東北の人たちに恩返ししたい、これからも共にいたい
──あとがきの「のりこえるのではなく、だきしめる。」という言葉、印象的です。
石井:あれほどのこと、乗り越えられないです…。乗り越えられないものは無理に乗り越えようとするのではなくて、自分を抱きしめてあげてほしい。私も12年間、抱きしめたいという気持ちで通い続けている部分があって。頑張れとか乗り越えようとか、それができない子もいっぱいいるのを見てきたので…。
──頑張れとか、なんていうか、他人事のような言葉になってしまうこともありますもんね。
石井:そうなんです。状況によってはとても心強い言葉で背中を押してもらえる言葉ですが、震災に関しては…、私は当事者じゃなくて、どんなに東北に通い続けても当事者にはどう頑張ってもなれない。でも当事者ではないからこそできることもあるということをこの12年間で教わったので、覚悟もしつつ表現していこうと思いました。
──やっぱり覚悟は必要でしたか。
石井:はい、必要でした。まだ終わっていない、続いているものですし。まず東北の方たちに届ける、見ていただくというのも、やっぱりとてつもない覚悟でした、私にとって。
──このインタビューの数日前の2月11日の月命日に『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』を、まず持っていったんですよね?
石井:はい! 見本誌が10日に届いたので翌日の月命日に持っていって。一番最初に東北に届けることができました。みんな本当に喜んでくださって。まだ見本誌だから一冊だけだったので、早く読みたい! 早く手にしたい! って言ってくれました。
──11日の前日に見本誌ができたって、最高のタイミング!
石井:ですよね!
──麻木さんの写真を見ていると、そしてこうしてお話させてもらっていると、人間って素晴らしいな! って思えるんですよ。
石井:素晴らしいんです、本当に! こんなに人ってかっこいいんだって何度も何度も思わされました。東北の人、カンボジアの地雷原で暮らす人、いろいろな場所のいろいろな人。もちろん人間の怖い面があるのは知ってますし、何度も傷ついたこともありますけど、でもやっぱり美しいなって思うことが何度も何度もあったので。それを信じていきたいです。信じられる経験をいっぱいさせてもらってきました。
──麻木さんに、これからどういう写真が撮りたいですか? とか、どういう写真家になりたいですか? って質問するのは野暮な気がして。それより、あの場所に行きたい、あの場所に生きる人に会いたい、そういう気持ちでカメラを持ってるんだと思うし。
石井:そうですね。『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』の帯に、福島県ご出身の箭内道彦さんが「撮りに行くのではない。いつも、会いに帰るのだ。東北に、その笑顔に。」って書いてくださって、本当にその通りなんです。実際毎月、会いに帰ってるんです。そしてそこで大切なものを写し続けたい、見続けたいっていう気持ちなんです。東北もミュージシャンやアーティストさんも役者さんも動物も空も子どもたちも心象風景たちも全部同じ気持ちで、一枚一枚大切に。毎回、これが最後の一枚になるかもしれないとも思いながら。
──震災以降、麻木さん自身が変化したことってあります?
石井:カメラを持って20年、そのうち12年東北に通い続けているので、東北は私にとって本当に大きな大切な場所で。私自身、変化はしたと思います。一生分くらいの悲しみをこの12年間で見てきました。私自身の心も何度も折れて、でも覚悟を持って写させてもらってきて、強くなったという言い方が合ってるかはわからないですけど……。写真展に来てくださる方の感想で、「強いですね」って言ってくださる方がいるんですが、本当はまったく逆なんですよね。凄く弱いから、動かないと現地のことばかり考えてしまうから。余震とか起きるたびに、どうしてるかな、あの子は泣いてないかな? って何も手につかなくなってしまう。だから毎月、通い続けているだけで。脆いからこそ続けてこれたんだと思います。その弱さや脆さが、徐々に弱いだけじゃなくなった12年間で、それを強さって言うのはちょっと違う気がしていて、ぴったりの言葉が思いつかないんですけど…。力とかエネルギーとかやさしい気持ちを東北からたくさんたくさんもらってきたので、恩返ししたいという想いと、これからも共にいたいという想いが大きいです。そして大切なもの、大切な人たちがいま生きている場所に行き、大切な人たちと会い、大切にしているものを見続けていきたいです。