ライブのような音響と空間でfOULを体験できる
──うんうん。逆から言えば、ドストエフスキーやフッサールといった昔の哲学者たちも、私たちと同じように実は生活に根差したことを考えてたんじゃないかって。時代を飛び越えてる感じで痛快。
大石:それを体現できる健さんって凄いですよね。その世界観を3人が共有して作ってる感じも凄い。実はfOULの曲って映像的だと思うんです。曲を元に一つの映像が作れる曲、一本の映画が撮れるような世界観がありますよね。
──大石さんにfOULのMV作ってほしいな~。いつかfOULの休憩が終わったらもちろんライブも撮ってほしいし。こうして話してても、思い出話というより今として語れるのが不思議ですよね。不思議なバンド。
大石:そうですよね。曲も歌詞も、時を経れば経るほど気づくことがあったり染み入っていくようだったり。「あ、この曲、今のこのタイミングなら分かる!」みたいな。だから、青春のあの頃を聴き直すって感覚には全くならないんですよね。先日の配信でいろんな方にインタビューさせていただいて、やっぱり皆さん、懐かしい感じはしないって言ってました。NRQの吉田(悠樹)さんが「fOULの曲は消化できないし、今でも理解できないからこそずっと新しい状態で聴ける」みたいなことをおっしゃっていて。私もそういう感じで。ずっと現在進行形なんですよね。fOUL本人たちにとっても現在進行形なんだなって、3人それぞれにインタビューして感じましたし。私はインタビューで、やっぱり昔の話を聞くって感じで質問していたんですけど、自然に、ネタバレになるとアレなんですけど、大地さんが「やりたいねぇ」って言って。自然にぽろっと出てくる感じなんですよ。学さんもfOULを日常的に聴いたりするって言ってたし。3人ともfOULは続いてるんだなって。
──解散じゃなく休憩ですもんね。
大石:ですよね。それで…、ドキュメンタリー的な性質として、カメラを人に向けると何が起こるか分からないっていうことがあると思うんですけど、最初、3人別々にインタビューしていて、大地さんが「3人が一緒のところは撮らないの?」って。私がびっくりしちゃって。「え? いいんですか!?」って。この映画は再活動を目論んだものではないし、なにか含みのあるものにはしたくないって長谷川さんと話して進めていたので、3人を会わせようとは思わなかったんですよ。それがサラッと大地さんが「3人のところ撮らないの?」って。もしかしたらカメラを向けなければこういうことにはならなかったかもしれない。「撮る行為」があったから、そこから動き出すこともあるって、私は思っているので。
──まさにドキュメンタリー。
大石:大地さんに助けられたっていうのは凄いあります。それによって、私にとっても予想し得なかったことが起きた。人生の面白さ、みたいなものも感じて。
──うんうん。ところでそもそも最初fOULの3人には、映画を作るってことをどんなふうに伝えたんですか?
大石:『MOTHER FUCKER』を公開している頃に長谷川さんと「fOUL、作っちゃいます?」ってなって、水面下で映像を集めていて、『JUST ANOTHER』が終わって本格的に編集作業に入って。3人に話をしたのは、『MOTHER FUCKER』が終わってからかな。で、その後、BEYONDSのライブで健さんと大地さんに「来年には公開するようにしたいんでお願いします」って挨拶したら、「え? DVDじゃないの?」って(笑)。
──まさか映画とは! って(笑)。そもそもDVDって発想はなく?
大石:DVDって選択は全くなかったです。同じ空間で観るっていうことが大事なので。ライブと同じような空間で、ライブのような音響でライブを体験できる、fOULを体験できる、それが大事ですから。ライブと近い体験ができるのってDVDとかではなく映画館ですよね。
──まったくそうです。音も迫力あって素晴らしい。
大石:二宮さん(二宮友和/PANICSMILE, ex-eastern youth)とPAの今井朋美さんのミックスが素晴らしくて。ホントにライブを体感しているようにしてくれて。自分がシェルターにいるような、ここはシェルターだ! って感じました。ミックスは誰がいいですか? ってfOULの3人に聞いたら、「ジョー・チカレリかニノさん」って。fOULだからこそ大切な人たちが揃った感があるんです。
曲をちゃんと聴かせることを徹底して意識した
──いいですね~。肝心の中身ですが、本当に一本のライブのようだけど、でもfOULの軌跡みたいな起伏も感じられる。選曲も流れも素晴らしい。
大石:自分の中で『砂上の楼閣』の再現をしたいなって。当時の素材にはライブがまるまる一本分残ってる映像はなかったし、あっても引きカメだけだったり。だからたくさんの映像素材を見て、そのたくさんのライブのセットリストを書き出して。この曲は多めにやってるな、この曲は後半にやってるなって、実際の『砂上の楼閣』の流れを意識しました。ただ1曲目に関してはfOULを観る上で大事な1曲目なので、私の意思はあります。映画としても1曲目はコレだなって。
──凄くいいです! こう、コラージュ的な映像を入れてないのも凄くいい。純度が高いっていう。でも編集は大変だったでしょうね。
大石:映像としては使えるけど音がバキバキに割れて使えなかったり。逆に音は使えるけど映像は使えなかったり。使えるもの同士をパズルしていったんです。音と映像のパズルが合わなければどうにもならないんですけど、奇跡的なものもあって。まさに発掘作業でした(笑)。
──映像も音も、ライブなんだから粗くていいって選択はなく?
大石:なかったです。曲をちゃんと聴かせたかったんです。あとライブをちゃんと見せたかった。このライブのこの曲でしかできないテンションがあるっていうのがfOULのライブだと思うので、それをぶつ切りにしたり手を加えたりすることは絶対にしたくなかった。だからライブの映像の中からどうにか一曲通して使えるものを探して。曲をちゃんと聴かせるってことを、映像の編集として徹底して意識しました。
──fOULを好きな人にはたまらないし、知らない人でも…、公式サイトのISHIYAさん(FORWARD, DEATH SIDE)のコメントに「fOULが好きな人間には、たまらない作品であるが、fOULを知らない人間にとって、この作品は賭けである。そしてその賭けには、勝ち負けは存在しない」って一節があって、最高ですね(笑)。
大石:最高ですよね(笑)。
──ライブハウスがそういう場所だし、『砂上の楼閣』だってそうかもしれない。ライブハウスに行くと目当てのバンドは最高だけど対バン何あれ? ってことはあるし。でもその対バンを後々好きになることだってある。
大石:そうですよね。何が起きるか分からないのがライブハウスの面白さで。
──この映画もfOULを知らないで観て、なんだか分からなくてもいつかfOULを好きになることがあるかもしれない。
大石:ホントそうですよね。実際、fOULって聴いてすぐに好きになるというより、何かずっと引っかかってる感じというか。そうやって好きになっていく人が多い気がする。
──そうかも。棘が刺さったままずっと抜けないっていう。『fOUL』を観てやっと棘が抜けたー! とか(笑)。
大石:引っかかってたのはコレかー! とか(笑)。