ボーカル・スタイル
——それでは互いのボーカル・スタイルについて持っている印象はどんなことですか?
幸也:僕は、声っていうのはその人にしかないものだから、声が一番最初のイメージにありますね。それと樹威の場合は、単純に技術もあるから。あとは、これは職業病みたいなもんなんですけど、プロデュースの仕事も長くやってるから、「俺だったら、こういう曲をこの声のボーカリストに歌わしたいけどな」みたいな視点では常に見ちゃいますけどね。やっぱりいい部分とか悪い部分とか、知れば知るほど「こういう楽曲に合うんじゃないか」とか、そういう印象で見てますけどね。それはやっぱりボーカリストとして魅力があるから、そういうことを思うんであって。失礼ですけど、ほとんどのボーカルの人に対して何も思わないんで。だからすごく期待しちゃうボーカルですね。
——樹威さんは?
樹威:僕はD≒SIREの頃から知っていたんですけど、その時はまだライブは観たことはなかったんですね。CDでしか知らないんですけどD≒SIREの時は、すごくクールで甘い声だって思ったんですけど、この前のKISAKIさんのバースデーの新宿ReNYで久々にライブを観させて頂いた時は、すごく情熱的に歌っている姿を観て、感情がすごく豊かな方なのかなって自分的に解釈していたり。JILSの時もライブは何度か観させて頂いていて、その時のMCでのしゃべりの毒と言うか、お客さんに「うるせーよ、ブス!」って言っていたのを観た時に、「あっ、こんなことを言っていいんだ」って思って、僕も少しずつ幅を…。
一同:(笑)
樹威:それが広げようと思ったきっかけでした。この前の新宿ReNYの時も「ギャラもらったら帰るから」って(笑)。
幸也:「何曲歌ってもギャラ同じだから」ってね(笑)。KISAKIのイベントだったから、自分のファンじゃない人もいるわけじゃないですか。「今日のライブが楽しかろうと楽しくなかろうと、俺はどうでもいいんだよ。ギャラはもう決まってるんだから(笑)。楽しくなりたければ協力しろ。楽しくなりたくなければ、別に俺のことは無視してもいいんだ。それでも俺がKISAKIからもらうギャラは一緒なんだよ」ってね(笑)。
一同:(笑)
樹威:僕もその後のMCで「今日は別にギャラさえもらえれば」って言ったんですけど(笑)。
幸也:言っちゃってんじゃねーかよ(笑)。
新宿LOFTの思い出
——では、出演時でもライブを観に来た時でもいいので、LOFTの印象や思い出等を1つ教えて下さい。
樹威:僕はBOØWYとかがやっていたイメージがありますね。登竜門的な。あとヴィジュアル系ではないジャンルのライブを観に、まだヴィドールをやってた時に2〜3回友達と来たことがあるくらいですね。出演で言うと、僕は数えるくらいしかなくて、ヴィドールの休止前に一度…。
幸也:一緒にやったよね。
樹威:はい。ヴィドールで対バンしたのと、GOTCHAROCKAではこの前と過去に2回くらいですかね。
幸也:僕は始まりがBOØWYで、そこから遡ってTHE MODSとかARBとかTHE ROOSTERS とか好きになったり、アフターBOØWYって言われている部分のバンドで、PERSONZだったりとかがすごい好きで、お客さんとして来てましたから、俺にとって新宿LOFTっていうのは、ある意味ゴールですよね。LOFTに出たくてバンドを始めてるから。有名になりたいとか売れたりとかよりも、バンドをやるようになって最初の目標は、新宿LOFTでやりたいなっていうとこだから。ある意味LOFTでワンマンが出来るようになった時点で、自分にとっては成功と言うか。それはすごくありますよね。いろんな運命とかもあるから、西新宿のLOFTが終わるまでに自分があそこでワンマンができるくらいバンドを頑張れたっていうのがすごくホッとしてることだし、JILSってバンドに関してで言うと、歌舞伎町のLOFTのスタートとJILSのスタートは同じ年で、まだここが工事してて店が出来てない頃に、俺は連絡して…。当時は誰に連絡していいかも分からなかったし、まだ店長も決まってなかったから、平野さん(LOFTの会長)に「LOFTが新しく歌舞伎町に出来るんですよね?」って連絡して。前のバンドが終わったのが前の年のクリスマスだったから、「初年度のクリスマスの日に、どうしてもやらして欲しいんですけど」って話して、デモ・テープを持って来たんですよ(笑)。
——小滝橋の事務所にですか?
幸也:そうそう。もう新しいLOFTの場所はここに決まってて、まだ工事中だったんですけど、その時にこの場所にも来たんですよ。「まだ何も決まってないから分からないけど、ブッキングとかが出来るようになったら、すぐに連絡するから」って話になって。それで初年度の1999年12月24日のライブが決まったんですよ。だからあのライブは制作もイベンターも通してなくて、自分で決めたんですよ。
——初めて知りました!
幸也:だからそういう意味で言うと、思い入れみたいなところも半端ないですよ。自分がやってきたバンドが終わった時期と、JILSを始めた時期が同じだったから、運命的なものも感じたし、嬉しかったですよ。12月24日のライブで言うと、ここのLOFTが出来てから最初の10年は、俺以外は使ってないと思うんで。それも10年経って、誇らしい気持ちと申し訳ないなって気持ちが混同してきてやめたんですけど(笑)。
——申し訳ないなんてことは、ないですよ。
幸也:いやいや、やっぱりね、あるじゃないですか。だから新宿LOFTってことに関して言うと、思い入れみたいなものが僕は深くあるし、でもその分、「こうであって欲しい」って気持ちが強いから。これがオジサンが嫌われる理由なのかなみたいのも、近年は感じてますけどね。河西さんも気を付けた方がいいですよ(笑)。
——昔はこうだった、みたいなことを言っちゃいますからね(笑)。
幸也:そうそう、こうであって欲しいみたいのがあるじゃないですか。自分が若い頃は、そういうオジサンのことが嫌いだったのに、気付いたら自分がなってるみたいな。
——愛があるからじゃないですか?
幸也:まぁ、思い入れでしょうね。「おいおい、新宿LOFTがこれでいいのかよ」みたいなことを思っちゃう時があって、「あれ? でもこれがいわゆるオジサンが嫌われる原因なのかな?」みたいな(笑)。でもこういうイベント(Rock is Culture)はいいと思うし、ガンガンやって欲しいですね。こういうイベントを通じて、LOFTに出たいなって思ってバンドをやる子とかが1人でもいたらいいなっていう気持ちはありますね。当たり前ですけど、ライブを観に行かないとライブハウスを好きにならないじゃないですか。もちろん設備とか、環境とかもあるんですけど、でもライブハウスにとって一番大事なことって、どんなバンドがどんなライブをしてたかなんだろうなって思うんですよね。あの時にLOFTで観たあのライブが格好良かったみたいなのが、原点であり、全てだと思うんで。それを生み出せるような新宿LOFTであって欲しいっていう願望はありますね。