2022年は日本武道館 初出演という"最遅"記録の金字塔を成し遂げ、31年ぶりに日比谷野外大音楽堂にてワンマンライブを敢行したニューロティカが、2023年1月から毎月第2水曜日に10カ月連続ツーマンシリーズ『Big Wednesday』をホームグラウンドである新宿ロフトで開催中。その第5弾のゲストとして出演するのは、LUNA SEAのベーシストとして名を馳せる一方、自身のソロ活動も旺盛に繰り広げているJ。
一見、両者には接点がないように感じるかもしれないが、V系モンスターバンドの一員として一時代を築いたJが実はストリートに根差した硬派なロックのDNAを受け継ぎ、新宿ロフトのスピリットに対して大いなるリスペクトを捧げる骨太なバンドマンであることがこのニューロティカ アツシとの対談を読めばわかるはず。"新宿寄り"も"目黒寄り"も関係なし、ジャンルの違いも関係なし、胸を打つ表現に些細な区分けなど関係なし。良いものは良い。ただソレダケ。そもそもこの『Big Wednesday』という企画自体、いつものニューロティカの対バン候補には浮上しない意外な人選の妙が特性であり、魂が揺さぶられる表現はジャンルも世代もまるで関係ないことを実証しているイベントだ。ロックの真髄と醍醐味を味わうのなら、今回のニューロティカとJの対バンほど相応しい真剣勝負は他にないのではないだろうか。(interview:椎名宗之)
新宿ロフトは特別なオーラがあって憧れだった
──Jさんとの共演は今回が初ですか?
アツシ:2マンは初めてですけど、hideちゃんのイベント(『hide presents MIX LEMONeD JELLY 2017』、2017年8月5日開催)で共演したことがあります。
J:そうでしたね。
──それ以前に面識はあったんですか。
J:僕がLUNA SEAでデビューして、少し経ったくらいの頃、新宿ロフトのイベントによく遊びに来させてもらっていたんです。出る側ではなく観る側として。ご承知の通り、LUNA SEAのメジャーに至る道のりは“新宿寄り”ではなく“目黒寄り”だったんですけど(笑)、僕は日本のロックレジェンドたちの息吹を生で感じたい思いもあって、ロフトに遊びに来させてもらっていたんです。亜無亜危異のメンバー(仲野)茂さんや(藤沼)伸一さんにも可愛がられていたのもあって。そんな流れの中で僕がロフトにいたときも、アツシさんは凄く優しく接してくれました。
アツシ:“アツシさん”はやめてください! “あっちゃん”でお願いします!(笑)
──Jさんは新宿ロフト主催の『KEEP the LOFT “で で で 出てけってよ』(1994年7月10日、日比谷野外音楽堂)にも出演していただいているんですよね。当時、立ち退き問題に揺れていたロフトの存続支援イベントで。
J:はい。茂さん、マリ(逸見泰成)さん、コバン(小林高夫)さん、真島昌利さんと一緒に亜無亜危異の曲をプレイさせてもらいました。「ノット・サティスファイド」や「心の銃」といったナンバーを一緒に演奏できて本当に光栄でしたね。
アツシ:僕は当時、「うわッ、Jがロフトに来た!」と思った(笑)。確かその前にも会ってたんですよ。茂さんの誕生日に、茂さんのお母さんが赤羽でやってた店で会ったんじゃないかな。
J:ああ、そうでした。1月2日ですよね。
アツシ:うん。そっちのほうが驚いたもんね。なんでLUNA SEAのメンバーがこんな所にいるの?! って(笑)。でもそこで会話してたからロフトで会ったときも違和感がなかったんだと思う。
──LUNA SEAは1991年7月6日、7日に『UNDER THE NEW MOON TOUR EPISODE1』の一環で新宿ロフトに出演していただいていますし、同年10月13日にも『UNDER THE NEW MOON TOUR EPISODE III』の初日として新宿ロフトに出演していただいて(いずれもワンマン)、“新宿寄り”だった過去も窺えますね。
J:自分たちにとって当時のライブハウスシーンというのはやはり特別なもので、中でも新宿ロフトは本当に特別なオーラがあったし、目標や憧れでしたね。僕らは町田のプレイハウスというライブハウスで初めてライブをやって(1989年5月29日)、そこを拠点に次なるステップアップを目指して、自分たちのすべてを賭けてライブハウスシーンの中へ飛び込んでいった……当時はそんな印象があります。シーンの最前線にいる猛者たちが連日連夜出ていたのが新宿ロフトで、当時のライブハウスは今以上にそれぞれのカラーが明確にあったし、敷居も凄く高かった。もちろん良い意味で。だからロフトのような名の知れたライブハウスに出る前はもの凄く練習したし、自分たちの個性を如何に打ち出すかに躍起でした。バンドのカラーが被るのがとにかく嫌だったし、他の誰かと似てるなんて自分たちの存在意義が失われるように感じていました。それくらいバンド同士が個性を突きつけ合い、ぶつけ合う時代だったと思います。そういう時代を生きてきたので、ロフトで生まれた伝説みたいなものには憧れましたよね。
──綺羅星の如きバンドがロフトをホームグラウンドにしていましたからね。
J:亜無亜危異、ARB、ルースターズ、BOØWYといった日本のロック史にその名を刻む、名だたるバンドがロフトを根城にしていたじゃないですか。音楽的に硬派でストイックなバンドが数多くロフトを根城にしていたことで独特のカラーを放っていたし、ライブが終わってフロアで飲む場面まで含めて全部が映画のワンシーンみたいだった。しかもロフトには音楽だけではなく、ジャンル的にも業種的にもいろんな人たちが夜な夜な集まっていて、まさに時代の先端にいる尖った人たちが集う夢のような場所だったと思います。
すべてを投げ打ってバンドに賭ける覚悟がなければダメな時代
──打ち上げやパブタイムはそうして楽しく酒を酌み交わしても対バンとなれば一触即発、闘志を燃やすヒリヒリした空気が当時はありましたよね。
アツシ:あったね。いまJの話を聞いていて、沸々と闘志が湧いてきた。もうすでに勝負が始まってるな! って(笑)。Jの言う「バンドのカラーが被るのが嫌」とか凄いよくわかるし、そうやって熱くなってぶつかり合うのが基本だよね。ロフトでライブをやるにも、対バンとはリハーサルでも一切話をしなかったから。相手のことを直立不動で睨みつけたりして。音楽的なことはよくわからないけど、まずポーズから入るのが大事だったから(笑)。今となっては会場入りしてからすぐ対バンともワイワイ賑やかにやってるけど、当時はそんな感じだった。Jの話を聞いて昔の気持ちが沸々と湧き上がってきたし、なんか興奮してきた! こうなったらもう明日ライブをやっちゃいますか?!
──いくらなんでも早すぎですよ(笑)。でも確かに、昨今の若いバンドは妙に品行方正で、ライバル心をメラメラ燃やす感じではないですよね。
J:あっちゃんの言う当時のヒリヒリした空気がお互いを刺激し合って、それが結果的に音楽シーンを活性化させて実り多きものになったのは絶対ですね。僕ら世代はその過程を見て多大な影響を受けた側だし、そのシーンのど真ん中へ突進する覚悟をバンドを始めてから求められていた気がします。すべてを投げ打ってバンドに賭ける覚悟がなければダメな時代だったし、そういう感覚は今となればちょっと懐かしいですね。
アツシ:僕が初めてピエロのメイクと衣装でライブをやったのが、法政大学の学祭だったんですよ。法政大学の講堂で、500人くらい入るパンクのイベントが毎月あって。そこでピエロの格好で出て、パンクスに殴られたらそこで終わりだと思ってた。それがJの言う覚悟、自分なりの覚悟だった。その覚悟でライブを始めたら、モヒカンがダイブしてきたんですよ。それを見て「俺の生きる道はこれだ!」と思ったね。大袈裟かもしれないけど当時のライブは闘いだったし、闘ってケンカして仲良くなって今がある。今は歳を重ねて、最初からケンカしなくても仲良くできるようになったからヒリヒリすることもなくなったけど。
──覚悟を決める前のJさんは、ニューロティカに対してどんなイメージを抱いていましたか。
J:当時のインディーズシーンを牽引していた物凄いエネルギーを持ったバンドですよね。メジャーに行ってもインディーズの気概を忘れずに個性的な活動を貫いていたし、40年近くずっとバンドをやり続けてるエネルギーを保ち続けているのは驚異と言うほかありません。どのバンドよりも多く新宿ロフトでライブをやっていて、その記録はもはや誰も超えられませんよね。そうしたあっちゃんのモチベーションも含めて、エネルギーがどこから生まれるんだろう? と思います。
アツシ:僕としては、自分の好きなことをみんなに教えたいっていうのが常にエネルギーでありモチベーションなのかな。あそこのラーメン屋は美味しいよ、あのバンドは格好いいよ、あの公園は凄くいい所だよみたいなことを、歌を通じてみんなに知ってほしい。僕が面白い、楽しいと感じるんだから、みんなもきっと同じように感じるはずだし、それを独り占めしちゃいけないっていうタイプなので、みんなと共有して楽しみたいんです。それがニューロティカなんですよ。
J:あっちゃんは生粋のエンターテイナーですよね。今の発言からも僕はそれを凄く感じます。
──Jさんもエンターテイナーの称号に恥じない活動をされていると思うんです。4月に行なった『J LIVE 2023 SPRING』でも東京と大阪で必ずFC限定ライブを開催していて、常にファンを大切にしたブッキングを組んでいますよね。
J:もしもライブという表現の場所がなかったら、自分は音楽をやっていなかったかもしれないと考えることがあるんです。それくらい僕の音楽活動の中でライブは大切な場で、そうした場を自分の一番近くにいるみんなとまず共有したいし、それが何よりのエネルギーに変わっていくんです。自分にとって大切なものを確認できる場でもありますしね。だからFC限定ライブはずっと大切にやり続けているんです。