みんなが元気なうちはPOTSHOTをやっておこう
──当時のあっちゃんは旧メンバーを見返してやるぞという思いもあったんですか。
アツシ:なかったね。そんなことを考える余裕は全然なかった。ウチをずっと応援してくれていたABCマートの(谷津)薫がやっていた『厳しい業界』ってイベントで、ウチと、ウチを辞めた修豚がSHONと始めた30%LESS FATを一緒にやらせたがっていたけど、僕はロティカを辞めた人間が、また新しいバンドを始めて複雑な気持ちがあったので「30%が出るなら出ない」とずっと断ってた。それから〈TV-FREAK〉からCDを出して、東名阪なら500人くらい入るようになってから、JACKieのバンドと30%とウチらで名古屋と大阪を回ったんだよね。ウチのワンマンにゲストで呼んで、オープニングで出てもらってさ。「俺のほうが人気があるんだよ!」って見せつけてやろうと思って(笑)。
RYOJI:いやらしい(笑)。
アツシ:で、そのときは昔のニューロティカの曲は一切やらなかった。〈TV-FREAK〉の曲だけで名古屋と大阪をやり切った。JACKieのバンドと30%に「どうだ、お前ら! 頑張れよ!」って(笑)。それで終わり。
RYOJI:当時、ニューロティカの旧メンバーに会うと、みんなに「CDを出してくれてどうもありがとう、あっちゃんのことよろしくね」と言われたんです。修豚さんにもJACKieさんにもSHONさんにも。バンドをやめてもみんなニューロティカのことが大好きなんだなと思って。
──『絶対絶命のピンチ!!』ではゆでたまごさんに、『穴をふさげ!』ではみうらじゅんさんにそれぞれジャケットのイラストを依頼していましたが、それも勢いのなせるわざだったんですか。
アツシ:あれは北島さんに「あっちゃんに本当にお願いしたい気持ちがあるのなら、予算は少ないのですが、一度相談してみたほうがいいんじゃないですか。言うのはただなんだから」と言われたから。それで、ゆでたまご先生に電話したら「いいよー」と快諾してくれて。みうらじゅん先生からもすぐにレスをいただけて、本当の大物は話が早い(笑)。キン肉マン、松本清張さんと、とんまつり。凄いよね。
RYOJI:そこからですよね、夏フェスの主催者にも片っ端から電話して。言うのはただだから(笑)。
アツシ:そうそう。本気で出たいと思ってたからさ。北海道の『RISING SUN』を主催するWESSさんや『ARABAKI ROCK FEST.』の主催のGIPさんに電話したら「エッ、本人ですか!?」と凄く驚かれたけど(笑)。
──新宿LOFTで毎月第2水曜日に10カ月連続ツーマンを敢行する『ビッグ・ウェンズデー』の初回ゲストは、POTSHOT以外に考えられないということで選ばれたんですか。
アツシ:そうです。僕の熱烈なオファーに応えてくれて、本当に有難い限りです。
RYOJI:本当に僕らで大丈夫ですか? 解散もしてますし、人気も若さもないんですけど(笑)。
アツシ:ツーマンはいつ以来になるのかな?
RYOJI:いつですかねえ……。東北ツアーを一緒に回りましたよね。その流れで函館まで一緒に行って、札幌だけ別々にやって。
アツシ:その札幌の打ち上げで、ナボちゃんとシズヲが酔って殴り合いのケンカをして(笑)。ギタリストは指が大切だからってナボちゃんがシズヲの指を噛んだりして大変だと聞いて、シズヲの部屋に行ったらナボちゃんがなぜかパンツ一丁でシズヲと仲良く飲んでいました(笑)。
RYOJI:POTSHOTは2005年に解散して、これまで何度か限定復活してきたんですけど、一度解散を経験するとあの当時のあっちゃんの凄さを実感しますね。自分の居場所がなくなっても新しい場所に食い込んでいこうとする覚悟と実行力があったというか。そういうことを何年も前にあっちゃんは実践していたんだなと。当時の僕はただ単に、自分の好きなバンドを若い子たちに聴かせたい気持ちがあっただけなんですけどね。メロコアが流行る前から速くてメロディアスで楽しいパンクをニューロティカがやっていたんだよと若い世代に教えたかったんです。
──今は周囲の期待に応えたくてPOTSHOTを期間限定でやっている感じですか。
RYOJI:自分としてはやり切った気持ちがあって解散して、新しいバンドも始めていたんですけど、改めてPOTSHOTをやると周囲が凄い喜んでくれるんです。フロアにいるお客さんはもちろん、昔お世話になったスタッフがまだ現場にいて喜んでくれて。大阪のグリーンズがやっている『RUSH BALL』って夏フェスは当時大学生バイトだった力武くんってスタッフが出世してて、20周年なんで再結成お願いしますって連絡くれたり、『ARABAKI』の菅さんやSMASH EASTの五十嵐さんなども声かけてくださって、ライブに行くといろんな町で待っていてくれている人がいるんだと実感して、自分の中で徐々に考え方が変わって。それで誰かのお祝い事とか何かの節目にはPOTSHOTをやってみようって気持ちになれたんです。2015年の結成20周年のときはそんな感じでした。そこで自分でも手応えを感じたので、2020年の25周年にはみんな元気だったらツアーを、と話していたんです。そしたらコロナになっちゃって、年間で十何本か組んでいたライブが頭の2本くらいしかやれなくなってしまった。その振替公演が未だに残っていたり、新規の公演オファーが来たりもして今に至る感じです。メンバーはそれぞれメインのバンドがあるので、その邪魔にならないようにやっています。
──主軸が他のバンドに移れば、POTSHOTと向き合う気持ちも多少変化したように感じますがどうですか。
RYOJI:解散前はこれで食べていかなきゃいけないという気負いもあったけど、今はメインのバンドがあった上でのPOTSHOTなので、せっかくやるなら楽しいほうがいいよねという感じでやっています。たとえば、ツアーをやるなら必ず打ち上げをして泊まれる日程にするとか。何なら前乗りもしたりして。そういうのを優先してやっているのでバンドの雰囲気もいいですね。もしかしたら当時よりも仲がいいかもしれない(笑)。いつだったか、トランペットのMITCHYが話していたんですよ。「誰かが病気になったり死んでしまったらもうバンドはやれないんだから、みんなが元気で生きているうちはバンドをやっておこうぜ」って。本人は何気ない気持ちで言っただけなんだろうけど、同世代でも、もう亡くなってしまった仲間もいるので、その言葉が自分の中でずっと引っかかっているんです。