ニューロティカに「速くてメロディアスな曲を増やしてほしい」とリクエスト
──〈TV-FREAK RECORDS〉からリリースされた3枚…『絶対絶命のピンチ!!』(TV-036 / 2000年5月発表)、『スイカマン』(TV-061 / 2001年8月発表)、『穴をふさげ!』(TV-067 / 2002年9月発表)はニューロティカにとって第二の黄金期と呼べる作品群だし、そうしたバンドにとっての重要作がRYOJIさんのレーベルからリリースされたのは浅からぬ縁を感じますね。
RYOJI:タイミングも良かったんだと思います。Hi-STANDARDのおかげでメロコアが日本でも認知され、その先駆者として再評価されるべき存在でしたので遂に時代とリンクしたんだと。
アツシ:あの時期、POTSHOTから始まって、GELUGUGUやロリータ18号、その後の175Rや氣志團、宮藤官九郎さんとグループ魂などは今でも恩人だと思ってるんです。特にPOTSHOTとRYOJIくんがいなかったら、今のニューロティカはなかったね。
RYOJI:あっちゃんはそう言ってくれるんですけど、その状況を乗り切ったニューロティカも凄いと思います。さっき客層が9:1の話がありましたけど、当時は地方へ行くとニューロティカのことを知らない僕らのお客さんがけっこういたんです。ニューロティカがステージに出てもお客さんの頭上に“?”マークが浮かぶような状況で、一緒に回った名古屋のダイアモンドホールは客席の1,000人が全員“?”マークでしたから(笑)。「ピエロの格好をしたヘンな奴らが出てきたぞ!」って(笑)。だけどニューロティカは持ち時間の30分をきっちりとやり切るんですよ、ネタも含めて。その後、徐々に「ニューロティカは面白くて楽しいバンドだ」という空気になっているのが会場の後ろから見ていても分かるようになったんです。バンドブームを経験して、一世風靡していたのに今や誰も自分たちのことを知らない状況に心が折れてしまう人たちもいると思うんですよ。
アツシ:そんなことすっかり忘れてた。今なら間違いなく心が折れてるよ(笑)。
RYOJI:でも、POTSHOTのお客さんにも「ニューロティカ、格好いいじゃん」と思われるまでやり切った凄さが当時のニューロティカにはありましたよ。それはいま自分が歳を重ねて余計に思います。若い世代のバンドとたまにライブをやると、ああ、こういうことをあの頃のニューロティカはずっとやっていたのか…と思うことがあるので。
アツシ:当時は全く余裕もなかったし、打算的に考えるとかは一切できなかった。ただ、ニューロティカのことが好きだと言ってくれたバンドのライブには全部行ったね。打ち上げにもちゃんと出てバカやって、「じゃあ3カ月後にライブね」と約束を取り付ける。このあいだPIGGSとの対談でも話したけど、移動に使う自転車のカゴが酔ってコケてボロボロになって(笑)。
RYOJI:中野で飲んでいた頃は自転車移動でしたね。その後、高円寺のJOEさん(G.D.FLICKERS)の店へ移動して。最後はあっちゃんがラーメンを食べたくなって店を探すんだけどどこも開いてなくて、しょんぼりして自転車を押しながら帰るという(笑)。
──『絶対絶命のピンチ!!』は、オリジナル作品としては前作の『崖っぷちのDANCE~前進前進また前進』から5年以上も空いていたし、メンバーも一新した作品ということで並々ならぬ気合いが入っていたんですか。
アツシ:久しぶりだったし、ここで終わるわけにはいかないし。ただ当時は、とにかくPOTSHOTを中心とした輪の中に入りたかった。CDを出してもらうのもその輪の中に入れると思ったからだし。
──〈TV-FREAK RECORDS〉としてもニューロティカの3作品は好調なセールスを記録したアイテムだったのでは?
RYOJI:そうですね。今でもそのニューロティカの3作がPOTSHOT以外では一番売れてるんじゃないですかね。ニューロティカもその時代にターゲットを合わせて作ってきてくれましたし、ベストなタイミングだったんだと思います。ただ、最初にもらったデモテープを聴いて、僕は生意気にも注文を出してしまったんですよ。
──どんなことですか。
RYOJI:当時のニューロティカはわりと本格的なロックをやりたかったと思うんです。だからミドルテンポや8ビートの曲が多かったんですけど、レーベルとしては僕が若いときにトキめいたような速くてメロディアスな曲、笑顔で唄えるような曲が欲しくて。それで「申し訳ないんですけど、速くてメロディアスな曲を増やしてもらえませんか」とお願いしたんです。
アツシ:そうだ、それでデモを練り直した。
RYOJI:曲作りの中心を担っていたカタルさんは、すでにTHE LOODSやLOUD MACHINEでキャリアのある人でしたし、そんなことを年下に言われてなんだこの野郎! と思ったと思うんです。でも僕のリクエストを受け入れてくれた結果、速い曲主体の『絶対絶命のピンチ!!』というアルバムが生まれたんですよ。そうやって年下である僕の言うことにも真摯に向き合ってくれたことに心意気を感じたというか、こんな若造の意見もちゃんと取り入れてくれるんだと嬉しく思いましたね。
北島:実際、そういう速くてメロディアスな曲がライブでウケてましたからね。一番初めのダイアモンドホールとかでは微妙な空気で盛り上がらなかった曲もあったのが、修正されていったんだと思います。