Less Than TVのレーベルオーナーであり介助者であるFUCKERこと谷ぐち順が管理人となり建てられた、「絶対、分けない」ただの家、ただのシェアハウス、モアザンハウス。モアザンハウスを作ろうと思ったきっかけは"津久井やまゆり園事件"だという。あれから5年。モアザンハウスがレーベルをスタートさせた。第1弾の2作品がリリースされたのは7月26日。管理人・FUCKERと住人・藤原亮(フジロッ久)のスプリット『モアザンハウス EP vol.1』、そして札幌のANTAGONISTA MILLION STEPSの『ファイトバック EP』。東京は世田谷と遠く札幌。アンダーグラウンドは地下で繋がっているのだ。
この2組にインタビューしました! まずはANTAGONISTA MILLIONS STEPS。90年代の札幌ハードコアシーンの最前線で活動していたKNUCKLEHEADのTOZAWAを中心に2011年に結成されたANTAGONISTA PUNKROCK ORCHESTRAが、2018年にANTAGONISTA MILLION STEPSと改名。4ピースのシンプルな編成で、重厚でありながらスピード感と躍動感ある強靭なグルーヴを畳みかける『ファイトバック EP』。優生思想や差別がはびこる社会から目を逸らさず、怒り、悲しみ、苦しみと向き合い、そして放つ。それは自分自身の怒り、悲しみ、苦しみであり、同じ時代を生きる誰かの怒り、悲しみ、苦しみだ。私かもしれない、あなたかもしれない。(interview:遠藤妙子 / photo:菊池茂夫)
コロナ禍のライブハウスの現状を伝えたのもパンクの一つのアティテュード
──凄くカッコイイです。グルーヴがあり展開も多様、同時にストレートな勢いが貫かれ、迫力と切実さが共存するボーカル。曲はいつ頃作ったものですか? コロナ禍のときに?
TOZAWA:10年ぐらい前の曲から1年ぐらい前に作った曲まで、バラバラな時期の4曲で、結果的にベストアルバムみたいになりました(笑)。
──モアザンハウスからリリースの経緯は?
TOZAWA:北海道のTHE 人生ズというバンドがアルバムを出すときに少し宣伝を手伝って。レコ発ライブに谷ぐちさんを呼んだりして。谷さんとの付き合いはそれ以前からなんですが、いつ頃から知ってるのか覚えてなくて(笑)。
──谷ぐちさんが札幌にいた頃からの知り合い?
TOZAWA:いや、俺がこっちへ来た頃は谷さんはもう東京に行ってたと思います。
──え? こっちてのは北海道?
TOZAWA:はい。俺、出身は東京なんです。江戸川区。
──えー、そうなんですか!
TOZAWA:そうなんです。大学に落ちて自衛隊に入って札幌に流れてきたんです。谷さんとはいつ知り合ったかは定かではないんですけど、けっこう長い付き合いで。で、モアザンハウスからの経緯は…。コロナ禍でライブはできないし何か目標がないとキツイ、ちゃんとレコーディングをしようって、そのレコーディング計画中に谷さんからモアザンのドネーション作品の話があって。最初はスプリットでもっと簡易な形だったけど、単独でしっかりとしたリリースする、という形になった感じです
──いいタイミングでしたね。コロナ禍の時期、歌いたいことや何を歌うべきか、音楽のことを落ち着いて考えられたのでしょうか?
TOZAWA:いや、バタバタしてじっくり考える時間はなかったんです。まずコロナの最初の波が来て、ライブをやるかどうかをとても悩んだんです。自分の仕事は医療関係なので。で、感染拡大して、ライブハウスが叩かれ出して、営業していくことが厳しい状況になっていった。それでライブハウス各店にどんな状況なのかをアンケートして統計をとって、反原発デモで知り合った議員さんに持っていって話をして。東京ではスガナミ君(下北沢LIVE HAUS)たちがやってる“Save Our Space”とたぶん近いことを札幌でやっていたんです。バタバタで必死で忙しかったです。しばらくして状況も変わっていき、こっちの活動も手詰まりになっていき、呆然としてる間に時間が経った感じです。夏になればライブはやれる、いやダメだ。年が明けたらやれる、まだダメだ。その繰り返しで。どんな曲をやろうかとか、コロナに対してどんなアンサーを出そうかとか、考える時間も気力もなかったっていうのが正直なところです。
──パンク/ハードコアって、音楽だけじゃなくそういう行動も含めてバンド活動だと思います。
TOZAWA:そうですね。行動していること自体がバンドとしてのアンサーっていえばアンサーだし…。このコロナ禍で、北海道のテレビに何度か出させてもらってライブハウスの現状を伝えたのも、パンクの一つのアティテュードだと思ってますし。
──そう思います。あの、7月に熱海で土砂災害があって、そのときのTOZAWAさんのツイートが印象に残ってるんです。「熱海には縁もゆかりもないんですが、大好きな先輩の地元なので。いつも疲れた俺を笑わせてくれたので。パンクやハードコアバンドやってると、関係ない場所なんて無くなっていくんだよね」っていうツイート。パンクバンドやハードコアバンドは各地にツアーで行くし、各地のバンドマンと繋がっているんだなって。だからどこかが災害に遭ったらボランティアに行ったりドネーションしたり。東日本大震災からパンクバンドは活発に動いていて、ホント凄い。
TOZAWA:そうですね。各地に知り合いがいるし、知り合いの知り合いがいる。関係ないやって場所がどんどん無くなっていってますね。
──音楽だけじゃないな、行動も含めてバンド活動なんだなって、ホント感じます。今作の1曲目の「Action Music」まさにそういう曲だと思うんですが。
TOZAWA:バンド結成してすぐ東日本大震災が起きて、「Action Music」を作ったのはその後です。最初はアクション映画のアクションみたいな、躍動感あるものって感じでつけたんです。サウンドの躍動感ですね。結成当初はメンバーがもっといて、TURTLE ISLANDみたいな感じに人がウワーッといてグルーヴがあって、そういうサウンドを目指していたし、この曲もそういうイメージで作り始めたんです。
──生命力あるサウンドですよね。アンタゴニスタはリズム隊、ドラムが凄いです。
TOZAWA:前にツインドラムだったから名残もあるかな。リズムがわりと軸かもしれませんね。最初はノイズコアみたいなダブみたいな音をやろうと思ってましたし。