いろんな人を知ったほうが自分自身も自由になる
──やっぱりすべての人が当事者で…。
TOZAWA:そうなんですよね。いや、そうじゃないこともあって…。俺、在特会のヘイトデモのカウンターやってたんです。自分は在日でもないし外国籍でもない。こっちにヘイトの球は飛んでこない。でも当事者じゃないからこそ、闘わなきゃいけないことってあると思うんです。
──確かに。前に東日本大震災の1年後ぐらいにFORWARDにインタビューして。ISHIYAさんが「被災地の人に怒ることまでやらせるの? 俺らが怒らないでどうするよ。東京は福島の原発を使っていたのに」って言ってて、その通りだと。
TOZAWA:そうですね。最も闘っていて最も苦しいのは現場にいる当事者で、それをちゃんと見てるからって意味でも当事者以外の人間が怒らないとダメですよね。怒るってことはハードル高いです。しんどいし。
──ですよね。怒りはストレス発散? って皮肉を言う人がいるけど、怒るのはしんどいし、心が折れそうになる。
TOZAWA:自分を省みなければならないし…。俺、初めて在特会のヘイトデモの映像を見たとき、血が逆流するような凄い怒りがこみあげて。縁もゆかりもないのに激怒した。コレは闘うべきものだって。明確に悪意のある人間が沸いてきたときには、意識して怒れる人間がいないとダメだと。
──当事者はどれほどしんどいかってことですから。
TOZAWA:うん。それで在特会とケンカするようになってから、ゲイの人だったりトランスジェンダーの人だったり、自然と一緒にカウンターやっていたんです。それでいろいろ話すようになって…。自分が信じていたマッチョ的なものがどういうふうに見えていたのかとか。俺はずっと自分は世の中からはじかれてきた人間だと思ってたんです。でも自分は日本人で男で身体もデカい。マジョリティだし威圧感だってある。実際、人に対して威圧したことも排除したこともある。自分の中に権力側の側面もあることに気づいて、それを認めるのは辛かったし、反省した。今もアップデートできてるかわからないけど、アップデートしていこうと。していかないといけないんです。
──それは私もです。きっと多くの人が自分の中に差別意識があって、それに気づけるか気づけないか。
TOZAWA:ですね。気づけたのは、反原発デモやヘイトデモのカウンターで出会った人たちのおかげで。現場で勉強させてもらってます。ライブハウスでも多くの勉強をさせてもらったけど、どこかね、刺青マッチョの男たちの世界という。その世界、大好きなんですけどね。でもそれだけじゃないっていう当たり前のことにやっと気づいた感じがします。
──ああ、私もパンクが好きってことに、どこかにこう、特権意識を持ってたと思います。わかる人にはわかるって。でもいろんな人が体験したほうがもっと面白いって、今は思えるようになりました。
TOZAWA:今まで自分が作った自分の場所が、暴力的な雰囲気とか実際の暴力があれば、自分で壊していかないとって思ってます。刺青マッチョが人を威圧して排除するんじゃなく、どんな人も入れるように変えていかないとって。
──フレンドリーな刺青マッチョになろうと(笑)。
TOZAWA:いやいや(笑)。でもなんか、ハードコアの魅力が失せるわけじゃないなって。ハードコアって、サウンドも実はいろいろな面があるし、いろんな感情を爆発させることができるし。
──そうですね。激しい爆音になぜか泣けてくることがありますし。
TOZAWA:俺は未だにライブでも「勝ち負け」にこだわってしまうとこがあるし、ステージに上がるとドカーンとやり合うライブが好きだし。でも両立するんだよね、マッチョな部分と人を尊重するってことは。一人の人間の中でも両立して共存してると思うし。いろんな立場の人、いろんな性別の人、いろんな人と話すようになって、自分の、なんていうんだろう、自分の肩書とか属性みたいなものは取っ払ったほうが楽になる。いろんな人への目配りが増えたほうが、自分自身の縛りもなくなる。いろんな人を知ったほうが自分も自由になるって感じています。
パンクやハードコアが俺に一歩を踏み出させてくれる
──今作のタイトルは『ファイトバックEP』で「ファイトバック」という曲も収録。“やり返せ”って意味ですよね。なんか、バンドを表しているような言葉ですね。
TOZAWA:一見、街に出てファイトバックしようぜ、の歌なんですけど…。最初、社会運動を続けてる人たちに向けた歌を作り始めてたんですが、PRIDEについても考えたりしてるうちに、相模原の事件と同じく心に引っ掛かってた一橋のアウティングの事件のことが出てきたんです。
──2015年の一橋大学のアウティング事件。被害者は自殺してしまった。
TOZAWA:これも自分は当時者ではないし、それどころか昔の自分なら加害者側にいたかもしれない、ぐらいに思っていたので、歌うべきではないかもしれないと、悩みながら作った曲です。いなくなった人からの、「どうして誰も闘ってくれないんだ?」という絶望の歌にもなっています。だから「何にも無かった去年を待ちながら」「やさしく迎える地面を待ちながら」のようなフレーズが入っていて。「あんなことが起きなかった時間に戻りたい、でももう地面に消えるほうがラクになる」という絶望の声を想像して書いています。もちろん個人的な体験も混ざっていますが。
──ヘヴィな歌詞ですね…。
TOZAWA:ヘヴィですよね。被害者の絶望の声を、想像ではあるけどちゃんと歌詞にしたかった。「ファイトバック」の連呼が勇ましく歌われないのも、男性的な一人称や話し方を避けたのも、そんな歌だからかもしれないですね。だから…、「闘え」って歌でもあるけど、「闘わなくていいよ」って歌でもあるんです。一人で背負った闘わざるを得ない人が、追い込まれて闘えなくなって。そしたら、それを見てた俺たち、同じ時代に生きてる俺たちが闘う。「自分のため、誰かのために反撃しろ」という歌と「どうして誰も闘ってくれないんだ、どうして誰も気づいてくれないんだ」という歌が一緒に鳴ってます。
──絶望の声と、その声を聴いたオマエはどうするのか。刺さります。なんかやっぱりパンクロックって、助けてくれるんですよね。支えになってくれる。
TOZAWA:俺はライブに暴走族がガーッて来たら怖いし、ヘイトデモのカウンターも怖いし、社会運動みたいなことも怖いし、何か意見を言うのも怖いし、自分と向き合って、自分に過ちがあったらそれを認めるのも怖い。なるべくなら避けて通りたい。でも避けて通ったら、俺が今まで聴いてきたパンクやハードコアの何が好きだったの? ってことになりますからね。カッコイイ! そうだよな! って思いながら聴いてたパンクやハードコアが嘘になる。自分で自分が好きなものを無かったものにする、それが嫌だから、行く、進む。パンクやハードコアが、俺に一歩を踏み出させてくれるんです。俺みたいに優柔不断な人間を、行動できる人間にしてくれたのは、パンク、ハードコア、カルチャーの力なんです。
──わかりました。最後に印象的にジャケットのアートワークについて。
TOZAWA:ジャケットの内側は菊池茂夫さんが撮ってくれたゴリゴリのカッコいいライブ写真で。外側はやさしい感じで、それが俺ららしいなって。
──ジャケット、不思議な模様ですよね。説明してもらえますか?
TOZAWA:最初、生きてる人間のリズム、心電図モニターの波形みたいなのを描こうと思ってまして。違う速さのリズムが1点だけシンクロするようにして、その1点にモアザンハウスって入れようと思ってました。バラバラなリズムをバラバラな人間に描いてもらおうと思ってTHE人生ズのメンバーやまちかど荘の住人、友人の子どもに線を描いてもらったのを集めて作りました。バラバラ過ぎてシンクロする点を作れなくなったけど、それはそれでいいかなと。あとは作りながら考えて。あの線は19人の人間のリズム、バラバラで色も形も違う。硬く冷たいコンクリートの社会の上に生きる姿。裏ジャケの稲妻のようなひび割れはリズムを断ち切る事件のイメージ。でもそのひび割れを埋めて、壊れた社会を不細工に修理してリズムを途切れさせない人たちの力、コンクリートの色でなく人間の色。だからそこにモアザンハウスのロゴがあります。ひび割れは線を断ち切った事件のイメージですが、一方でコンクリートを打ち破る人間のイメージでもあります。そういう人間や場所がもっとあったなら、19のリズムは途切れず続くことができたはず、という思いを表してます。たくさんの色とリズムが、バラバラなままに存在するのが世界のあるべき姿かと。
──じゃ、ホントに最後に。コロナ禍を生きる人たちに何か。
TOZAWA:今回の曲は悲しい発端のものばかりなんだけど、一方で、それでも闘う人たちを見ながら作った曲を選んだので、コロナ禍のなかサバイブしてる人たちの一助になればと思っています。俺らもライブができず手足をもがれた状況ですが、生きてまた会いましょう。
【プロフィール】ANTAGONISTA MILLION STEPS:2011年結成、札幌のレベルミュージックバンド。2018年、ANTAGONISTA PUNKROCK ORCHESTRAより改名。反戦反核反差別を仕方なく歌い続ける3.11後の進化するサッポロシティハードコア。2012年、自主制作にて『ACTION MUSIC EP』制作。2018年、反差別、反ヘイトスピーチを掲げる『ANTI HATE EP』を発表。メンバーは、TOZAWA(Vo)、SATORU(Ba)、TAKEICHI(Ds)、ISHIYAMA(Gt)。
モアザンハウス インタビュー vol.2「FUCKER×藤原亮」はこちら。