2022年は日本武道館 初出演という"最遅"記録の金字塔を成し遂げ、31年ぶりに日比谷野外大音楽堂にてワンマンライブを敢行したニューロティカが、2023年1月から毎月第2水曜日に10カ月連続ツーマンシリーズ『Big Wednesday』をホームグラウンドである新宿ロフトで開催中。その第6弾のゲストとして出演するのは、LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS。LOW IQ 01は、Hi-STANDARDと並ぶ"AIR JAM"世代を牽引したSUPER STUPID(1994年結成)の一員として名を馳せ、1999年からはソロ活動をスタート。90年代以降の日本のパンク、ミクスチャー、オルタナティヴシーンの生き字引とも言える存在だ。
今回は、一見まるで接点がないように思えるニューロティカのアツシとLOW IQ 01の共通項──音楽、パンク、バンドの在り方、昭和のプロレスに至るまでをテーマに、異種格闘技戦さながらに忌憚なく語り合ってもらった。新宿ロフトと下北沢シェルターの代理戦争とも言えそうな今回の対バン、『Big Wednesday』の中でも異色中の異色の組み合わせであるだけに従来以上に必見。その世紀の一戦を存分に味わうためのサブテキストとして本稿を一読していただければ幸いだ。(interview:椎名宗之)
昭和のロックスターが初対面の人と距離を縮める方法
アツシ:(ソファに座れず、用意した椅子を引きずりながら)今日はすみません。数日前にぎっくり腰をやっちゃったもので…。
01:あららら。何か重い荷物を持ったんですか?
アツシ:お菓子屋の仕事で、缶コーヒーを3ケースまとめて持とうとしたらやっちゃいまして。
01:僕も20歳の頃からずっとヘルニアで、身体を動かしたり忙しくしてると大丈夫なんだけど、じっとしてると腰が痛くなるんです。
アツシ:治療は?
01:いろんな所で診てもらったけど、結局、大事なのは散歩かな。散歩するのは凄い好きなんです。
──バンドマンで腰に爆弾を抱えているのは厄介ですね。
01:そうなんですよ。しかも僕のベースがまた特に重くて(笑)。
──今日はよろしくお願いいたします。お二人の接点がまるで見えないんですけど(笑)、どんなきっかけで知り合ったんですか。
アツシ:僕の中では2パターンありまして。1パターンはSHIBUYA-AXでやったSCAFULL KINGのライブを観に行ったとき、ライブ中に機材のトラブルがあったんですよ。そしたら市川くん(LOW IQ 01のこと)が舞台袖から颯爽と現れて、いきなり演奏し始めて。
01:ああ…確か急に呼ばれたような記憶があります。
アツシ:エッ! そんなことができるの!? って凄い驚きました。オシャレ系な売れ方をしたバンドはやっぱり違うなと(笑)。純粋に格好いいなと思いましたね。
01:SCAFULLが活動停止して何年か経った後のライブですね。僕は長髪で、オレンジ色のニットを着てた覚えがある。
アツシ:あれはホントにびっくりしたし、ステージを観て驚いた10大出来事の一つでした。市川くんの演奏も凄く自然でね。
01:SCAFULLはファミリーみたいなものだし、よくゲストで一曲呼ばれたりしてたんです。トラブルが起きて現場があたふたするのもなんだし、間を繋げたかったんですね。僕は出たがりなので(笑)。
アツシ:そのおかげでステージも客席も何一つあたふたしてなかった。あたふたしてたのは僕だけ(笑)。
──それがパターン1。パターン2は?
アツシ:場所は忘れちゃったんだけど、GAUZEのヒコにBACK DROP BOMBのライブを観に行こうと誘われたんですよ。
01:ジャンルが見事にバラバラですね(笑)。
アツシ:ライブを観て、打ち上げで飲んでたときに市川くんが来て、僕に何か歌を唄ってるの。面識はあったけど対バンしたこともないのに僕に何か唄ってくれてるなあ、これなんて曲だろう、凄くいい曲だなあ…と思ったら、「DRINKIN' BOYS」だった(笑)。あれは嬉しかったね。
01:なぜ「DRINKIN' BOYS」を唄っていたのかと言えば、その昔、『ROCKIN' DEX '88』というバンド名鑑みたいなビデオを擦り切れるほど見たから。あのVHSにニューロティカの「DRINKIN' BOYS」が入っていたんです。昔のブッチャーズとかも入ってて。あのビデオはアイゴン(會田茂一)の家でよく見たなあ。それはさておき、僕のパターンを言うと、あっちゃんを紹介してくれたのは意外にもSCAFULLの田上(修太郎)なんです。SCAFULLじゃなくFRONTIER BACKYARDの打ち上げで、田上が「あっちゃんを呼ぼう」と急に言い出して。呼んだらちゃんと来てくれて、そこでちゃんと話したのが初めてでした。田上が「あっちゃん、いっちゃんにちょっかい出しちゃダメだよ!」ってナゾの注意をしていたのを覚えてます。あと、時代はまだガラケーで、あっちゃんにガラケーのエッチな画像をいきなり見せられて(笑)。
──初対面だというのに(笑)。
アツシ:昭和のロックスターはエッチな写真で距離を縮めようとするんです(笑)。
01:もちろん僕はそれ以前からニューロティカのことは知っていました。最初に知ったのは80年代中期、1986年頃かな。当時、ニューロティカは『Oi of JAPAN』というオムニバスに参加していましたよね。Oiパンクってイメージはいかついけど、みんなで唄えるポップでキャッチーな音楽性だった。ニューロティカにもそういうシンガロングやコール&レスポンスができる親しみやすさが曲にありながら、ドラムが凄く速かったんです。だからニューロティカって音は凄くポップなのにBPMはハードコアだよね、って仲間内で話してましたね。海外で言えばTOY DOLLSやADICTSといったバンドがハードコアの人たちと一緒にやるみたいなニュアンスが、当時のニューロティカにはあったと思います。90年代にメロコアが台頭する前、80年代中盤にポップなメロディと速いビートで駆け抜けるバンドはたくさんいたし、それがベースとなり積み重ねとなって後にメロコアのムーブメントが起きたんだと思います。日本ではニューロティカやKENZIといったバンドがその種を蒔いていたというか。