下北沢を根城に10年もの歳月を経て、街ぐるみの大規模なサーキットフェスへと成長させ、今や冬の風物詩として定着した"下北沢にて"
主宰するTHEラブ人間金田康平と、ツネ・モリサワの両名に、下北の新スポット「空き地」にて青空インタビューを敢行!変わりゆく街と、この祭りへの思いを伺った。[interview:義村智秋(下北沢SHELTER) / photo:丸山恵理(LOFT PROJECT)]
街と関わってる者としては、めちゃくちゃ嬉しかった
──下北沢に根ざした活動をされていますが、そもそも何で下北沢なんですか?
金田康平(以下金田):知り合ったのが下北だったんです。22歳とかなんで、11、2年くらい前かな。その頃は埼玉でよくライブやってたんですが、大学の同級生の友達が下北沢CAVE-BE(現 下北沢近松)でバイトしてたんです。「埼玉でばっかやってないで下北でやれば」って言われて。ただ、当時の下北沢になんか良いイメージなくて。ローカルから上を目指そうとする者にとっては煌びやかに見えたんです。生まれが西東京だったので、都心とかのライブハウスよりローカルの方が型にはまってない面白いバンドがころがってると思ってたんですけど、まぁせっかくだから出てみたら、ツネがブッキングしてたんです。友達はそこの照明で、SUNDAYSのドラムだったんですけど。昔その彼とツネがバンドやってて。だから俺の友達のバンドメンバーであり、出たライブハウスのブッキングだった。
──なるほど、それぞれで活動されてて、一緒にやろうと。
金田:2009年の1月に、お互いのバンドが解散したタイミングに、ツネが誘ってくれて。
──下北沢にてもその流れで?
金田:もともとはラブ人間を組む前に話してた事なんです。俺も1回下北に出たら面白いなと思って、そこからほとんど埼玉のライブハウス出なくなっちゃって、CAVE-BEばっか出てたんです。ライブ終わった後にゆっくり話すようになって、面白いこと何かできないかねって話してたら、440(four forty)の前の道を歩行者天国にして、でっかい櫓を立てて、ビートルズのルーフトップ・コンサートみたいなイメージで、そういうの下北でできたらいいなって。そんな夢物語を話してました。それでラブ人間を組んで、最初の全国ツアーのファイナルで、ひとまずあの夢の最初として、3会場でサーキットイベントをやろうと。バンド自体が主催でやってるのもなかったし。
──今ほどサーキットは盛んじゃなかったですよね。
ツネ・モリサワ(以下ツネ):下北のサーキットだとround upぐらい(笑)。
──おぉ、懐かしい!(笑)
金田:3会場も今考えると少ないけど、多かったよね。異常な感じではあったんだけど、やってみよう! と思ってやりました。
──そこから規模も大きくなって、10年…ブッキングは主にお2人でやられてるんですか?
ツネ:最初は2人でやってたんですけど、2015年くらいから制作委員会方式みたいな感じで、基本はラブ人間のメンバーなんですけど、近松のスタッフや、バンド辞めてったメンバーとか8人くらいでやってます。
金田:最初は友達を呼ぶ普通の自主企画の一環だったんですが、それが自分たちの仲良い、見せたいバンドだけだと限定されちゃうんで、ちょっとずつ第三の目を入れていった感じです。
ツネ:基本的にシモニテ(下北沢にて)って、ラブ人間と対バンした事があるバンドに出てもらってたんですよ。
金田:絶対条件がそれだったもんね。
ツネ:なかなかそれだと、若いバンドとやる機会だったり、良いなって思うバンドとやらなくなるじゃないですか。なので、新しい出会いみたいな事も考えて、新しい血を入れました。
──シモニテのラインナップは、カラフルで音楽以外のものも取り入れてますよね。
ツネ:お笑いとかは、単純にお笑いが好きだからってのもあるよね。
金田:同じ板の上で勝負してるし、バンド以外の業種の友達も増えたので、そういう人たちと休みの日に普通に遊ぶだけじゃつまんないから、呼び出したってのもあるね。2014、15くらいにメジャーから離れて、自分たちで基本全部やらなきゃいけなくなって。そこでツネが会社を立ち上げて、そこら辺から自主企画から、下北沢の恒例の祭りにしたいってのがキーワードになりました。そうすると、音楽以外もおのずと必要になってくる。あと、街の人が協力していただけるようになったのが超でかいです。それがなかったらできてないです。
──確かにシモニテは本当に商店街を巻き込んでいますよね。
ツネ:僕が南口の理事会の一員なんですよ。なんで、義村さんもやってください!
──あ、会費は払ってます(笑)。
ツネ:今年、ついに6商(南口商店街、一番街、東会、しもきた商店街、ピュアロード新栄商店会、代沢通り共栄会)が協力に入ってくれるんですよ! 表出して言ってもみんなわかんないと思うすけど(笑)、街と関わってる者としては、めちゃくちゃ嬉しかったんですよ。本当に、街の行事にはいろいろ参加してますから。本当に!
──地域のお祭りなどにも協力しているんですね。
ツネ:してます。スタッフ出したりして。あと下北沢一番街の阿波踊りでは、お茶汲みを毎年僕らがやってるんですけど、1日1200杯くらい出しました(笑)。踊った人に渡す、給水所の役割なんすけど。
──そうした取り組みをして地元の人の信頼を得ていったんですね!
金田:そういうのを楽しめるロックバンドって少ないと思うんですよ。ロックって括りで考えたときに、ロックじゃねぇと突っぱねる人も多いと思うんですが、俺とツネが元々持ち合わせた人柄というか人間性がノーボーダーだったのが良かったですね。