奇跡的に発掘された渋谷ライブ・インでのライブ音源
──さっきも少し話に出ましたが、デビュー30周年記念のオールタイム・ベスト『30th milestone』をリリースしたのはスタッフの提案だったんですか。
SION:テイチクのディレクターが「30周年なのでなにかやりたいですね」と言ってくれて、お任せしますと。デビュー当時と同じテイチク/BAIDISレーベルから出してもらってはいるけど、デビューした頃のミュージシャンとレコード会社の関係性ではないわけ。だけど、25周年でも30周年でもこうしてアニバーサリー・アイテムを出さないかと言ってくれるテイチクのディレクターがいる。それに乗ってくれるスタッフがいる。それは純粋にありがたいことだよね。俺自身は何周年だろうが気にしないけど、そんな話をもらえるのは嬉しいんだよ。だからディレクターには一杯くらい奢ろうと思って(笑)。
── 一杯だけですか(笑)。
SION:何杯かは奢ろうかな(笑)。
湯田淳一ディレクター:もう奢ってもらってます。
──『30th milestone』のジャケットに写るデビューしたて頃のSIONさんがまたすごく格好良くて、LPサイズの限定盤を持っていたくなりますよね。フィジカルの良さがあると言うか。
SION:当時の写真を撮ってくれてた人がいまどこにいるのか分からなくてね。デビューして3、4年撮ってくれてた福地さんって人で、実は俺の命の恩人だったり、深い付き合いをしていたんだけど、「もう撮るのをやめるよ」ってどこかで呑んでる時に突然言われてね。「あんたのことを誰も撮ってくれなくなったらまた撮ってやる」なんて言われて。俺が26、7だった頃かな。
──『Naked Tracks 9』のジャケット写真も福地さんの撮影ですか。
SION:うん。考えてみれば、福地さんが撮った写真をアルバム・ジャケットに使ったのはインディーズで出した『新宿の片隅で』だけなんだよね。
──メジャー・デビュー1作目のジャケットは違うんですか。
SION:あれは違う。今回、福地さんの写真を『30th milestone』に使いたいという話をディレクターからもらって、探して引っ張り出してきたんだよ。俺が個人的に福地さんの写真をもらっていたから。
──『30th milestone』の限定盤に収録された、メジャー・デビュー4日前(1986年6月17日)の渋谷ライブ・インでのライブ音源は生々しいですね。「みんな50cmずつ下がってください。このままじゃ演奏が続けられません」という主催者の鬼気迫るアナウンスまで入っていて。
SION:あれでもだいぶイベンターの声を消したんだよ。ものすごい数の人がステージへ押し寄せてきて、何度もお客さんに注意するアナウンスが入って…当時が一番人気があったかもしれない(笑)。
──そんなことはないでしょう(笑)。音がすごく良いので、ライブの臨場感がダイレクトに伝わってきますね。
SION:(ディレクターに)でもあれ、1本のテープを起こすのは賭けだったんでしょ?
湯田淳一ディレクター:そう。テープになにが入ってるのか分からなかったから。古いテープだし、もし回して切れちゃったら二度と再生できないからいじれなかったんだけど、そのまま置いておいても聴けないんだから、いっそのこと回しちゃおうってことになって。それで一度だけ回してみて、それをアーカイブしたんです。
──ちゃんと切れずに発掘できたんですね。まさに歴史的な音源じゃないですか。
SION:まぁ、俺はあまり聴いてないけどね(笑)。その日のライブのことはよく覚えてるよ。3デイズだったのに俺はなにも考えないで声を張り上げたもんだから、1日目でいきなり喉を潰しちゃってね。カメラマンの福地さんが吸引器を持ってきてケアしてくれたんだよ。今回入れたのは2日目のライブなんだけど。
──デビュー前後ならではの荒削りな勢いがあって、すごくいいライブですよね。
SION:それこそ新宿ロフトの店員がバックだったんだよ。ベースが半田茂弥、ドラムが小野口直人かな。ギターは松田さんでね。
ある日突然、「このままじゃいけない!」と思った
──同じライブ・インでの映像(1986年2月28日)も『30th milestone』の限定盤には収録されていて、非常に鮮明で貴重ですね。しかも、ちゃんとプロショットで撮影してあって。
SION:なんかのプロモーション材料として部分的に使ってたみたいだね。あんな映像、よく残ってたなと思うよ。ああいう映像があれば、もしなんかで捕まることがあっても“自称・ミュージシャン”って呼ばれることはないかな?(笑)
──汐留ピット(1988年5月)、日清パワーステーション(1989年3月2日)といった初期のライブも記憶に残っていますか。
SION:汐留ピットは覚えてるけど、パワステは何回かやったのでどれがどのライブかは覚えてない。
──ボヘミアン風の赤いコートは初期のトレードマークとも言える衣装ですね。
SION:あの赤いコートは、俺が働いてた新宿の8 1/2《ハッカニブンノイチ》っていうパンク・ショップの社長が作ってくれたものなんだけど、普段から着てたんだよね。去年、デビュー30周年ってことで野音であの赤いコートを着てみたんだけど、あまりに重くて2曲もたなかった(笑)。
──髪を半分剃ってモヒカン、眉も剃ったSIONさんが松葉杖をつきながら唄う汐留ピットのライブ映像も強烈なインパクトがありますね。
SION:とあるテレビの撮影で頭にくることがあって文句を言ったら、みんな偉い人のほうばかり味方をして面白くなくてさ。事務所の社長のバイクを借りて乗ったはいいが、そのままボーンとぶつかって膝の皿が割れちゃったんだよ(笑)。それで仕方なく松葉杖を使った。その松葉杖もライブ中、モニターで叩き折っちゃうんだけどね(笑)。それがいまや、今年の1月の池畑さん祭りでは痛風の発作で松葉杖を使う有り様だから(笑)。なんだかなぁ(笑)。
──ライブ・インの「12月」でもパワステの「カーテン」でも、必ず弾き語りのパートを入れるスタイルは変わりませんね。
SION:その映像をチラッと見て思ったけど、当時の俺は愛想がないねぇ。最近の俺は弾き終わったら「ありがとう」ってお礼を言えるようになったからさ(笑)。
──写真家の井出情児さんがディレクションを務めた「サイレン」や「元気か?」といったMVもいま改めて見ると新鮮ですね。エンドロールのようなクレジットが最後に入って、まるで短編映画のようで。
SION:当時は贅沢だったよね。井出さんに「なにかしたいことある?」と訊かれて、「水の上や赤い川に立ちたいな」なんて言ってね。「湖の周りが燃えてるのを見たい」とかさ。それを井出さんの弟子がメモして実現したのが「サイレン」のMV。車を爆発させたりしてすごかった。そこで金を使いすぎたのか知らないけど、「これを持って歩いてこい」と8mmカメラを渡されたのが「元気か?」のMV。一人でとことこ歩きながら撮ったですよ。井出さんとは写真集の撮影で軍艦島にも行った。当時、普通には入れないから、漁師に金を渡して密航したんだよ(笑)。
──「春夏秋冬」のMVはニューヨークでの撮影で、アート・リンゼイやマーク・リボーなどラウンジ・リザーズの面々も登場する豪華な内容ですね。
SION:ジョン・ルーリーが『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のスタッフと一緒に撮ってくれてね。撮り逃げしないとヤバい場所もあったな。向こうのミートマーケットはその頃ゲイの売り買いに使われてて、当時の俺は細くて化粧もしてたから、タクシーに乗ったら運転手に「お前は売りに行くのか?」とか言われたよ(笑)。
──SIONさんが見知らぬ男性に「手だけでいいから」と迫られたエピソードを思い出しますね(笑)。
SION:「1万円出す!」と言われて、足が一瞬止まるっていう(笑)。あそこで足を止めてたら、俺の人生も変わっただろうなぁ(笑)。
──そのエピソードも含めて、上京直後の思い出をSIONさんが書き綴った文章(『30th milestone』のブックレットに掲載)がまたいいんですよね。東京での生活に流されて、上京してきた目的を見失いながらも最後は一念発起するという。
SION:本当にある日突然、「このままじゃいけない!」と思ったんだよ。東京での生活にも慣れてきて、バイトの時給も上がって、家に電話もつけられて、田舎にいた頃には見たこともなかったマーチンもギブソンも手に入れて、月一のペースで仲間内でライブをやって…客なんて5人くらいしかいないんだよ? そんな毎日だったけど、それで満足できてたんだよね。それが上京して2年くらい経った頃かな。ある日突然、「俺は東京へなにをしに来たんだ?」と思うようになった。それでレコード屋へ駆け込んで、レコード会社の連絡先を教えてもらった。あまり行動力はないほうなんだけど、あの時は早かったね。まぁ、それからデビューに漕ぎ着けるまでは数年かかったんだけど。