毎年恒例となったSIONの日比谷野外大音楽堂でのライブ『SION-YAON』。メジャー・デビュー30周年を記念して開催された今年の野音は披露されることが非常に珍しい名曲が随所に散りばめられ、不可欠の代表曲と期待の新曲がバランス良く組み込まれたファン垂涎のセットリストだった。このライブを完全収録したDVD『SION-YAON 2016 with THE MOGAMI 〜Major Debut 30th Anniversary〜』には、THE MOGAMIによる鉄壁のアンサンブルに支えられながら魂を込めて唄うSIONの珠玉の歌、それを自分の歌として受け止め感情移入するオーディエンスとの一体感、得も言われぬ多幸感に包まれた現場の雰囲気が余すところなく刻み込まれている。年末のアコースティック・ツアーを目前に控えたSIONに今年の特別な野音を終えた所感を伺いつつ、この記念すべきメモリアル・イヤーを総括してもらった。(interview:椎名宗之/撮影:撮影:麻生 徹)
今年の野音は特別なセットリストにしたかった
──近況から聞かせてください。いまはアコースティック・ツアーに向けたリハーサルに余念がない感じですか。
SION:2週間くらい前に一度リハをやって、もうすぐ再開するんだけど、気をつけないとすっかり忘れてる(笑)。(細海)魚と(藤井)一彦がとにかく忙しくて、飛び飛びでやるしかないから仕方ないんだけどね。最近ますます「俺だいじょぶか?」なことが増えてきて。この前は焼酎のお湯割りを作ろうと湯を沸かして、沸いたからコップに湯を入れて。そしてそこに水を入れてるという…お湯の水割りやないかい、って(笑)。今回のリハは自分のリハビリを兼ねたものになりそうだね(笑)。
──今度のアコースティック・ツアーは、『Hello〜大切な記憶〜 Naked Tracks 9』の収録曲を多めに披露する予定なんですか。
SION:そう思ってる。今回の『Naked Tracks』のかなりの曲をもう魚と一彦がアルバム用にアレンジしてくれてるんだけど、レコーディングの前に3人でやろうかなと。
──そんなさなかに発売された8月の野音のライブDVDなのですが、SIONさんが終始「嬉しい、嬉しい」と笑みを絶やさなかったのが印象的だったんですよね。
SION:野音のステージから客席にいるみんなの顔を見ると、すごく嬉しくなるんだよね。なんだろうね、歳なのかな?(笑)
──1曲目の「サイレン」から笑みがこぼれていましたよね。
SION:うん。決して笑みをこぼすような歌じゃないんだけど、客席を見たら自然とそんな感じになった。ああやって見に来てくれる人たちがいるからこそライブをやれるわけだし、こうして30年間やってこれたわけだから。デビュー前はまだ子どもだったから、周りの大人や東京という街に対してさんざん文句を唄ってたけど、デビューしてライブにお客さんが来てくれると「別にこの人たちに対して恨みはないよな」って思うようになってね。デビュー前のライブはお客さんも総立ちで殺伐とした雰囲気で、よく会場の器物が壊れたりしたんだよ。それでデビューしてわりとすぐの頃に「座ってよ」と言ったら、今度は立ったらいけないくらいに思ったのか激しい曲でも座ったままで、また好きに立ったり踊ったりしてくれるまでにけっこう時間がかかった(笑)。
──ライブの向き合い方はやはり昔と比べてだいぶ変化してきましたか。
SION:昔はライブでやる曲を本番直前に紙にバーッと書いて、それをメンバーに渡してたんだよね。彼らも大変だったと思うけど、当時はいまこの瞬間にやりたい歌だけをやりたかった。それが、デビューして10年くらい経った頃に照明の人から言われたんだよね。「これからはシステムがコンピュータになってくるから、できたら曲順を事前にください」って。それから頑張ってセットリストを出すようになったし、ここ数年は特にお客さんに喜んでもらえる曲を選ぼうって意識が強くなってきた。
──だからなんですかね。今年の野音はメジャー・デビュー30周年を意識されたこともあったのか、古参のファンには堪らないレアな選曲のオンパレードでしたよね。「サイレン」、「ブーメラン」、「傘いらんかん」、「12号室」、「ノスタルジア」…と、どの曲もイントロが流れるたびに驚きと喜びがない交ぜになった歓声が客席から沸き起こって。
SION:かなり久しぶりの曲が多かったね。「12号室」なんてまずやらない曲だったし。やっぱりメジャー・デビュー30周年だから特別なセットリストにしたかったのはある。自分で組んでおきながら、リハの時に多少「えっ…」とは思ったけど(笑)。
──「サイレン」は『30th milestone』でも選曲されていたので、もしや…とは思ったんですが、実際に魚さんがあのイントロを奏でた時のお客さんの凄まじいリアクションがそのままDVDに収められていますね。
SION:ああ…俺はDVDをあまり見てないからなんとも言えんのだけど(笑)。まだ音と合ってない仮編集の映像はパソコンで見たんだけど、やっぱりなんとも恥ずかしくて。
「12号室」の歌詞の一部を書き換えた理由
──個人的に初めて生で聴けた「12号室」も感激したんですが、この曲もまた客席の反響がすごかったですね。
SION:その昔、いまはなき恵比寿ファクトリーで3日間ライブをやって、そのビデオでも出てると思うんだけど、「12号室」はその時に唄ったくらいしか記憶にない。
──「12号室」は歌詞が一部オリジナルと変わっていましたよね。「そこに入る訳は 8つの俺でも解っていた/今より良くなるために 必要だと解っていた」の部分が「そこに入る訳は 8つの俺には解らなかった/旅行だと思っていた 置いていかれるまでは」と唄われていて。
SION:それはつまり、実際にそういうことだったんだよ。当時、歌にする時には事実のまま唄えなかった。「おふくろは 静かな声でたった一言/生きてなさい そう言った」って歌詞(「街は今日も雨さ」)も、実際にそんなことを言われたことはなかった。その言葉が必要だったから自分で足したんだけど、「12号室」の場合は逆に引いてみた。優しくしたって言うのかな。当時はそのまま書いたら悪いなって気持ちもあったし。でも、もうそろそろいいかなと思ってね。この先また唄うかどうかも分からないし、一度本当のことを唄ってみてもいいかな、って。
──SIONさんのなかでは「12号室」をライブで唄うのを意識的に封印していたところもあるんですか。
SION:俺にはたまにああいう歌があるんだけど、肝となる歌詞に辿り着くまでが長いでしょ? それまでに誰かがずっこけて演奏をミスしたら台無しになってしまう恐ろしい歌ではあるよね(笑)。そういう理由もあったし、自分のなかではもう唄わなくてもいいかなという思いもあった。でも、パラリンピックをよく見ていた理由がそれに関係しているのかどうかはよく分からないけど、ああいう競技に出場する選手は純粋にすごいなぁと思ってさ。腕が1本しかなくても極限まで鍛えた上で戦っている選手の姿を見て、俺にはとてもできんぞと思って。これでもし左腕がダメになったらケツも拭けんし、ドアも開けれんし、もうどうにもならんぞと。その流れでふと、俺が施設に置いていかれた時にどうやってあの真っ暗闇の部屋から起き上がったんだろう? って当時のことを少し思い出した。その時に頭のなかで流れたのが、3年前に亡くなってしまった小山英樹が弾いた「12号室」のイントロだったんだよね。そんなこともあって、恐ろしいけどもう一度あの歌を唄ってみようかなと思った。
──「12号室」の後に「元気はなくすなよ」を披露して明るい雰囲気へ持っていくというめりはりのついた構成もよく練られていますね。
SION:あそこで「元気はなくすなよ」を唄ったのは自分のためでもある。「あんまり歌に入っちゃいけん、素に戻るぞ!」ってことでね(笑)。
──恒例の野音が今年はちょっと特別なものになったのは、そういったレアな選曲や構成の妙が素晴らしかったことが大きいんでしょうね。
SION:野音は毎年、終わった後に幸せな気持ちに包まれるんだけど、ここ2年の野音は特にグッとくるところがあった。去年だと「春夏秋冬」をやった時とかね。
──グッとくると言えば、「後ろに歩くように俺はできていない」の間奏でSIONさんが空を仰いで放った「敬文、聴いてるかー?」という一言には込み上げるものがありました。今年の野音の開催直前に急逝された、写真家の宮本敬文さんに手向けられた曲ですよね。
SION:「後ろに歩くように俺はできていない」は敬文にMVの撮影監督をやってもらったし、彼と深い関わりがあった頃の歌だからね。毎年誰かが向こうに行くけど、敬文はあまりにも早すぎた。敬文には『I DON'T LIKE MYSELF』の時にニューヨークで会ってから、その後ニューヨークに行くたびに世話になってね。すごく面白い奴だった。数年前に敬文が「映画を作りましょう」って言ってくれて、彼のチームの藤森とラクダって奴が俺のアコースティック・ツアー全部に来て撮影してくれたこともあった。顔を見たらなんだかやたら嬉しくなるような男だった。