危機一髪の状況は今に始まったことじゃない
──最後の「あちらこちらイノチガケ」で唄われていることも、今後アルバムを制作する機会が少なくなっていくかもしれない中でとりわけ言い残しておきたいことを歌詞にしたということですか。
吉野:というよりも、いつだって命懸けなんですよ。今までもそうだったし、これからもそうなだけっていうか。人生は一回きりだし、元手は命しかないし、張れるのは命しかない。才能も能力も何もないけれど、命だけはある。それで生きていくしかないんです。自分の思ったようにはなかなかなりませんけど、自分の力で思った方向に行くには自分の命を張っていくしかない。誰も責任を取ってくれないし、そう易々とお膳立てはしてくれませんよね。だけどお膳立てされたものに自分らしさみたいなものはないと思ってるし、自分の力で掴み取るしかないじゃないですか。
──直に掴み取れ、ですね。これまで吉野さんが唄い続けてきたことを現況に反映させたようにも思えます。
吉野:唄いたいテーマみたいなものがそんなに多くあるわけじゃないですからね。どの曲も結果的にこうなりましたとしか言いようがないんですけど。
──アルバムタイトルは『2020』しかないと当初から決めていたんですか。
吉野:録音しながら、ですね。だんだん世の中がおかしなことになってきて、歌を作って録音している今の状況を一発で表現できるのは『2020』しかないと思ったし、それしか思い浮かばなかったんですよ。
──後年、2020年の盛夏を振り返った時に今回のアルバムの真っ赤なジャケットと「カゲロウノマチ」を思い出しそうな気がすでにしています。
吉野:2020年、俺は生きていましたよ、ってことですよね。〈2020年〉はもう歴史上の記号だと思うんですよ。人類の歴史に残る記号。だからアルバムのタイトルに付けてもいいなと思って。
──ジャケットに道路の写真を使ったのは、吉野さんがいつもヘトヘトになるまで歩き倒していることと関係がありますか。
吉野:あるかもしれませんね。ジャケットは日常とつながっている場所というか、日常の風景にしたかったんです。写真はウチの近所の環八ですし。
──こうして話を伺ってきて、吉野さんがコロナごときで何ひとつあきらめないのは強さというよりも必然であること、人類の歴史に残る年に発表された『2020』というアルバムが現況を吹き飛ばすように爽快でカラッとした作風に仕上がった理由がよくわかりました。
吉野:綱渡りだったり危機一髪の状況は何も今に始まったことじゃないんですよ。最初からそういう生き方を選んでここまで来たし、ちょっと風が吹けば倒れてしまうような生き方は元からなんです。コロナのお陰でそれを思い知らされることになりましたけど、仮にコロナがなかったとしても俺の人生はやっぱり危機一髪であり続けるんですよ。何か起こればあっという間にゼロだし、コロナ参ったなあ…と途方に暮れてはいますけど、覚悟を決めて生きてきたのでそんなにうろたえてはいませんね。ああ、やっぱり来たか、って感じです。
──これまでもアメリカのツアー中に移動車が高速道路で横転事故を起こしたり、心筋梗塞で倒れて緊急手術を受けたりと九死に一生を得たことが何度かありましたけど、そのたびに吉野さんはドッコイ生き延びて元気な姿を見せてくれましたし、このコロナ禍でもしぶとく図太く、転んでもただでは起きないところをぜひ見せていただきたいものです。
吉野:生きてさえいればまだその先がありますよ。死んでしまえばそこでおしまいですけど、生きているならあきらめる必要もないし、継続して先へ行くだけです。
──そしてライブもまたあきらめていませんよね。東名阪のツアーが晩秋から初冬にかけて行なわれる予定ですが。
吉野:やるつもりですよ。できるかどうかわかりませんけど、やると決めないと進めないので。
──バンドとしては去年の12月14日の新宿ロフトでのライブが今のところ最後なので、かれこれ8カ月もライブをやれていない状況ですよね。
吉野:若い頃からだいたい月一くらいでやってきたし、こんなに長い時間ライブをやれてないのは初めてですね。
──outside yoshinoとしては6月に無観客の有料配信ライブを新代田FEVERで行ないましたけど、バンドとして配信ライブをやることを考えたりはしませんか。
吉野:バンドとしてはどうだろうなあとは思いますけど、いいタイミングがあればやる気はありますね。やってみるかという機会があればやってみようとは思ってますけど、まだそういう機会が訪れていないというか。
──自身の経験として初だった配信ライブを実際にやってみていかがでしたか。
吉野:いつも通りでしたよ。お客さんがいないのでリアクションがなくて寂しかったし、どれだけ唄ってもシーンとするばかりで侘しいなとは思いましたけど。それにスタッフの皆さんはパソコンを見たりカメラを見たりして作業をしているので誰も聴いちゃいないんですけど、いつも練習スタジオでギャーギャー唄ってる時だって誰もいないし誰も聴いちゃいないので、それと一緒だと思えばいいやと思って。
──カメラの向こうにたくさんの人が見ているという実感はなかったですか。
吉野:意識はありましたけど、実感は湧かないですよね。レンズが一個あるだけですから。どうなんだろう? と思いながらやってました。
──従来のライブをやれるのはまだだいぶ先でしょうし、今は配信と人数制限した有観客ライブの二毛作にならざるを得ないですよね。
吉野:これまで通りのライブはこの先まだできないだろうなとは思いますね。なんせまだワクチンも開発されていないし、軽症者のほうが多いから大丈夫なんだとか言う人もいますけど、重症になって亡くなる人も多いし、どんな病気でも重症になれば死ぬんだみたいな言い方をする人もいるけど、そういう付き合い方でいいのかどうかすらまだわからないじゃないですか。だからまだ「これで大丈夫だ」と自分で判断する段階ではないんじゃないかなと俺は思ってますけど。
行けるとこまで行く、やれるだけのことをやる
──当面の食い扶持として、ご自宅の六畳間から生まれるbedside yoshinoの音源制作を10年ぶりに復活させてみるお考えは?
吉野:録音はずっとしてるんですよ。前はMTR(マルチトラックレコーダー)を使ってたんですけど、暇なのでコンピュータで録音するようになりました。もはやコンピュータで録らなきゃダメだと思って、マッキントッシュの中にソフトを入れて録ってますよ。だからアルバムを録り終えた後もずっと曲作りは続いているんです。作っては録っての繰り返しなんですけど、機械のことがよくわからんのですよ。あ、止まった! クルクルクルってなってる! 何だこれ? 再起動しなきゃいけないのか? パンチインはどうすんだ!? みたいな感じで時間がかかって、なかなか前に進めないんです。
──そこまで苦労するのなら、使い慣れたMTRで録ってやろうとはならないんですか。
吉野:最初のうちはそうしてたんですけど、編集能力は圧倒的にコンピュータのほうが高いんですよ。目で見えるのでやりやすいし、すごく優秀なプラグインが廉価で手に入るし、可能性がMTRよりもいっぱいある。当然のことですけどね。これからあの手この手で何とか生きていかなきゃいけないわけですから、コンピュータのスキルみたいなものを少なからず手に入れておかなきゃいかんだろ、っていうか。せっかくの無職で時間だけはいっぱいあるので、いろいろと勉強しながら震える手で作業してますよ(笑)。
──順調にスキルアップを果たせば年内のリリースを期待しても良さそうですか。
吉野:年内に出せるなら出したいと思ってますけどね。
──吉野さんの場合、やむにやまれぬ事情で歌が生まれてしまうといった感じでもなさそうですよね。
吉野:いやあ、もう無理やり作ってます。そうしないとなまけものなので一生出来ませんよね。今までもだいぶ作ってきたので、10時間くらいはライブがやれるストックがあるんですよ。これ以上要りますか? って思ってる上でもっと作るってことですから、もうやらなくていいんじゃないの? ってラインを乗り越えてまた同じことをやろうとするわけで、その乗り越えがけっこう大変なんです。
──今回のアルバムが通算18枚目ということは、シングルやコンピレーションの収録曲、ソロ楽曲まで含めると250曲くらい発表してきたことになりますよね。
吉野:細かいことはもう全部忘れましたよ(笑)。
──ライブで披露されなくなる曲もたくさんあるし、残る曲は精選されていくので、それを補う意味でも新曲は必要だという以上にイースタンユースは常に現在進行形のバンドなので新曲がベストであってほしいという気持ちも個人的にありますけど。
吉野:昔の曲をまた引っ張り出してきてやってみると、意外と良かったりするんですよね。ずっとやってなかった曲、ライブで一度もやらなかった曲をいざやってみると新鮮だったり、ちょっとアレンジを変えてやってみるとグッと気持ちも上がったりして。メンバーが替わったのもあるんでしょうけどね。
──それは去年の9月の野音でも実感しました。17年前に同じ場所で聴いた「歌は夜空に消えてゆく」が格段に良くなって聴こえましたし。
吉野:村岡さんはちゃんとモチベーションを持ってバンドに取り組んでくれてるので、同じ曲でもそれまでとはまた全然違う感じでやれるんですよ。世界観もある人だし、テクニックもあるのでとても新鮮にやれるんです。メンバーが替わるのは良かれ悪しかれの部分がなくはないですけど、それによって曲が更新されていく、ずっと続いて先に進んでいくところはありますよね。前とはまた違う形にはなっていくけど、どんどん変わったっていいんじゃないかと思うし。
──変化を恐れず、イースタンユースはこの先もやれるところまでやっていくということですよね。
吉野:行けるとこまで行く、やれるだけのことをやる。回せるところで回していく。それしかないですよ。不安定なのは宿命みたいなものですけど、〈待てば海路の日和あり〉という言葉もあるし、チャンスはまだあると思う。俺には唄うことしかできないし、生きてることの実感や発露を曲として形にし続けることしかできないけど、それで何とか生き残ってやろうと思ってます。そのためにもまずは宅録の機械をちゃんと覚えるところから始めますよ(笑)。