一年に一枚のペースで良質な歌のアルバムをコンスタントに発表し続けている水戸華之介。デビュー31年目を飾る最新作は、ゴスペル系コーラス・ユニットであるVOJA-tensionとの完全コラボレーション作品であり、バンド・サウンドを離れたまさかのデジタル・サウンドに乗せてアンジーや3-10 chainのセルフカバーと佳曲揃いの新曲が唄われるという従来の水戸のイメージを軽やかに覆す意欲作だ。ゴスペルやデジタルという一見相容れない要素も実は歌とコーラスを際立たせるためのものであり、どんな形態でどんな歌を唄おうが水戸華之介は水戸華之介でしかないことを逆説的に証明している。自身のキャリアとスキルに甘んじることなく今なお新たな扉を片っ端から開け続ける水戸のバイタリティの根源を訊ねてみた。(interview:椎名宗之)
『溢れる人々』はライブを意識した曲順だった
──ゴスペルを基調としたアルバムを作ろうという構想が浮かんだのはいつ頃だったんですか。
水戸:ゴスペルどうこうより先に、コーラスを主体としたアルバムを作りたいと思い立ったのはもう10年以上前。ただ、その方面の人たちと知り合う機会が全然なくてね。仮に高校の合唱部とかと知り合うことがあれば、それで作ってたと思う。それくらい声の集まりを核としたものを作りたい気持ちはあった。
──コーラスワークに重きを置いたバンドは昔からお好きだったんですか。
水戸:おそらくみんなが思っている以上に俺はビーチ・ボーイズが好きでね。だけど普通のバンドをやっていると、そのビーチ・ボーイズ好きな面って活かしづらいのよ。俺がやってきたバンドは割とメンバーのコーラスが上手いほうだったとは思うけど、それはあくまでもロック・バンドとしてのコーラスだから。ストーンズでキース・リチャーズのミック・ジャガーへの絡み方が格好いいみたいな。コーラスって言うより絡みだから。今回はそういうのではなく、リードとコーラスがしっかりと調和したボーカル主体のアルバムを作ってみたかった。
──「今までにやったことのないことをやりたい、見せたことのないことを見せたい」という水戸さんの意志の表れのようにも感じますね。
水戸:タイミングもあったね。去年はメジャー・デビュー30周年という冠のついた活動となって、中谷(信行)をゲストに呼んでの『不死鳥』とか、『溢れる人々』を丸ごとやったツアーとか、どれもすごく喜んでもらえたようでね。ただ嫌でも自分のキャリアに区切りがついた空気になっちゃって、ここで今までやったことのないことをやらないとデビュー31年目が印象の薄いものになってしまう気がしたのと、反動として何か新しいことをやろうというのもあって、今年はVOJA-tensionとの完全コラボ作品を作ることにした。
──ちょっと話が逸れますが、『溢れる人々』の再現ライブはやってみて如何でしたか。
水戸:あのアルバムってライブを足がかりに曲順を決めていたんだなと、30年経って初めて知った(笑)。そんなことはこれまで気にしてもなかったんだけど、あの曲順のままやるだけでライブ的に起承転結がついて、ちゃんとショーになったんだよね。そういう並べ方を無意識にしてたんだね。当時はちょうどアナログ盤からCDに移行する時期で、『溢れる人々』はアナログ盤で聴くのを想定してレコーディングを始めたんだけど、最終段階でこれからはCDの時代になるからって、急遽そっちの曲順も考えることになって。だからアナログ盤とCDでは曲順が違うんだよ。で、CD用の曲順を考えたんだけど、アナログ盤みたいに途中でA面とB面の休みがないまま一気に聴かせるってどういうことの実感がないから、結局一本のライブのような並べ方にしてたんだね。無意識に。
──曲順が功を奏して、再現ライブでも違和感がなかったと。
水戸:うん。でも慣れるのは早いもので、2枚目の『新しいメルヘン』ではもうCDなりの曲順の決め方が自分の中ではできてるんだけどね。
──今回の『アサノヒカリ』も一本のライブの流れを意識した曲順になっていますよね。SEを思わせるオープニング・チューンがあって、最後の「青のバラード」まで緩急のついた飽きのこない構成になっていて。
水戸:そうだね。そもそもコーラスのつけ方自体がライブ想定で、同じ人が同時にいないように録ったから。アルバムのパート割りのままライブをやれるようにするのはこだわった。
──VOJA-tensionの皆さんとはどんな経緯で知り合ったんですか。
水戸:3、4年くらい前、彼らがラジオ番組を始めるということで、月一ペースでゲストに出ることになってね。彼らと知り合って、そう言えば俺、コーラスのアルバムを作りたかったなというのを思い出して。で、徐々に俺をリスペクトするように取り込んでいった形(笑)。
──前作『ウタノコリ』も素敵な作品でしたが、新曲が「浅い傷」だけだったじゃないですか。それが今回は7曲もの新曲を聴けるのが純粋に嬉しいんですよね。
水戸:今回のアルバムも最初は『ウタノコリ2』みたいなイメージだったんだよ。VOJA-tensionと一緒に作るのは決めてたけど、それは前作『ウタノコリ』みたいなものをベースにして6人組のゴスペル・グループのコーラスが入る構成かなと漠然と思ってた。だからセルフカバーの中でも『ウタノコリ』の続編的な選曲の名残として「世界が待っている」や「100万$よりもっとの夜景」といった王道の曲があるんだよね。
──VOJA-tensionのスキルが予想以上に素晴らしくて、途中で路線変更したということですか。
水戸:割と早い段階でそうなった。自分なりにどんなコーラスをどう入れようかと考えているうちに面白くなってきて、これはゲスト的な扱いではなくがっつりコラボで作ろうと考え直して、そのタイミングで選んだセルフカバーが「青のバラード」や「生きてるうちが花なのよ」といったあまり光が当たってない曲。そういうちょっと外したセルフカバーを入れるなら、いっそ新曲も入れたくなったという流れ。
歌手なのに唄わないのが究極の理想
──全編バンド・サウンドではなくデジタル・サウンドのトラックにしたのは敢えてなんですよね?
水戸:演奏は自分の主戦場を離れて敢えてデジタル・サウンド寄りにした。歌とコーラスだけが生っていうほうが際立つだろうし。バンド・サウンドだとハマるのはわかるけど、なんか録る前からイメージできすぎちゃうなぁと思って。トラックがほぼデジタルなんてアルバム、作ったことがなかったから単純に面白そうだったし。それに今回は俺のソロ・アルバムと言うより新しいコーラス・グループのデビュー・アルバムにしたかったから、今までやってないことをやりたいという意識がいつになく強かったのかもしれない。
──水戸さんのソロ名義ではなく、あくまでも〈水戸華之介 with VOJA-tension〉という新生グループの作品だからこそ、「夜明けの歌をあげよう」や「アサノヒカリ」、「私の好きな人」では水戸さんが唄うはずの主旋律のパートをVOJA-tensionのメンバーに明け渡しているわけですね。
水戸:できれば自分が唄わずに済めばいいなくらいの気持ちだったしね(笑)。でも実は、究極の理想はそこだったりする。20年前に亡くなってしまったけど、桂枝雀さんという関西落語会の名人がいるでしょ? その人が生前、「究極の目標は噺をしないこと」と語っていてね。高座に上がってニコッとしただけで、お客さんが木戸銭分の満足をしてくれるようになりたいと。噺家なのに噺をしない、歌手なのに唄わない。俺もその域に達したいというのが密かな目標なんだよね。
──水戸さんはゴスペルにどの程度精通していたんですか。
水戸:『天使にラブ・ソングを』の1と2を観ていたくらいの知識(笑)。俺が知ってるのはサム・クック&ソウル・スターラーズやステイプル・シンガーズといった古いゴスペルで、VOJA-tensionの志向するゴスペルとは世代的にズレがあるんだよ。だけど今回はちゃんとしたゴスペルをやりたかったわけじゃないから。もっとポップに寄せた、それこそビーチ・ボーイズみたいなコーラス・グループとしていろいろと考えた。
──コーラス・グループとのレコーディングはキャリア初だったと思いますが、実際にやってみて如何でしたか。
水戸:こんなに一生懸命にレコーディングしたのも久々だった。久々と言うか、生まれて初めてかもしれない。俺くらいのキャリアになると、たとえばギターを入れてる間はほとんどマンガを読んでるからね(笑)。申し訳ないので一応はスタジオにいるけど、澄ちゃん(澄田健)クラスのギタリストに対して俺がとやかく言うことはないし、自分がやりたいイメージを最初に伝えとけば、後はお任せしたほうがいいから。どっちが良いか聞かれたら答えるくらいで。
──今回はVOJA-tensionというコーラス・グループが相手だったから、いつものレコーディングとはだいぶ違ったわけですね。
水戸:同じボーカルだから、自分の引き出しの中からいろんなことを言えちゃうんだよね。「こうして、ああして、もっとこんなふうに」とか。録っている間にあれだけずっとミキサーの後ろにいたのは今回が初めてだったんじゃないかな。通常、ミキサー卓の後ろにテーブルがあって、そこにディレクション的な人が座っている。その後ろにソファーがあって、録り待ちの人がそこに座っている。だいだいどこのレコーディング・スタジオもそういう3段階なんだけど、俺は今までほとんどソファーにしか座ってこなかった。ところが今回は3回くらいしかソファーに座ってなくて、ずっとミキサーの後ろのテーブルに陣取っていたんだよ。
──デビュー31年目にして初めて本格的なディレクションをしたと。
水戸:こう言えばもっと良くなるというのがわかっていたし、やり始めると6人全員の個性が全然違うのが見えてきたので、いろいろと試してみたくてね。コーラスってどうしても寄せようとするものだけど、これだけ個性がバラバラならあえて寄せないほうが面白いなと思ったので、そこは一番こだわった。寄せた綺麗さよりもバラけた面白さ優先でね。一人ずつの個性が見えたほうが絶対に面白いと思ったし、俺がこのアルバムで求めたのは寄せたコーラスの美しさではなかったから。