シェルターでソールドアウトさせるのは最初の大きな関門
──再始動後の怒髪天の初シェルターはいつなんだろうと調べてみたら、SUPER SNAZZの企画でしたね(1999年10月23日、『SUPER SNAZZ PRESENTS “BUBBLEGUM-Z” VOL.3)。LAUGHIN' NOSEと怒髪天がゲストで。
増子:ああ、あれか。覚えてるよ。SNAZZはほら、ミッチ(spike)が札幌だから。札幌っていうか、あいつは江別だけど。
──それと忘れちゃいけないのが、怒髪天の自主企画『トーキョーブラッサム』の始まりは他でもないシェルターでしたよね(2000年4月27日、『怒髪天企画 トーキョーブラッサム vol.1~故き温め、新しきを知るとは~』。ゲストはOi-SKALL MATESとJackie&Enocky)。
増子:そうだね。もともとはシェルターでやるために始めたイベントだから。俺がシェルターでやったライブで一番鮮烈なのはワンマンかな(2001年2月24日、『au presents LIVE RECOMMEND トーキョーブラッサム vol.4~如月ニーチェ~』)。『如月ニーチェ』のレコ発で、eastern youthにシークレットで出てもらってさ。あれがやっぱり一番だね。
──その前の週に渋谷のクアトロで行なわれたeastern youth主催の『極東最前線33〜新世紀上等!!〜』に怒髪天がゲスト出演して、翌週のシェルターで主催とゲストが入れ替わったんですよね。
増子:そうそう。初のワンマンでちゃんとシェルターが埋まったのも感慨深かった。
TAISEI:俺もシェルターで初ワンマンをやった時は埋めたいと思ったし、ソールドアウトにしたかった。シェルターでソールドアウトさせるのって一つの大きな関門なんだよね。
増子:そう、第一段階としてすごく大きい。当時、ロフトが歌舞伎町に移転したじゃない?
TAISEI:むっちゃデカくなってね。
増子:そうなのよ。いきなり550のキャパになって、とてもじゃないけど埋めれない。こりゃ参ったなって時にシェルターがあった。しかも雰囲気が昔のロフトに近くてね。
鈴木:前のロフトでもやってるんですか?
増子:うん、やってる。
TAISEI:俺もやってる。
鈴木:いいなあ。僕らは前のロフトでライブをやったこともなければ行ったこともないんですよ。敷居が高すぎて近づけなかったし、ロフトに出たのは新しくなってからなんです。
増子:前のロフトは敷居が高かったし、なかなか出れなかったね。ロフトはやっぱり日本一のライブハウスだから。
TAISEI:でも俺、高校生の頃からSAやってるじゃん? その時に呼ばれたんだよ、LOODSってバンドに。
増子:R.B.F.(レーベル)の西村(茂樹)さんのバンドね。
TAISEI:うん。SAが『I GET POSITION』を出したり『Oi of JAPAN』に参加してたから、西村君がR.B.F.の企画に呼んでくれたの(1986年3月28日、『Loud Machine Tour』)。「どこでやるの?」「ロフト」って言うんだけど、当時の俺はロフトを知らないわけよ。
増子:俺はARBの「LOFT 23時」を聴いて憧れてたよ。新宿に行けばロフトがあるんだなと思って。
TAISEI:俺は全然知らなかった、岐阜の高校生だったから。だからロフトがすげえって感覚が分からなかったんだよ。その後東京に出てきて、BAD MESSIAHでもよく出てたから、圭介の言う「ロフトは敷居が高い」っていうのがよく分からない。まあ、今思えば怖いもの知らずだったけどね。
増子:集客のあるバンドに誘われるタイミングも良かったんだろうな。一からロフトを埋めるのはまず無理だよ。
──圭介さんはどうですか、今でも記憶に残るシェルターでのライブといえば。
鈴木:僕らが26、7の頃だったかな。年越しのオールナイトに何回か出たんですけど、ある時掛け持ちで出たんですよ(おそらく1995年12月31日〜1月1日、『THE FINAL OF 1995 〜presented by SHELTER〜』)。Queと渋谷の屋根裏を回って、シェルターをラストにして。確か朝の4時くらいだったかな。その途中に文化放送の生放送に酒を飲みながら出たもので、シェルターに着いた頃にはメンバーもマネージャーもベロベロで。僕は飲めないので冷静だったんですけど。なかでも酷かったのが竹安(堅一)で、ろくにギターは弾けないわ、間違えまくるわ、「恋をしましょう!」って僕が3回くらい叫んでも全然入ってこない。しまいには僕のハープアンプを笑いながらバーンと倒して、もう僕は完全にブチ切れですよ。お客さんのいる前で竹安に飛び蹴りしましたから。
TAISEI:正月早々なにやってるんだよ(笑)。
鈴木:お客さんもシーンとしちゃって。出番が終わって楽屋でメンバーに言いましたからね、「俺はもうやめる! 名古屋へ帰る!」って。マネージャーもベロベロに酔っ払ってたので、ローディーのQ太郎が「お前が何とかしろ!」ってマネージャーをぶん殴ってたんですよ(笑)。
増子:最低だけど笑えるな(笑)。
鈴木:お客さんから初めて「金を返せ」って言われたし、ホントに最低でしたよ。その後、正月の2日くらいに竹安から電話がかかってきて、「すいませんでした」と。それ以来、酒を飲んでライブをやることはなくなったんですけど、あれはシェルターでやった最低のライブというより、今までやったライブで一番最低のライブでしたね。