旧ロティカがやってきたことを、カタルとナボがわずか数年でひっくり返した
──あっちゃんは旧メンバーがごっそりやめたときに別のバンドをやろうという発想はなかったんですか。
アツシ:JACKieがやめるときに「もうやめようか」とカタルとナボちゃんに言ったけど、二人に「絶対にやめちゃダメだ」と言われたんだよ。
RYOJI:カタルさんとナボさんの存在は当時のあっちゃんにとって凄く大きかったと思うし、あの二人は凄いですよね。
アツシ:うん、凄いよ。旧ロティカが10年かけてやってきたことを、カタルとナボちゃんはわずか2、3年くらいでひっくり返したんだから。
──それこそ〈TV-FREAK RECORDS〉在籍時、歌舞伎町に移ったLOFTでニューロティカの動員がぐんぐん伸びていくのを目の当たりにしました。2000年代に入ってすぐのニューロティカはとにかく勢いが凄かったし、その直後に『A.I カンパニー』という豪華面子によるトリビュート・アルバムが作られたのも納得の流れでしたね。
アツシ:POTSHOTが「青春 III」で参加してくれてね。あのトリビュートはラッパ我リヤの事務所の女性社長に呼ばれて、「バンドとしてどんなことをやりたいですか?」と訊かれたから、ちょうどその頃、トリビュートが流行っていたので「トリビュートがやりたいです」と答えてさ。それでその社長がビクターの田中さんという偉い人に電話したら「いいよ」とその場ですぐにOKが出たんだよ。エッ、そんな簡単に決まっちゃうの!? とビックリしたけど(笑)。
──まさに北島さんの言う通りですね。「言うのはただ」(笑)。
RYOJI:だけどあっちゃんは“トリビュート”の意味が分かってなかったんでしょ?
アツシ:そうそう。STAR CLUBのHIKAGEさんがソロでトリビュートを出すから唄ってくれよと連絡が来たんだよ。それでJACKieに「トリビュートって何?」って訊いたら「人が死んだら出すものだよ」って言うから、HIKAGEさんに「誰かお亡くなりになったんですか?」って訊いたら「死んでねえよ」って言われちゃった(笑)。
──トリビュートといえば、POTSHOTのトリビュート・アルバム(『SiNG ALONG WiTH POTSHOT』)にニューロティカが参加したこともありましたね。
アツシ:あったね。「MEXICO」を唄ったやつだ。
RYOJI:あっちゃんには難しかったんじゃないですかね、英語の歌だから(笑)。海外のバンドのトリビュート・アルバムに参加しないかという話がニューロティカにもけっこう来ていたらしいんですけど、英語の歌だからとあっちゃんが全部断っていたみたいで(笑)。
アツシ:唯一の例外がクラッシュのトリビュート(『THE CLASH TRIBUTE』、「Janie Jones / Death Is A Star」のメドレーをカバー)。
RYOJI:カタルさんとナボさんが「クラッシュだけは絶対やりたい」ということで。
アツシ:僕が営業して取ってきた仕事だったんだけど、あれ、誰が唄うんだっけかな? と思って(笑)。ラモーンズ(「You're Gonna Kill That Girl」)は日本語にしていいって言われて助かったんだけどね(笑)。
──カバーはその人の力量とセンスが問われるので難しいし、だからこそ先日のあっちゃんとJOEさんの合同バースデー・ライブ(2022年10月20日、新宿LOFT)でRYOJIさんが披露したジュンスカのカバーは絶品だと思いましたね。
RYOJI:ああ、若手筆頭として参加したライブで披露した「すてきな夜空」ですね。あれは相当唄い込んでますから(笑)。あの日もけっこう覚悟して本番と打ち上げに臨んだんですけど、あっちゃんはすぐ帰っちゃいましたね。
アツシ:次の日が仕事だったんで…。
RYOJI:LOFTでカバー・イベントなら、これは朝までコースかなと覚悟していたんですよ。相変わらず僕が一番年下だし(笑)。だけどあの日はニューロティカのRYOくんが僕よりちょっと下だと分かって安心していたら、RYOくんに「終電なので帰ります」と言われちゃって(笑)。あっちゃんも乾杯だけしてすぐ帰ったし、終電のタイミングで半分くらいが帰っちゃって、打ち上げ自体がわりとあっさり終わって。あの面子だったら昔は間違いなく朝までコースだったのに。
アツシ:あの日、LADIES ROOMのGEORGEはそうなると思ってLOFTの前のホテルを取ってたらしいけどね(笑)。
アツシとの出会いで芽生えた、上の世代の音楽を若い世代に伝える使命感
──今回の『ビッグ・ウェンズデー』で、両者が最後にセッションをやってみるとかの予定はあるんですか。
アツシ:そういうのは今までやったことなかったよね?
RYOJI:ないことはないですよ。POTSHOTのステージにあっちゃんが飛び入りして「DRINKIN' BOYS」を唄ったり、客として観ていた僕が急に呼ばれてみんなで「チョイスで会おうぜ」を唄ったりしたことはありました。
アツシ:今回も何かあるかもしれないということで、夢の共演に期待してください。
RYOJI:お客さんはだいぶ見飽きてると思いますけど(笑)。
──打ち上げはどうなりそうですか。
RYOJI:どうだろう。1月11日は平日ですからね。
アツシ:じゃあ、LOFTの前のホテルを取りますか!(笑)。
RYOJI:(笑)歌舞伎町LOFTの柿落としでニューロティカとツーマンしたときのセットリストを再現できたら面白いなと思ったんですけど、探しても見つからなかったんですよ。
アツシ:僕は多分、残してあるな。出演記録ノートの端っこにセットリストがあるはず。
RYOJI:古い手帳を見つけられれば分かるはずと思っていて、手帳は見つかったんだけどセットリストが書いてなかったんですよ。書いてあったのはスケジュールだけで。
──調べたところ、POTSHOTの新宿LOFTでの初ライブは1997年6月29日に行なわれた『SKA IS IN THE HOUSE』だったんですが、POTSHOTは小滝橋通り沿いにあったLOFTよりも歌舞伎町LOFTのイメージが強いですね。
RYOJI:西新宿LOFTはぎりぎり間に合ったんですよね。それからすぐにLOFTが歌舞伎町へ移ることになって、広くなったなあ…と感じました。今度はこの新しいLOFTで、あっちゃんのように最多出演を目指してやろうくらいの気持ちでしたね。
アツシ:僕は移転前のLOFTでPOTSHOTを観た記憶はないな。LOFTが移転する前後はバイトもしてたし、前ほどちょくちょくLOFTへ飲みに行けなかった。ちょうどその頃だよね、POTSHOTと出会ったのは。最初の話に戻っちゃうけど、あそこの世界へ飛び込めば絶対に楽しくなれるぞって確信があったね。それまではずっとワンマンばかりだったし、それが普通だと思ってたけど、初めてPOTSHOTを観たON AIR WESTに出てるようなバンドたちと一緒にライブをやりたいと思うようになった。
──まさにあっちゃんにとって転機でしたよね。RYOJIさんにもそんな転機がこれまでのバンドマン人生の中でありましたか。
RYOJI:やっぱりあっちゃんとの出会いは大きかったと思います。自分たちの前の世代の人たちとは違うことをやるぞとPOTSHOTを始めたものの、ニューロティカを筆頭に「こんなに格好いいバンドがいるんだよ」と若い子たちに伝えたい気持ちが強くなっていきましたから。ニューロティカ以降、G.D.FLICKERSやSOUL FLOWER UNIONだったうつみようこさんやLONESOME DOVE WOODROWSの作品などを〈TV-FREAK〉で出すことになったりもして、新しいことをやっていたつもりが音楽の地層は繋がっていたというか。上の世代にも良い音楽はたくさんあることを若い世代に伝えたいという勝手な使命感みたいなものがいつしか芽生えましたね。それは間違いなくあっちゃんと出会ってからなんです。
──仲野茂さんがLOFTで主催していた『THE COVER』にRYOJIさんが呼ばれるようになったのも、あっちゃんとの交流があったからこそですよね。
RYOJI:でしょうね。いつまで若手筆頭なんだろう? とは思いますけど(笑)。僕が一番年下なのに、サンハウスの柴山俊之さんやARBのKEITHさんを差し置いて、なぜか乾杯の音頭を取らされたこともありました(笑)。
アツシ:亜無亜危異の茂さんの命令だから、仕方ないよね(笑)。ニューロティカの武道館の打ち上げで、茂さんに「RYOJI、お前が武道館でやるときは俺が『君が代』を唄ってやるからよ!」と言われてたよね(笑)。
RYOJI:そうそう。「はい、任せてください!」なんて返事しましたけど(笑)。一生、武道館でなんてやれないよなとか思いつつ(笑)。
──話は尽きませんね。『ビッグ・ウェンズデー』初回のニューロティカは、〈TV-FREAK〉時代の楽曲中心のセットリストになりそうですか。
アツシ:そのつもりです。最近はそのへんの曲を集中してやってこなかったので僕も楽しみです。じゃあこれを機に、ニューロティカの〈TV-FREAK〉時代のベスト盤を出しましょうか?
RYOJI:もう2枚も出してますから(笑)。ベスト盤に入るような新しいヒット曲をカタルさんにまた作ってもらわないと。やっぱり速くてメロディアスな曲を(笑)。
アツシ:はい、新曲はカタルに任せて(笑)。1月11日は新宿LOFTでサイコーのライブをやってから楽しい飲み会をやるんで全員集合で(笑)。この日まだまだ客席がスカスカなんで焦って、急にこの対談をやってもらうことになったので、そこんとこヨロシク哀愁(笑)。