あまりに意外すぎた驚愕のシークレットゲスト
──若い人には何のことだか全然分かりませんよ(笑)。フラカンはアンティノスからデビューする前にシェルターで研鑽を積んでいたことになりますね。1993年に3回、1994年に7回、1995年に7回出演していたので。
鈴木:そうですね。当時はまだ名古屋にいて、東京へツアーに行く時は曼荼羅と四谷フォーバレーとシェルターにお世話になっていたんです。というのも、その3つはノルマがなかったから。ノルマのないライブハウスを探してデモテープを持っていくんですけどどこも聴いてくれなくて、××××××なんて全然聴いてくれませんでしたからね。あと、○○○は断られました。
TAISEI:そこは使えないよ(笑)。
増子:いや、全部書いたほうがいいよ(笑)。でも××××××なんてそんなに敷居が高くなかっただろ?
鈴木:そうなんですよ。でも何回電話しても「ああ、聴いとく」って言うだけで全然相手にされなくて。
増子:○○○はテープ審査とかあったよな。
TAISEI:ああ、テープ審査とかやったクチ? 俺は幸か不幸か、そういうの一回もない。
増子:俺らはテープや資料を渡して「ここで唄わせてください」ってお願いして出たけど、だいたい一度出たら二度と声がかからなかったね。「個人的にはいいと思うんだけどウチの店にはちょっと…」とか永ちゃんみたいなことを言われて(笑)。
──「俺はいいけどYAZAWAがなんて言うかな?」的な(笑)。SAの『GREAT OPERATION』発売記念ワンマンは、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTがシークレットゲストとして出演したんですよね。
TAISEI:そうそう。シェルターにはそれまでも何回か出てたけど初のワンマンだし、何か面白いことをやりたくて、どえらい奴をシークレットで呼ぼうってことになったわけ。チバ(ユウスケ)に話したら「いいよ」ってことで、その代わり絶対にシークレットにしてくれと。で、当日フロアがパンパンの状態でミッシェルが出てきたら、お客さんはポカーンとしてるのよ。まさかこんな所にミッシェルが出るわけないし、誰? みたいな(笑)。終始ずっとそんな感じで、終わった後にあいつらが「やっぱり俺らももうちょっと頑張らないとダメだな」って言ってたよ(笑)。
増子:お客さんもあまりのことでびっくりしてたんじゃない?
鈴木:それ、キュウちゃん(クハラカズユキ)が言ってたかも。「『CISCO』をやっても全然盛り上がらなかった。あんなにシーンとした『CISCO』は初めてだった」って(笑)。
TAISEI:俺らとミッシェルがつながってるのを知らない人たちが多かったんだろうね。その意外性を狙ったんだけど、あまりに意外すぎたかな?(笑)
増子:俺たちはシークレットでスガシカオさんに出てもらったことがあったな(2010年1月17日、『オトナ真剣ゼミナール“SHELTER留学”』)。
──ありましたね。それこそ元ミッシェルのウエノコウジさんも同じくシークレットで。
TAISEI:スガシカオはさすがに「わぁ!」の大歓声やろ?
増子:「わぁ!」よりも「ええッ?!」だよ。あまりにわけわかんない状態だからそっくりさんに見えるっていう(笑)。みんなシェルターになんて来るわけないと思うしさ。
──フラカンもシークレットで誰かを呼んだりしましたか。
鈴木:厳密に言うとシークレットではないですけど、シェルターに出始めた頃、ライブの2、3日前に「前座を入れていいですか?」って急に言われて出たのがデビュー前の山崎まさよし君だったんですよ。まだ誰にも知られてない頃だったけど、弾き語りがめちゃくちゃ上手くて格好良くて。その後がすごく出づらかったですよ。こんな人が出てくるなら先に言ってくれよと思いましたね(笑)。
増子:それは見事に潰されたな(笑)。
──フラカンはシェルターでエレファントカシマシとも対バンしたことがありましたよね(1995年7月16日)。
鈴木:はい、対バンしましたね。
──エレカシが一時期メジャーから離脱していた時期で。
増子:その同じ時期に俺たちもエレカシと251で一緒にやったよ。当時の俺たちはリハからガンガン飲んでて、エレカシのリハを見たら「やっぱりいいなあ」と思って「一緒に飲もうよ」って誘ったの。メンバーはみな無頼どもなんだろうとか思って。そしたら「いや、本番前は…」って断られちゃってさ(笑)。意外と真面目なんだなと思った。