先日、1日限りではあったが、待望のオリジナルメンバーによる3ピースバンドスタイルのライヴを15年ぶりに敢行。ソールドアウト且つ全く遜色やブランクを感じさせないライヴで大成功を収めた音速ライン。そんな彼らの原点とも言えるのがデビューミニアルバム『うたかた』と言える。前身バンドから長年に渡り作り続けてきたその珠玉の楽曲たちが収まった同盤。これを機に彼らの名前は方々へと広まった。
そんな同盤がこの度、アナログ盤化されることとなった。しかもそれをそのまま盤化させるのではなく、この為にミックスとマスタリングを再度やり直し、且つ最高音質にて収めた同盤。ジャケットの可愛い猫ちゃんも含め飾り用でもいいので是非購入をおススメしたい。
そんな音速ラインの2人にその『うたかた』についてや当時の心境等を振り返ってもらい、今回のアナログ盤化のポイント等を語ってもらった。[interview 池田スカオ和宏]
当初は、「今なりの僕たちを魅せたい」と言っていたけど、実際は全然違っていた (大久保)
━先日の3ピースライヴを振り返っていかがですか?
藤井(Vo&G):単純に楽しかったよね。
大久保(Bass):合わせた印象が昔と全く変わってなかったんです。
藤井:色々と思い出したなぁ。3人で顔を見合わせて演る感覚とか。MCでも俺をイジる感じだったけど、あれもあの3人ならではだったな…って。今、俺がイジられることがあまりないもん。あと、アイコンタクトも3人だと多かった。両側に居ると(4人体制)そんな必要もないからね。
━それは人数が少ないが故の一丸性の必要性から?
大久保:いや、逆トライアングルというのが大きいですよ。あの形だとイヤが上でも相手の動きやタイミングが目に入って気になっちゃう。でも演る前は、「今なりの僕たちを魅せたい」なんて言っていましたけど、実際、3人で合わせてみたら全然違いましたね。
━それはどの辺りが?
大久保:リハーサルで初めて3人で合わせてみて想像と全然違っていたんです。「現行の~」なんて言っちゃったけど、やっぱ変わってねぇな…って。
━課題だったギター1本のみでの表現に関してはいかがでした?
藤井:やることは増えたけど、そのぶん燃えました。結局自分は昔、ボーカルやりたい人間というよりかはギターをやりたい人間だったことを思い出して。そこがより出ましたね。それこそギター少年だった感覚が蘇ってきました(笑)。でも大変は大変でしたよ。俺、当時はそれが当たり前で、「3ピースは大変」なんて一切思ったことがなかったんだけど。その実は大変だった感覚もついでに思い出しちゃいました(笑)。
大久保:でも、作品では藤井さんがギターを重ねているけど、根本は3ピースバンドスタイルで録ってますから。だからそんなにさほどの違和感はなかったかな。
藤井:特に最近はギターを重ねる本数も少なくなってきたので、より3ピースのスタイルに近くなってきているからね。ライヴの再現性をより重視して出してるモードでもあるし。逆に昔はライヴが嫌いだったから(笑)。
━意外です。なんか「ライヴバンド!!」ってイメージがあったもので。ただし、マイペースですけど(笑)。
藤井:最近はそうなんだけど、特に最初の頃は…。当時は自分の頭の中でオーケストラみたいにバーンと色々な音が完成形で鳴っていて。そこから作品化する為にそぎ落としていく作業が大変だったというか。ましてやそれをライヴで表現するとなると…。対して今は、“ここまでだったらライヴで再現出来るだろう”を前提にレコーディングをしていますから。最初から引き算になっている。やっぱり若い時はどうしても足し算の嵐だったからね。なんか物足りない、寂しいって。エンジニアさんによく怒られていましたもん。「まだ重ねるのか!?」って(笑)。
自分たちでも色々な方々が無理せずとも観れる環境づくりの大事さに気づいた (藤井)
━(笑)。当日のステージでお客さんを前にしてはいかがでした?
大久保:「待っていました!!」という表情の方が多かったのが印象深いですね。あと、熱量もこれまで以上のものを感じたし。まぁ、逆に僕らはこの3人でいつも通り演る、それだけでしたけど。
━ライヴがお昼帯というのも斬新且つ今や家庭や子供が居るファンの方には親切な時間帯でしたが。
藤井:ライヴの形もその年齢に合わせて変わっていってもいいことが立証されました。今回はあの頃のファンの方も多く来るだろうとの予想もあり、その方々が最も来やすい形の一つにしてみたけど、あれはあれで正解でしたから。自分たちでも色々な方々が無理せず観れるような環境づくり、その大事さにも気づかされたライヴでもありました。
大久保:だけど、あれはたまにだったからいいんです。頻繁にやっちゃうと特別感が無くなっちゃう。だって、(藤井さんを見ながら)今はそう言っているけど、一番最初に飽きるのは、この人ですから(笑)。
藤井:それは確かに言える。ちゃんとまともに考えて動いているのはいつも剛くん(大久保)の方だから。もう俺はそれに従うしかない。俺はほぼ思いつきなんで(笑)。だけど、タケちゃん(オリジナルメンバーの菅原健生)があんなに嬉しそうな顔をして叩いていたのがホント良かったし、嬉しかったなぁ。
大久保:ずっと音速ラインのことを気にしていたみたいだからね。
楽しく作っている感覚を捨て切れなかったから今だ売れていないとも言える (藤井)
━そんなインディーズ時代を象徴するかのように今回1stミニアルバムの『うたかた』がアナログ盤化されるわけですが…。
藤井:今回改めて聴き返して感じたのは、当時はあまりギターロックバンドの中でも自分たちのような音楽性のバンドっていなかったなってところで。激しく且つ切ない音楽性のバンドがあまりいなかったんだよね。いわゆる和メロを日本語でやるギターロックバンドみたいな。意識してそこに落とし込もうとしていたわけじゃないだけど、結果俺たちがやりたくて演っていたことを当時はまだやられていなかったという。今だとけっこう居るじゃん、こういったバンドって。
大久保:今、凄くそれを感じる。
━でも、その一つの要因としては音速ラインの活躍のおかげもあるのでは?例えば今の若手のおいしくるメロンパンなんて、みなさんから多大な影響を受けたことを以前も語っていたし…。
藤井:もっともっとその辺りに心当たりのあるバンドマンたちは公表して欲しいよね。俺たちの名前を出してくれって(笑)。
━今回改めて聴き直したのですが、当時からキチンとエモみたいな要素って入っていたんですよね。
藤井:そうそう。ホント時代は回っている感じがするするもん。
━この時期、半年間で2作品というハイペースのリリースでしたが、これまでの活動の集大成的な意味合いもあったのでしょうか?
大久保:この『うたかた』も次の『青い世界』(その5か月後に発売された音速ラインの2ndミニアルバム)も、これまでに作り溜めていた楽曲から成立していますからね。まさにそんな感じ。駆け出しだったこともあり、これまでの自分たちの楽曲のベスト的な内容の2枚です。
藤井:俺らここまでが長かったからね。それこそまるで蝉のように、地中で何年もその日がくるのを待ち続けていたような楽曲たちです。俺なんて22歳から30歳近くまでバイトやっていたから(笑)。でも、振り返ると人生ってピークやそこからのダウン等もあったりと、結局人生はプラマイゼロなんだと実感しています。
大久保:でも、この時期はそれこそ上しか見ていないというか。まっ、下が無かったとも言いますが(笑)。
藤井:ある意味、これだけ苦労していたからこそ曲は、作り溜めていられたことが今になってよく分かるんです。それだけの準備時間があったからこそ、珠玉の楽曲たちで勝負できたし、それを収められたのだなって。当時は、「楽しくなくなったらバンドは解散」なんて気概で活動をしていましたから。仕事だと自覚した時点でヤメようと。だけど未だ一向に楽しくなくなってくれない(笑)。とは言え、今だに仕事じゃないと感じていること自体が本末転倒なのかもしれないけど(笑)。
大久保:今でも楽しく作っている感は端で見ていて感じます。今やもう好きでしかない部分のみでやっているなって。
藤井:それを捨て切れなかったから今だに売れていないとも言える (笑)。