ほぼライブだけの映画にした理由
──今回の『fOUL』は、谷ぐち家を中心とした『MOTHER FUCKER』とthe原爆オナニーズを撮った『JUST ANOTHER』、前2作と全く違いますよね。3作とも好きなバンドを撮っているんだけど、『MOTHER FUCKER』はバンド、家族、Less Than TVを中心としたシーン、女性の生き方。『JUST ANOTHER』はバンドを続けていくこと、音楽と仕事、地元や地方でのバンドの在り方。両作品ともバンドという一つのものを撮りながら、様々なことを見せてくれた。今作は、もう、fOULだけじゃないですか。
大石:そうですね。
──だから最初、今作は大石さんの原点なんだと思ったんですよ。原点を意識した作品だって。でもそうじゃなく、進化形であり、これからも進化していくその過程なんだなって。前2作と違う作風ってこともチャレンジだし。方法論としてもチャレンジをしている。
大石:作風は確かに違うんですけど、自分の中では繋がってるんです。昔、学生の頃に音楽雑誌でfOULは仕事をしながらバンドをやってるっていうのを読んで、そういうことが『JUST ANOTHER』のテーマに後々繋がってたり。あと家族のことも雑誌で話していて、そういうところが『MOTHER FUCKER』のテーマに繋がってたり。fOULから繋がっていって原点であることには間違いないです。でもやっぱりアウトプットはそれぞれ違っていて。『MOTHER FUCKER』は初期衝動が強かったんです。谷ぐち家のスピード感、生活のトラブルがいっぱいある空気感をすべて編集で落とし込むことって、かなり初期衝動的なことだった。2作目の『JUST ANOTHER』はTAYLOWさんという理屈っぽい人(笑)、頭のいいクレバーな人がいるバンドの考えを、どう表現するかって考えたら言葉が必要だな、言葉で伝わるようにしたほうがいいなって。いわゆるスタンダードなドキュメンタリー映画の作りにしたと自分では思っていて。今回は、前2作があったからこそチャレンジできるところではあったと思うんです。
──ライブを一本の映画にする。チャレンジですね。
大石:長谷川さんの後押しが大きかったです。長谷川さんはキングレコードの方で。fOULもベルウッド(キングレコードのレーベル)からリリースしていて、直接は関わってはなかったそうですけど当時からfOULの大ファンで仲も良かったらしいです、一緒に飲みに行ったり。長谷川さんと『MOTHER FUCKER』で出会えて、『MOTHER FUCKER』公開中の時期に、「fOULの映画、作っちゃいます?」って話になったんです。しかも「売れるような映画にしなくていいです」って言ってくれた。いわゆるドキュメンタリー映画の方法論から逸脱したところでやっていいんだ、思い切りやっていいんだって。長谷川さんが背中を押してくれたんです。
──これまでは撮影する対象とリアルタイムに向き合ったけど、今回は過去のライブの映像と向き合うわけで。その映像は大石さんが撮ったものではないけど、それも含めて大石さんがすべてを担っているわけですよね。ライブを中心とした、というよりほぼライブだけの映画にしようと決めたのは、どういう思いがあったのでしょう?
大石:最初、迷ったところもあったんです。迷いを断ち切る決定的なことだったのは、メンバー個人個人にインタビューして気づいたことがあって。メンバー3人の個人個人の感情、思想、哲学、音楽に対するスタイル、3人の関係性とか、そういうことはすべてライブに出てる、fOULというバンドはすべてライブに出てるなって。会社員の格好でライブをやることが自分のスタイルっていう(谷口)健さんの考え方や、ライブ中に3人がホント楽しそうなのも、まさしく3人の関係性が表れてるからですよね。健さんの哲学や思想も歌詞やライブのMCから感じるし、でも難しく考えることなんかないよって感じの人柄もライブから滲み出てくる。すべてライブから伝わってくるんですよ。
──ライブだけで充分! って思えた。
大石:そうです。実際3人にインタビューしてますますそう思いました。全部ライブで伝わるなって。映画にはインタビューも少し入ってますけどね。
──嘘がないバンドってことなんでしょうね。
大石:そうなんですよ。
今なお聴くたびに新たな発見があるバンド
──ほぼほぼライブで素晴らしいんですが、公式サイトの皆さんのコメントはとても良かったし、先日の配信『fOULとわたしたち―下北沢シェルターより―』で大石さんがバンドマンなどにインタビューしてそれぞれのfOULへの思いを聞くのもとても面白かった。でも映画ではやらなかった。
大石:そうなんですよね。コメントも配信での話も、皆さんとても素晴らしいしずっとfOULの話をしていたかったんですけど(笑)、映画では関係者や友人やメンバー以外の人の話は必要ないなって。「その音楽性と佇まいに言葉が追いつかない」って映画のキャッチにも入ってるんですけど、本当に言語化しにくいバンドだし、ジャンルに分けるのも難しい。あと捉え方によって曲の感じが凄く変わっていくし。受け取る人それぞれで感じ取れる余白をちゃんと作ってるバンドだと思うんです。fOULにそういう姿勢を感じる。だから私も観た人が各々で感じられるものを作りたくて。言葉や説明は必要ないなって。
──バンドにとっても監督にとっても、理想というか夢のようなことだなぁ。ライブだけで充分! って思えるバンドに出会えたのも幸せなことだと思うし、バンドにとってもとても幸せなことだと思うし。
大石:そういう意味で言えば……、先輩の川口潤監督が山口冨士夫さんを撮った『皆殺しのバラード』を観たことも、踏み切れたきっかけだと思います。私は山口冨士夫さんのことを全然知らなくて、川口さん映画だし観たい! って観に行ったら、もうほとんどがライブで。ライブ映像に残された冨士夫さんのギラギラした目の輝きとかライブでのMCとかMCを入れるタイミングとか。ライブだけで冨士夫さんのことが凄く伝わってきて。
──私も観ました。冨士夫さんは原発事故と放射能のことをMCで言ったライブがあって。一人のお客さんが「真面目なこと言っちゃって~」って感じのことを言ったんですよね。そしたら冨士夫さん、一瞬本気で怒った。あの瞬間で冨士夫さんの思いが伝わってきた。
大石:そうなんです。ライブだけで伝わってくるんですよ。記録して人に伝えるっていうのは映像が持つ一つの原点で大きな役割だと思うんです。『皆殺しのバラード』はそれを果たしてる映画だと思った。自分の中であの映画を観て、前に踏み切れたっていうのはあると思います。
──人との出会い、映画との出会い、音楽との出会い。刺激を受けて吸収して消化して。改めて、fOULを最初に知ったのって…?
大石:初めて買ったのがLess Than TVから出たbloodthirsty butchers × fOULのスプリットで、凄い衝撃を受けて。ジャケもカッコイイ、中ジャケもカッコイイ。音も海外で録音したかのようにカラカラに渇いてるっていう。今思えば谷さん(谷ぐち順/Less Than TV 主宰)らしいミックスで。ブッチャーズもfOULも凄い衝撃で。私は大学が山梨だったんですけど、お金もないのに東京までライブに行くようになって。fOULを最初に観たのは54-71がゲストの後期の頃の『砂上の楼閣』で。シェルターという空間で何が起こるか分からない、凄いドキドキして、想像以上の凄さでした。シェルターの狭い空間での音圧、爆音。しかも凄くいい音なんですよね。そこでfOULを体験した。54-71も凄かったし。ぶっ飛ぶってこういうことかって。心臓がキューッとして意識がどっかいきそうになるっていう、あの感覚はずっと覚えてます。
──公式サイトのコメントは共感したりなるほど~って思ったりするんですけど、herAxさんのコメントの一節の「不思議なくらい懐かしさがない。(中略)一昨日やったライブを観てるみたいだった」っていうのがホントそう! って思った。大石さんも懐かしさって感覚はないですよね。
大石:ないです、全然。ずっと聴いてるんで。ずっとiPodかiPhoneに入れて聴いてるんですけど、何も古くならないし聴くたびに新しい発見がある。今回、映画編集で過去のライブ映像を数多く観て思ったのは、ライブごとにまったく違うんですよね。健さんの弦が切れて(平松)学さんがつま弾き始めて大地(大介)さんが叩き出す。予測できないことが毎回起こって。楽曲も聴くたびに発見がある。なんでこういうアンサンブルで、こういうアレンジで曲が完成していくんだろう? その理解できない感じとか。歌詞も、健さんの哲学的な姿勢…、哲学的だけど生活に根差してる感じとか。哲学的なものを自然と壁なく自分の生活や話の中に入れられる、しかもイヤミなく。