アーバンギャルドの歌姫である浜崎容子がバンドと並行してソロ活動を始めてから10年近く。名匠・角松敏生をプロデューサーに迎えて完成させた最新作『BLIND LOVE』、ファースト・アルバム『フィルムノワール』の完全版である『Film noir ultime』という現在と過去を繋ぐ両作品を聴けば、不世出のシンガー・ソングライターの自我が確立していく変遷、アーティストとしての着実な進化の軌跡を如実に窺い知ることができる。表舞台に立つのを好まなかった自己肯定感の低い女性は電子音の鎧を徐々に脱ぎ捨て、稀代の名伯楽の手腕により自分が何者であるかを知り、身の丈に合う自身ならではの歌をナチュラルに唄うようになった。思春の森を彷徨っていた少女は都会の喧騒の中で恋に煩う大人の女性へと成長した。同じ恋の闇と病みを唄うにも、歌唱と楽曲がソフィスティケートされたことで大衆性とポップの精度が一段と増した。ジャンルの呼称は和製AORでもシティ・ポップスでもライト・メロウでも何でもいい。盲目の愛に想いを募らせる女性の胸中が良質な歌として昇華した『BLIND LOVE』は、丹念に研ぎ澄まされた至上のポップ・ミュージック作品であり、夜に溺れた人たちに向けた都会のサウンドトラックであり、恋の迷宮に迷い込んだすべての人たちに捧げる出色のラブソング集である。(interview:椎名宗之)
的確だった角松敏生の〈プロファイリング〉
──どんな経緯で新作のプロデュースを角松敏生さんに委ねることになったんですか。
浜崎:次にソロ・アルバムを作る時はプロデューサーを立てたいと考えていたんです。自分でもプロデュースはできるけど、それだとどうしても自分の好きな世界観に寄ってしまうので。『BLIND LOVE』と同時発売される『Film noir ultime』を聴いてもらえればわかると思うんですけど、自分一人で作ると偏った世界観になっちゃうんですよ。そうではない、もっと自分の別の一面を引き出してもらえる方を探していたんです。それとサウンドだけではなく、ボーカリストとしても尊敬できる方が良かった。もっと歌が上手くなりたい、ボーカリストとしてさらにステップアップしたい気持ちがあったので、その部分を伸ばしてくれる方、何らかの気づきを与えてくださる方を探していました。何人か検討していた中で、たまたまウチの事務所の社長が角松さんと昔からの知り合いだったので、ダメ元でお願いすることにしたんです。最初は絶対に断られると思っていたんですけど、一度お話をしましょうということになりまして。結果、引き受けてくださることになりました。
──角松さんの音楽はもともとお好きだったんですか。
浜崎:両親がすごくファンだったんですよ。自我が目覚める前の幼少期に、角松さんや杏里さん、久保田利伸さんといった音楽が常に家で流れていて、角松さんの音楽をずっと聴いて育ったんですよね。自分の音楽遍歴の一番最初の部分と言うか、私の中では歌手・音楽とはこういうものなんだという雛型でした。
──角松さんはシンガーやミュージシャンとしての資質を見出せないアーティストからのプロデュース依頼をビジネスとしては受けないそうですから、浜崎さんのこれまでの作品を聴いて何か光るものを感じたということですよね。
浜崎:そうだったらとても嬉しいですね。角松さんの中で私は今までプロデュースしたことのないタイプのボーカリストだったみたいで、私が作ってくる曲も面白かったと仰ってくださいましたね。
──今作『BLIND LOVE』は一聴して従来にない音の良さにまず驚きますし、クレジットを見るとピアノの森俊之さんやサクソフォーンの本田雅人さん、ギターの鈴木英俊さんといった錚々たるミュージシャンが脇を固めていて、プレイも音作りも非常に熟練されたものになっていますね。
浜崎:角松さんがいつも起用されているミュージシャンの方々が参加してくださっているのを私は後で知ったんですけど、送られてきたクレジットを見て驚きました。「もっと早く言ってよ!」って(笑)。こんなに豪華な顔ぶれが私のために参加してくださったなんて。
──今回の収録曲は、これまでに書き溜めていた曲もあれば、角松さんのプロデュースが決まった後に書き上げた曲もあるんですか。
浜崎:だいたいの曲は角松さんにプロデュースをしていただくことになってから書き上げました。「バイブル」だけは4年くらい温めていた曲なんですけど、それでもAメロとかは最初の頃と全然違う感じになりましたね。
──1曲目の「不眠」は角松さんによる作詞・作曲ですが、これはやはり浜崎さんをイメージして提供された曲なんでしょうか。
浜崎:らしいです。レコーディングに入る前と言うか具体的な作業に入る前に、角松さんとは何カ月もメールや電話のやり取りを毎日のようにしていて、それもメールはかなり長文のやり取りだったんです。途中でこれはプロファイリングされているんだなと気づいたんですけど(笑)、プロデュースする上で私がどういう人間なのかを把握しておきたいんだろうなと思いました。「君はこういう人なんだね」みたいなことを断定的に言われて、ちょっと病んだ時もありました(笑)。
──何か決定打みたいなことを言われたんですか。
浜崎:一番鮮烈だったのは、「君は本当に人を好きになったことがない」ですかね(笑)。そんなことありませんよ〜! ってちょっとムッとして(笑)反論したんですけど、その後にふと考えたんです。いや、それはその通りかもな…って。それで歌詞を書き直したのが「新宿三丁目」なんですよ。
──ああ、「私は私以外愛せない」という歌詞がありますものね。
浜崎:あと、「誰かを好きになりたいのに/誰も好きになれないの」という歌詞もそうですね。
──『Film noir ultime』に収録された新曲「FORGIVE ME」にも「誰かを愛してみたい」という歌詞がありますね。
浜崎:そうなんです。誰かを愛してみたいんですよ(笑)。
──結果的に角松さんのプロファイリングは当たっていたわけですね。
浜崎:実は的確だったんですよね。他者から見る自分と自分自身が思う自分は違うものだけど、他者から見る自分は当たらずとも遠からずなんだなと思って。そういう今まで気づけなかった自分自身に気づけたことで、『BLIND LOVE』の後に作った『Film noir ultime』の新曲の歌詞は角松さんから言われたことにだいぶ影響を受けていると思います。
角松の提供曲「不眠」で見せた二面性
──「不眠」は自身の欲求をいつか満たしたいと唄われる、そこはかとなく艶っぽい曲ですね。
浜崎:男性のインタビュアーの方は皆さんこの曲に引っかかるみたいですね。「不眠」は、私がこれまであえて避けてきた言葉を全部使われたようなところがあるんです。ああ、この言葉を使うんだ…? みたいな。そこも角松さんに見透かされているなと思いました。
──「生きたい」とか「したい」といった言葉ですか。
浜崎:そうですね。あと、「咲わない 嗤えない」とか。私とメールのやり取りをして「この子は本当に不眠症なんだな」と思われたんじゃないでしょうか(笑)。
──「不眠」は構成もユニークで、前半は性急なビートで疾走する感じですけど、後半では一転して浮遊感のある曲調に様変わりしますね。
浜崎:前半は角松さんがプロデュースしたいと思うボーカリストの唄い方で、言ってみれば角松スタイルなんですよね。曲がガラッと変わるところからは従来の私のスタイルを出したいということで、1曲の中で二面性を出す意図が角松さんの中であったみたいです。
──なるほど、1曲目から意表を突く狙いがあったんですね。
浜崎:「不眠」が一番最後にできた曲なんですけどね。自分なりに全体の流れを決めていて、「不眠」を1曲目にしようとは考えていなかったんですけど、角松さんがこういう曲が入ると面白いって提案してくださって。最初は自分に唄えるかどうか不安だったんですよ。かなり難易度の高い曲なので。実を言うと、『BLIND LOVE』の制作は2年前から取りかかっていたんですが、角松さんがいろいろあられたようで精神的にダウンされてしまって一度中断したんです。「この子(容子)のエネルギーが強すぎてとても今の自分には手に負えない」と思ってしまったんだって後に話してくださいました。角松さんが回復されてから制作を再開したんですけど、その時に「ひょっとしたら曲が書けそうな気がする」とメールをいただいたんです。私のために曲を書きたいと思っているけど少し待ってほしいと言われて、その後「不眠」を提供してくださいました。
──「バイブル」と「新宿三丁目」は、浜崎さんの歌と角松さんのギター、キーボード、プログラミングだけで構成されていますが、浜崎さんのデモはどの程度活かされているんですか。
浜崎:私としてはベース、ドラム、コード、構成をまとめた簡易的なデモのつもりだったんですけど、角松さんはかなりしっかりしたデモを作り込んできたなと思ったらしいんですよ。なのでそのデモを壊すところから始まったんですが、アレンジは最初から全部お任せさせてもらうつもりでした。結果的には「春の去勢不安」のイントロや「バイブル」の間奏のオルゴールとかベースがトリッキーな部分、「リフレイン」のリフとかも私のデモがそのまま使われました。面白がってくれていたようで。
──浜崎さんのデモに対して角松さんからどんなアドバイスを受けましたか。
浜崎:たとえば「バイブル」の場合、角松さんは歌のキーをどうするか最後まで悩んでいらっしゃったんです。最初のデモではもっと高く作っていたんですけど、最終的には一音下げたんですよね。それと同じように「キーを下げてみたら?」とアドバイスをくださった曲が他にもありました。私はずっとハイトーンで唄ってきたし、それが自分の唄い方には合っていると思っていたんですけど、角松さんとしてはもっと低くて太い良い声が出るのにもったいないと感じたみたいで。それと「バイブル」は、「こっちのほうがポップスとしてはポピュラーなキーなんじゃない?」と角松さんに言われたんです。私はキーを下げられることに最初は抵抗して、ちょっとケンカになったんですよ(笑)。
──巨匠に物怖じずることなく、健全なディスカッションをされたんですね(笑)。
浜崎:自分としては楽曲に対してこういうものを作りたい、こういう感じでやりたいという思いが強すぎたのかもしれません。ソロの3作目を作るにあたってアルバム全体のテーマと言うか、こういうものにしたいという具体的な構想は特になかったんです。出てきた曲で何となく方向性が見えましたが。ただプロデューサーを立てたい、できるだけカバーを入れずにオリジナルを増やしたい気持ちだけはありました。前作の『BLUE FOREST』では「雨音はショパンの調べ」と「誰より好きなのに」というカバーが2曲あったし、本当はせっかくやるならオリジナルをしっかり作りたいタイプなんですよ。カバーならライブでもやれるし、それをわざわざ音源にする必要もないと思っているので。
──とは言え、「THE TOKYO TASTE」はサディスティックスのカバーですよね。
浜崎:角松さんのセレクトで、それまで不勉強ながら存じ上げなかった曲ということもあって、自分の中ではカバーという認識があまりないんです。あと、「春の去勢不安」は菊地成孔さんに歌詞を書いていただきましたが、それは前作の「ANGEL SUFFOCATION」からの流れもあったし、私は菊地さんの言葉がすごく好きなので今回も依頼しました。それ以外の作詞・作曲はできるだけ自分でやりたかったんです。