本日2021年10月1日、下北沢シェルターはオープンから30周年を迎えた。
ライブハウスではいつの時代も新進気鋭の若いバンドに幅を利かせてほしいものだが、シェルターのような老舗ライブハウスの軌跡を辿る上でその創成期から出演しているキャリア組の証言は欠かせないだろう。そこで今日からシェルターで始まる総勢30組のアーティストによる30日間連続ワンマンライブ『SHELTER 30th ANNIVERSARY "LOOK BACK ON THE 1991-2021"』にも出演する怒髪天の増子直純、フラワーカンパニーズの鈴木圭介、SAのTAISEIというシェルターに深い思い入れのある3人に集まっていただき、今なお鮮烈な記憶として残る揺籃期のライブ、他のライブハウスにはないシェルターの特性などについて大いに語ってもらった。[interview:椎名宗之 / photo:山川哲矢(Showcase)]
和式のトイレと楽屋の洗面台のナゾ
──シェルターと聞いて思い浮かべるのはどんなことですか。狭い楽屋だったり和式のトイレだったり、いろいろあると思うのですが。
増子:シェルターって言えば“OPEN MIND”だよね。トイレのドアに書いてあった落書き(笑)。ずーっと残ってたけど、まだあるのかな?
──3年前、洋式のトイレに変わった時に落書きは一掃されましたね。
増子:あれは残しといてほしかったな。だけどなんでトイレは和式だったんだろうね?
鈴木:楽屋のトイレも和式でしたよね?
増子:バリバリ和式だったよ。(註:フロアのトイレ同様、2018年3月に晴れて洋式となりました)
TAISEI:あと、楽屋の洗面台になぜか板がはめ込んであってね。みんなあそこに座っちゃうからだろうね。
増子:できればあの板を平らにしてほしいわけよ。モノを置けるから。
鈴木:ああ、斜めになってますもんね。(写真下参照)
──いきなりマニアックな話になってますけど(笑)。各自、シェルター初出演のことは覚えていますか。
TAISEI:SAの初めてのワンマンがシェルターだったんだよ(2002年8月4日、『「GREAT OPERATION」発売記念ワンマン』)。シェルターがオープンしたのはSAの活動を再開させる前だから、ライブハウスにはあまり出てない頃でね。だから「ああ、ロフト系列の店が下北にできたんだ?」くらいの認識だった。BAD MESSIAHはロフトには何度も出たけどシェルターには出てない。
増子:シェルターは俺たちが上京した年(1991年)にできたんだよね。ちょうど30年前。
──怒髪天がシェルターに初めて出たのは1992年6月11日、共演はGearと破天荒というバンドだったようです。
増子:破天荒に怒髪天、ややこしいな(笑)。
鈴木:破天荒って名古屋のバンドですよ。近所に車が停まってましたから。
増子:マジで? よっぽど俺らのほうが破天荒だったけどね(笑)。でもそのブッキングは全然覚えてないなあ…。
TAISEI:チケット代は?
──前売1,500円、当日1,700円です。
TAISEI:いい時代だよねえ。
増子:昔は安かったから。
──フラカンのシェルター初出演は1993年9月21日で、FLOWERS OF ROMANCE、ZOSETS、SNAKY JOEが対バンでした。
鈴木:あれっ、それが最初ですか? LEEDSっていう中谷のブースカさんのバンドと対バンしたのが確か最初だったと思うんですけど。(註:後日調べたところ、THE LEEDSとの共演は1993年11月14日だったことが判明)
増子:FLOWERS OF ROMANCEにフラワーカンパニーズっていうのもややこしいね(笑)。
──フラワーズというバンド(桜井秀俊&パイオニアコンボにも在籍した上野一郎がベース担当)も初期シェルターの常連でしたし(笑)。
鈴木:その最初のシェルターだったというライブも共演バンドも全然覚えてないですね。
増子:ホーボーズジャングルくらいしか覚えてないな(笑)。
鈴木:ゆうたろうさんのバンドですね。