キノコホテルの通算8作目となるフルアルバム『マリアンヌの密会』は、8年間にわたりバンドの屋台骨を支えてきたジュリエッタ霧島(電気ベース)が参加した最後のアルバムであり、昨年3月に入社したナターシャ浦安(ドラムス)にとっては最初の参加アルバムであり、出会いと別れが交錯したようなこの作品が発表される時期にはイザベル=ケメ鴨川(電気ギター)が怪我の療養によりまさかの戦線離脱中という異例中の異例のアルバムとして後年記憶に留められるのではないか。もはやコロナ禍などそっちのけで弱り目に祟り目、バンド史上絶体絶命のピンチにある2021年上半期のキノコホテルだが、そんな逆境など何処吹く風と言わんばかりにしぶとく図太く逞しくこれだけ高水準の作品を生み出すのは驚異でしかない。バンドの内実はさておき、マリアンヌ東雲(歌と電気オルガン)が満身創痍で一曲入魂に全力を傾けた本作は言うまでもなく現時点でのキノコホテルの最高傑作であり、作品自体は軽くて深い味わいだが、その深さを悟られまいとしてあえて軽く振る舞おうとするシャイな才人ゆえの奥ゆかしさをそこはかとなく感じる。普遍性の高い良質なポップミュージックが凝縮した至高の一枚として何の先入観もなく本作を享受するのが一番ではあるものの、野暮を承知でその制作の背景にある紆余曲折をキノコホテル支配人こと鬼才・マリアンヌ東雲女史に仔細にわたり伺った。(interview:椎名宗之)
全幅の信頼を寄せていたジュリエッタ霧島の離脱
──ジュリエッタ霧島さん(電気ベース)の頚椎症性神経根症の治療に伴う無期限休職、イザベル=ケメ鴨川さん(電気ギター)の左手首の靭帯損傷によるまさかの休職で一時はどうなることかと思いましたが、先日の『サロン・ド・キノコ〜東海三本勝負』では臨時従業員のクリスティーヌ亀吉さん(電気ギター)とパトリシア帯広さん(電気ベース)、その2人としっかり連携した入社2年目のナターシャ浦安さん(ドラムス)が思いのほか良い仕事ぶりを見せたそうで。
マリアンヌ東雲(歌と電気オルガン、以下M):まさに絶望の中に差す一筋の光というか、バンドとはそういう力を貸してくださる方たちあってのものだし、貴重な経験ができました。亀ちゃんことクリスティーヌ亀吉さんとはそれまで顔見知り程度のお付き合いで、1回くらいしか会ったことがなかったんですけど、お話してみるといろいろ共通項がありまして。今回のアクシデントで出会うべくして出会った気もするし、新しい方たちと一緒に演奏をしてツアーを回るのは凄く楽しくて、自分の中で滞っていたいろんなものが息を吹き返しつつあるようにも感じます。コロナ禍以降の1年以上、イヤな意味での刺激ばかりを受けてきたので、久々にプラスの意味での刺激を受けることができて良かったですね。
──神田明神でお祓いをした効果が出たようですね(笑)。
M:もうこれ以上忌々しいことは受け止められないわ(笑)。これまでの災難といえばワタクシの怪我や入院で実演会を飛ばすのがせいぜいだったけど、ここまでごちゃついたのは創業以来初めてのことです。去年、マネージャーが離れた途端にこれですからね。これはホントに何かの呪いなんじゃないかと思ったし、正直もうコロナどころの話じゃないっていうか。自分の中ではコロナなんて今や些末なものでしかない。
──ジュリ島さんから休職の意志を伝えられたのはいつ頃だったんですか。
M:去年の秋も深まった頃、11月頃だったかと思います。その時点で実演会やワタクシの性誕祭といった年内の予定が詰まっていて、そこまでは全力で頑張りたいのだけれど、年明け以降のスケジュールについては相談させてほしいと。彼女の希望としてはなるべく早く治療に専念したいから、年末で一旦終わりにしたかったと思うんですよ。でも2021年にアルバムを出す話が水面下ではすでに動き始めていたので、その話を彼女にしまして。「貴方なしで録るというのはちょっと考えられないので、最後にそこまで付き合ってくれないかしら?」と。身体の不調を訴えている人に対してこちらの希望を押し切るのはなかなか難しい状況ではあったんですけど、最終的に彼女がレコーディングまで頑張りますと承諾してくれたんです。それが昨年末の話。ジュリ島の休職を発表したのが4月の下旬くらいで、それまでの数カ月は胞子(ファン)の皆さんに対して言うに言えないのがモヤモヤしたし、でも自分はとにかく曲を作らなきゃいけないという任務があってだいぶ目まぐるしい時期でした。何せその間の記憶が朧げですからね。振り返りたくないほど過酷だったから記憶を抹消してしまったのかもしれない(笑)。
──ジュリ島さんの体調が芳しくないことは薄々気づいていらっしゃったんですか。
M:ウチに入社して程なくして「私、まだ若いのに五十肩なんですよ」なんて話は聞いていました。ベーシストは肩や首を消耗するものだし、ツアーが続いたときは楽屋でマネージャーが彼女の肩を揉むこともしばしばあったので、だいぶ辛そうだなとは感じつつも慢性的なものだからうまく付き合うしかないんだろうなと。そしたら長年の蓄積疲労が重なった上に本腰を入れた治療をしなかったこともあり、ここで本気で休まないとベースを弾くことはおろか日常生活にも支障をきたしてしまうということになって。こればかりは仕方のないことだし、来るべき時が来てしまったともいえますね。
──支配人は去る者は追わずの方なので、今回も新規従業員を入社させた新体制でアルバム制作に打ち込むこともできたと思うんです。むしろ従来ならそうしていたはずですよね。
M:ジュリ島がただのベーシストだったらそうしていたのかもしれないし、無理させてまでこの子にやらせなくたっていいじゃないという選択肢もあったと思います。そこでワタクシが彼女にこだわってしまったというのは異例中の異例ですよ。そんなケースは公私共に皆無だし、離れていく人に向けて「ちょっと待って!」なんて口が裂けても言わない(笑)。だけど彼女とは何度も話し合いをしたし、どうしてもレコーディングに参加してほしいと自分からお願いをし続けたのは初めてのことでした。
──これまでの従業員とは違って、ジュリ島さんのどんなところが特別だったのでしょう? もちろん卓越したプレイありきとは思いますが。
M:キノコホテルというグループを何度も投げ出したくなったときに、彼女がそれとなく食い止めてくれたというか。別に「支配人、頑張りましょうよ」とか言ってくるわけじゃなく、ワタクシの愚痴や不満を黙って受け入れてくれる。その上で的確なコメントや過不足ない返事をしてくれるんです。彼女がいたからこそキノコホテルを続けてこれたのも正直あるんですよ。
7作目で習得して8作目で実践したこと
──この8年でバンドが飛躍的に進歩を遂げたのはジュリ島さんの功績が極めて大きいですよね。“ジュリ島以前、ジュリ島以後”という言葉があってもおかしくないくらいに。
M:プレイヤーとしての彼女に全幅の信頼を寄せていたのはもちろんですけど、よく2人でお酒を飲んだこともあったんです。歴代で唯一心を許せるメンバーだったし、この人になら自分の弱みを見せても辛くないと思えたし。自分より年下だけど、どこかお姉さんのような包容力もあって。そういう不思議な関係性だった一方で、「もう継続するのが厳しいです」と言っている人を一生懸命つなぎ止めようとする自分に対して凄く葛藤があったのも事実です。それは違うんじゃないか? と思っている自分もいましたから。
──ジュリ島さんがスカウトしたナターシャさんにとっては初のアルバム制作ですし、その不安を払拭するためにジュリ島さんを引き止めたところもあるのでは?
M:それもありました。ナターシャの相方がジュリ島じゃないというのはさすがにごちゃつき過ぎですしね。これが自分のソロプロジェクトならどうでもいいんですけど、バンドとして動いている以上はワタクシがどれだけ孤軍奮闘したところで胞子の方たちはあくまでバンドとして見るわけなので。それにジュリ島の後釜に相応しいプレイヤーを大急ぎで探す気力もそのときはなくて、そんな時間があるなら曲を書かなきゃという気持ちだったんです。
──そうした逆境に直面しても高水準のアルバムをしっかり完成させるのがキノコホテルらしいともいえますが、前作『マリアンヌの奥儀』を共同プロデュースした島崎貴光さんから学んだ制作術が本作『マリアンヌの密会』に活かされた部分はありますか。
M:基本的なことですけど、デモのトラックをすべてデータ化してあらかじめエンジニアさんと共有しておくこととか。それによってレコーディングがとてもラクになるので。他のバンドは普通にやっていることだし、プロの世界では常識なんでしょうけど、ワタクシは前作で初めて島崎師匠から伝授されたんですよ。そのおかげで頑張ってオルガンを何回も弾かなくていいし、スタジオへ行けばエンジニアさんがトラックを全部用意してくれていて、リズム隊の2人もそれを聴きながらプレイできるから作業がスムーズなんです。その代わり事前の準備が非常に大変ではあるんですけどね。“島崎以前”はそうした手法を全く知らず、レコーディング前に準備も何もしなかったものですから、「こんな曲です」とエンジニアさんにその場で聴いてもらいながら進めていったんです。お互いよく分からないまま手探りで作業するから後がもの凄く大変だったんですよ。今回は録る前に苦労しておいたぶん録りが始まれば非常にスムーズで、そっちのほうが全然いいわけなんです。自宅で独りデータの書き出しをするのも面倒は面倒ですけど、慣れてしまえば流れ作業なので。それまでは出たとこ勝負でどうにかなるだろうと甘い考えで何年もやってきましたが、準備をしておくに越したことはないですよ。7枚目でそれを学んで8枚目で実践するというあまりの立ち上がりの遅さに我ながらビックリですけど(笑)。
──収録曲は今回もまた秀作揃いですが、最初と最後にそれぞれインストゥルメンタルを配置する構成は少々意外でした。
M:いわゆるJ-POPのアルバムの1曲目がインストだなんてセオリー的には無しの手法だし、メジャーのレコード会社なら絶対に言いがかりをつけてくるでしょうね(笑)。「頭からインストだとスキップされちゃうよ」って。それならスキップすればいいじゃないって話なんですけど。もちろん盤として聴いてもらうことを一番望んでいるものの、リスナーの方が必ずしもそうしてくれるとは限らないじゃないですか。今や好きな曲だけ単品で買って聴いたり、自分の好きな順番にシャッフルして聴いたりするわけで。だから1曲目がインストだろうが別に関係ないし、好きなようにやらせてもらうわよと。まあ今回のレーベル元にはそういったことも言われずにお任せしていただけたので良かったですけど。
──「海へ・・・」はタイトルに反してスペイシーな曲調がユニークですが、とある緊縛ショーのBGMが原型としてあったそうですね。
M:一昨年だったか、お友達の緊縛ショーに音楽を付けてほしいと言われて、そのショーの導入用に作ったんです。曲が流れると緊縛師の男性とスリップを着たM女が出てきて事が始まるという。その曲が自分でも気に入っていて、キノコホテルの楽曲としてもアリだなと思って。スペイシーと仰っていただきましたけど、もともと自分の中でも宇宙をテーマにするつもりだったんです。『2001年宇宙の旅』で使われた「ツァラトゥストラはかく語りき」ならぬ「マリアンヌはかく語りき」みたいなイメージで。ところが今回、アートワークの写真撮影のために熱海に行きまして、海の上に建つニューアカオというホテルに3泊滞在したんです。そこは全室海の見えるオーシャンフロントで、真っ暗な夜の海を窓から眺めていたらいつのまにかコンセプトが宇宙から海に変わっていたんですよ(笑)。ニューアカオという小宇宙から熱海の海へ帰還してきたというか。
──アナログシンセ、チェンバロ、パイプオルガンなどの音も随所に散りばめられていて、さりげなくも情報量の多いインストに仕上がりましたね。
M:あまりよく考えずに気の向くまま作ったデモをほぼ流用した形なんです。ケメに少しギターを入れてと頼んでみたもののイメージ通りじゃなかったのでそんなに入れなかったし、むしろ自分が入れておいたギターを残してあったりして、バンド名義とはいえほぼワタクシのソロ作のようなものです。身勝手なリーダーが率いるバンドを象徴するオープニングですね(笑)。