「東京、午前4時」は普段着の自分に近い楽曲
──今回、角松さんから学べたのはたとえばどんなことでしょう。
浜崎:学べたことがありすぎてひとつには絞り切れませんが、一番思ったのは、角松さんほど歌のお上手な方でもまだ全然納得がいってらっしゃらないし、もっと上手くなりたいという向上心があるということですね。それが一流とそれ以下の違いなんだなと思いました。
──角松さんのボーカルはもちろんですが、情感豊かなギターもまた素晴らしくいいですよね。「バイブル」の最後でギター・ソロがフェイドアウトしていくのがもったいないし、もっと聴いていたいなと思って。
浜崎:私も角松さんのギターはすごく好きです。「バイブル」のギターは、確か私が「こういうギターが好きなんですよ」と何かの曲を角松さんに聴いてもらって、そのテイストを入れてくださったんだと思います。
──今回は『BLIND LOVE』と同時に『フィルムノワール』の完全版という位置付けの『Film noir ultime』が発売されますが、長らく廃盤だったファースト・アルバムを改めて世に問うことにどんな意図があったんですか。
浜崎:単純にスタッフから再発しないかと提案を受けたからですね。当時は当時なりに頑張って作って、会場限定販売で完売して廃盤となって、私としてはまた出すつもりは全くなかったんです。配信だけはしていましたけど、自分の中では完結したものだったので。スタッフからまた出しましょうと言われて、それなら新曲を入れないと個人的に納得できなかったんです。
──「思春の森」の後の3曲の新曲(「FORGIVE ME」、「Maybe Not Love」、「東京、午前4時」)を聴くと、この9年の間にボーカリストとしても作曲家としても格段の成長を遂げたことが如実に窺えますね。
浜崎:まず唄い方が全然違うし、追加の新曲以外はアーバンギャルドに入る前に作った曲が多かったのもありますね。当時は1曲に対して何カ月もかけて作っていたし、なかには「ブルークリスマス」のように1年かけて完成させた曲もあるんです。なぜそこまでこだわったのか自分でもよくわかりませんけど、そういうこだわりが今はいい意味でなくなったんですよ。初めて打ち込みで作ったのが確か「暗くなるまで待って」で、ソロの1枚目だからすごく気合いを入れていたのは伝わりますね。
──いま聴くとそのちょっと前のめりな感じが愛おしく感じますけどね。
浜崎:初期衝動から生まれたものとして受け止められはしますけど、当時の音源を今のものとして聴かれるのは不本意なんです。それで新曲を入れることを再発の条件として挙げたんですよ。結果的に自分の作業が大変になりましたが(笑)。
──「FORGIVE ME」はサビのメロディで「だったん人の踊り」というクラシック(オペラ)の有名曲を引用しているユニークな曲ですね。
浜崎:以前から「だったん人の踊り」がすごく好きで、ポップスに落とし込んで自分なりにやってみたかったんです。ただメロディだけは知っていたんだけどタイトルがずっとわからなくて、自分で検索しても出てこないし、「こういうフレーズがある曲なんだけど知らない?」とおおくぼ(けい)さんに訊いてみたんです。おおくぼさんも聴いたことはあるけどわからなくて、彼が誰かのツアーのサポートで大阪にいる時に空き時間を利用して検索してくれたんですよ。翌々日くらいに「もしかしてこの曲では?」とLINEが届いて、そう! これこれ! と(笑)。
──「Maybe Not Love」はいかにも浜崎さんらしい不器用な恋心を唄った曲ですね。
浜崎:メロディは気に入っているんですけど、アレンジが「ブルークリスマス」っぽくカオスになってしまって、作りながら途中でアチャーと後悔しました(笑)。もっとポップな感じにしたかったですね。自分の趣味に走るとどうしてもこうなっちゃうんですよ。
──『Film noir ultime』の3曲の新曲は、今の浜崎さんなりに『フィルムノワール』の世界観に寄せたんですか。
浜崎:寄せましたね。後から『フィルムノワール』に入っても世界観が崩れない曲でありながら、今の私をちゃんと反映させたものにしようと意識しました。だけど「東京、午前4時」だけはちょっと違いますね。あれは逆に『BLIND LOVE』に自分が寄せた曲です。『Film noir ultime』の中では異色で、一番ポップだと思うんですよ。それでもあえて入れたのは、今の自分がこういうモードであることを伝えたかったし、次のステップがどんなふうになるのか予感させるものにしたかったからなんです。とは言え、次もどうするか何も考えていませんが(笑)。
──今のモードと言うのはさっき話に出た、東京での恋に思い煩う女性の心情を唄うということですか。
浜崎:「東京、午前4時」の歌詞もメロディも自分の中ではけっこう自然体なんですよ。アーバンギャルドみたいに徹底して作り込んだ感じではなく、Tシャツとジーパンみたいな普段着の感覚に近いと言うか。
自身のセクシュアリティを公にして生まれた変化
──なるほど。だけど最後の「押し倒したい…」というワードにはドキッとしますね。
浜崎:角松さんのレパートリーに「OSHI-TAO-SHITAI」という曲があって、そこから勝手に引用させていただきました。「東京、午前4時」は最後の歌詞のサビだけなぜか男性の視点っぽくなっているんですよね。それまでは女性の視点だったはずなのに。そこが自分の中の二面性と言うか、女々しい恋ができないドライな自分をよく表していると思うんです。ドライではあるけど情熱的なんですよね。口説かれるよりも自分から口説きたいと思うほうなので。
──確かに女性のほうから「帰さない」というフレーズはなかなか出てこない気がします。
浜崎:自分でも書きながら「あれ? ここから主人公が男になってるぞ?」と思ったので、ちょっと恥ずかしいんですよ。自分の本音、本心が意図せず出ちゃったなと思って。
──その部分だけは「誰にでも同じ事言うような女」ではないですものね。
浜崎:そう、変わったんですよ。今でも誰にでも好きだと同じことを言ってますけどね(笑)。だけど自分の中に男性っぽい一面があることを自覚したと言うか、去年、自分がバイセクシュアルであることを公にしたことで、もうそこを隠さなくてもいいとラクになれた部分はあると思います。「東京、午前4時」の歌詞の主人公が途中から急に男性みたいになったのは、自分のセクシュアリティを開放できた、そういう背景もあったんじゃないですかね。
──こうして『BLIND LOVE』と『Film noir ultime』の両作品が揃うことで、浜崎さんのシンガー・ソングライターとしての変遷を図らずも窺い知れる格好となりましたね。
浜崎:そうなんですよね。『BLIND LOVE』は完成までに2年くらいかかっているし、『フィルムノワール』は9年前の作品だし、そこに入っている「暗くなるまで待って」は9年以上前の曲だし、「印象派」に至っては自分が一番最初に作曲した曲なんです。そこに最新の新曲が3曲が加わって、私の今と昔が網羅されたことになりますね。
──『フィルムノワール』では大部分の歌詞を(松永)天馬さんに委ねていたのが、今やご自身でもちゃんと手がけられるようにもなって。
浜崎:最初、自分は歌詞なんて書けないと思って自信がなかったんですね。まわりに天馬というすごく言葉に強い人もいたし、彼と比べられちゃうなと思って。『フィルムノワール』の歌詞も別に天馬にお願いしなくても良かったんですけど、彼以上にいい歌詞を書ける人が当時はいなかったんです。
──歌詞の才能も当初から充分あった気がしますけどね。『フィルムノワール』で唯一浜崎さんが歌詞を手がけた「思春の森」は孤独な女性の心情が詩的に描かれていて、いま聴いても素晴らしいですし。
浜崎:「思春の森」というタイトルは同名のイタリア映画から拝借したんですけど、あの歌詞はビギナーズラックみたいなものだったんじゃないかと思っていて。もともと文章を書くのは好きだったけど、それと歌詞を書くのは別物じゃないですか。「思春の森」の歌詞は確かに自分でもすごくいいなと思いますが、当時はまだ自信がなくて、このクオリティを常に出せるわけじゃないだろうなと思いながら書いた歌詞だったんです。歌詞に関しては徐々に自信をつけて今に至る感じですね。
──『Film noir ultime』にも貪欲に新曲を入れたかったそうですし、曲作りに煮詰まることはそれほど多くないんですか。
浜崎:いや、めっちゃ煮詰まりますよ。だけど作業をし始めるとすごく早いんです。作業に着手するまでの期間が、まわりの人から見ると「こいつは一体何をして生きてるんだ!?」と思われるほどタラタラしているんですよね(笑)。曲を作ろうかなと思い始めてから2週間くらいは「曲作りはどうしたの?」と問い詰められるような期間なんです。その2週間くらいを過ごして「よし、作るぞ!」とギアが入ってからは早いんですけど、2週間くらいの助走期間がないと逆に作れないんですよ。
──でも作家の人でも、書かない時間もまた執筆活動の一環だという話をよく聞きますよね。
浜崎:小説家の方もよく仰いますよね。何もしていないのも創作の時間だって。確かにその感覚に近いのかもしれません。