頃はどういう子どもでした?
Meari:結構目立ちたがり屋だったと思います。なりきるのが好きだったので、セーラームーンの衣装を着てポーズをとったり。あと、小学校でも、ホームルームの時間に友達といちから考えた寸劇をクラスのみんなに見てもらうっていうのをしょっちゅうやってました(笑)。学級委員とか生徒会もやっていて、友達はいっぱいいましたね。
──習い事はされてました?
Meari:中学のときからジャズダンスをしていました。あとボイストレーニングとか、地域の合唱もやっていました。
──家の中では、やっぱりずっと音楽がかかっていました?
Meari:母がずーっとかけていたのを母と一緒にマネして歌ったりしてましたね。ジャクソン5とか、カーペンターズとか、マドンナ。あと、『エド・サリヴァン・ショー』のシリーズが全部ビデオで揃ってて、それをずっとかけて観てました。
──芸能活動はいつからされてるんですか?
Meari:高校時代からモデルのお仕事と、バラエティーとか音楽番組のバックダンスの仕事をやっていました。
──自分からやりたいって言って始めたんですか?
Meari:そうですね。小さいときから人前で表現する何かをやりたいなってずっと思ってたので、十代のときはもうその道で行こうって思ってましたね。
──音楽活動は並行してやってるんですか?
Meari:歌はずっと歌ってきたんですけど。エンターテインメントの中で仕事している途中で自分でも「作ってみたいな」っていう気持ちが湧いてきて、初めにGarageBandを使ってやり始めた感じです。
──ご両親のライブは観に行かれてました?
Meari:父が東京でやるときは毎回観に行ってましたね。小学校ぐらいから。
──お父さんのステージを観てどう思ってました?
Meari:カッコイイなって思ってました(笑)。幼いながらも「あの音を浴びたいな」っていう気持ちで毎回観に行ってたと思います。
──でも、バンドやりたいとはならなかったんですね。
Meari:やりたいって思ってたんですけどね。やっぱり私は父や母の影響で70年代とかの音楽に触れていましたけど、周りにはバンド演ったりそういう話をできる友達がいなくて。ただ自分の中では、やるんだったら「バンドってこうだよな」みたいなイメージはずっとあったので、やっとそれが今消化できてるのが嬉しいなって思います。
──お母さんのステージは生で観てました?
Meari:観てました。やっぱり母はシンガーなんで、孤独だなって思っていました。ステージが戦いなんですよ。バンドともまた違うものを観てました。
──自分がステージに立つときの立ち振る舞いはもう、子どもの頃からご両親を見て学んできていますよね。
Meari:そうですね。学びました。
──芸能活動して学校行って、っていう中で曲を作ることって自分の中でどういう位置付けだったんですか?
Meari:発散に近いかもしれない。「これいい」って思うメロディとか、音色にはこだわりがあったと思うので、GarageBandとか触ってみて作ったループにボーカル乗せてみるような、遊びみたいな感覚でやってました。
──ギターはいつ頃から?
Meari:ギターは、xiexie始めてからです(笑)。
──そうなんですか? じゃあ、ずっとひたすらGarageBandで作って溜めてたんですか?
Meari:そんな多くはないんですけど。飛田さんと出会ったときに聴いてもらってみたいな感じです。
──中国でタレント活動をされていたんですよね。
Meari:大学のときに、チャン・ツィイー主演の中国映画『初恋のきた道』を観て、思い立って上海に一人旅に行って、そこからです。中国ではミュージカルのような舞台に出させてもらったりとか、ライブも上海で1回ソロでやりました。