ラジカルな演奏が際立つ初期のブッチャーズ
──今回発表された札幌時代のライブ映像&音源集は、スタッフ・サイドからのリリース提案を受けてのものなんですよね。
小松:自分たちからこれを出したい、あの曲を入れたいって言うようなアイテムじゃないですよね。僕が叩いているのは映像の半分くらいだけど、そんな僕から見ても気恥ずかしさが勝るものなので(笑)。
──ただ、ライブ音源に関しては『youth(青春)』のレコーディング時に吉村さんが自ら所有していたカセットテープをスタジオでデジタル化していたそうですから、いずれ何かの折に発表する意思があったのかなと思って。
射守矢:なのかね。吉村がそういう行動をしてたのはうっすら聞いてはいたけど、具体的に形にするものなのかは考えてなかったからね。この間、札幌から留萌へ向かう車の中でライブ音源を聴いた時は意外といけるなと自分でも思ったけど、それでもやっぱり恥ずかしいもんだよ。さっき(佐野)紀代己とも電話で話したからね、「30年経って赤っ恥晒すよ」って(笑)。
──今回はその紀代己さんにもタイトル不明の曲を訊いてみたそうですが、やはり覚えていないものですか。
射守矢:「GET ON」とか「RUN ON THE ROAD」とか、聴いて思い出したのもあったけど、「あんな曲があった、こんな曲があった」みたいに記憶は鮮明じゃなかった。聴いてみて、「ああ…そう言えばあったな、こういう曲」って感じだったね。CDの8曲目の「unknown」も曲は覚えてたんだけど、タイトルが全く出てこなかった。
──小松さんはいち観客として覚えていた曲もありましたか。
小松:いや、僕は加入するまでブッチャーズのライブを一度も見たことがなかったんですよ。ブッチャーズのファースト・ライブについていって見ていた同級生の(カサイ)タカヒロ[GOD'S GUTS、Less than TV]から情報を聞いたり、あいつから回ってきたカセットを聴いてたので、初期の曲はだいだい知ってますけどね。
──DVDとCDの選曲基準というのは?
射守矢:最初にざっくり音と映像をもらって、「チェックしてください」ってスタッフに言われてね。映像のほう、小松が入ってからのライブはずっとやってきた3人だから特に細かくチェックするまでもなかったんだけど、CDに入る音源は紀代己時代だし、「OKトラックをチェックしてください」って言われたんだよ。でも音源が音源だから、自分としては「OKトラックなんてひとつもないよ!」って感じでさ(笑)。だから「これはまぁ…いいかな」って許容範囲のテイクを選んだ。
──でも、当時からブッチャーズの楽曲は恐ろしくキャッチーで凄まじくクオリティが高かったのを実感しますね。
射守矢:確かに楽曲は自分でもいいと思うから意外と聴けるんだけど、やっぱりいろんな意味で若いなぁ…って思ったね。若気の至りって言うかさ。
小松:あと、映像があって音を聴くのと、音だけを聴くのとではリスクが全然違いますよね。
射守矢:リスクなんだ?(笑)
小松:リスクって言うか、ハードル? OKのハードルが高くなる。
──当時の素材をそのまま活かしているからなのか、お二人監修のもと施されたマスタリング作業は難航したと聞きましたが。
射守矢:小松が入る前のライブ音源、CDのほうを細かく聴いたんだけど、会場のライン録りやエアーでカセットに録ってる音をデジタルに落とし込む作業はやれるだけのことを充分やったし、音質の面は別に気にならないんだよ。それよりも、自分がどれだけ我慢できるか? って言うかさ(笑)。「こんな音源、ホントに出してもいいのかな?」っていう葛藤のほうが大きかったから。
小松:僕が入ってから作ったファースト・アルバムとか、メジャー以降のブッチャーズとは楽曲が明らかに違いますからね。僕みたいに昔から知ってる人間からすれば、全く変わってない部分、今とつながってる部分があるのが分かるけど、初期を知らない人には相当ショッキングのような気がしますね。
射守矢:当時は記録に残るなんて微塵も思わなかったライブ音源だからね。ライブがブッチャーズの醍醐味と言えば醍醐味なんだけど、今聴くと凄くラジカルな演奏だと思うよ(笑)。
──CDのほうに小松さんが叩いたトラックを入れなかったのは、どんな意図があったんですか。
小松:当初は入れる話もあったんだけど、DVDと曲が被るのを避けたんです。なるべくCDとDVDの曲を被らないようにしようってことにしたので、CDのほうは佐野さんが全部叩いてるライブになったんですよ。
──個人的な好みですけど、エアー録音されたCDのボーナストラックのほうが生々しくてざらついた感触もあって、ライブ感があるなと思いましたね。
射守矢:そういう意見もあるだろうね。ライン録りした本編のほうは下の音をグッと上げてもらって、やりすぎたかな? って後でちょっと思ったんだけど(笑)、まぁそれもいいのかなと思って。
田舎にいたぶん、バンドをやるのに貪欲で真面目だった
──今回のライブ映像はReguReguの小磯卓也さんによる提供とのことですが(当時記録用に撮影されていたHi8のテープをデジタル化)、撮り溜めていた映像は他にもたくさんあったんですか。
射守矢:素材は膨大にあるみたいだね。俺個人は全然持ってないけど。
小松:僕も札幌時代の映像はほぼ持ってないですね。東京に出てきてFUGAZIと一緒にやったライブとか、アメリカの映像は僕が撮ったので持ってますけど。札幌時代は記録に残すとか、そんなことを考えてる余裕がなかったですね。
──当時のライブ映像を改めて見て、新たな発見とかはありましたか。
小松:当時はもっと吉村さんと射守矢さんを凄い気にしながら叩いてたイメージが自分ではあったんだけど、映像を見るとそこまで気にして叩いてなかったのが意外でした。自分は自分で叩くことに一生懸命と言うか、きっとそれしかできなかったんでしょうね。頭の中では「ここで終わっていいのかな?」とか「MCで怒ってるのは俺のせいかな?」とか思ってたはずなんだけど(笑)。
射守矢:当時は俺も吉村もそういうことは気にしてなかったんだよ。小松が食らいつくように必死に合わせてくるのも分かってたし、ドラムのプレイをディレクションするまでの余裕もなかったから。
小松:今見ると、吉村さんがこっちを向いて合図を送ったり、合わせようとするところが全然ないんです。よくあれで音が合ってたなと思って。長い髪を振り乱してる隙間からチラッとこっちを見てたのかもしれないけど。
射守矢:俺もそうだけど、あからさまに小松のほうを見るんじゃなくて、首を下げた時の視界でちゃんと見てるんだよ。あと映像に関して言うと、小松が入ってからの曲で音源になってないのが今回収録されてるね。タイトルが分からなかったから「unknown」ってなってるけど、ちょっとハイスタみたいなメロコア調の曲で、ハイスタより早かったっていう(笑)。サビの「Stand up, and go」ってところでハモってるやつ。
──その曲、「Stand Up And Go」ってタイトルなのでは?(笑)
小松:僕はそれ、全然記憶にないですね。でも、DVDは自分で見ても若さって凄いなって思いました。
射守矢:全曲速いしね(笑)。
小松:速いのにちゃんとついていってるし、ちゃんとアタック感もあるし、それは素直に凄いなと。あんなライブ、今じゃ絶対にできませんよ。もちろん今は今の良さがあるんだけど。
──DVDにも収録されている正真正銘ブッチャーズの初ライブのことは覚えていますか。
射守矢:覚えてるよ。当時、あのライブの映像をVHSに落としてみんなで共有して、けっこう見てたしね。『LONDON PUNK NIGHT』ってイベントがその頃流行ってて、その札幌版の2回目。ライブ自体はそれなりに盛り上がってたんだろうね、きっと。何百人と入る規模じゃなかったけど、いろんな人が見に来てくれた。
──ブッチャーズの初ライブは1986年11月14日で、それが今も結成にまつわる記念日として位置づけされていますが、実際にバンドをやることになったのはいつ頃なんですか。
射守矢:その年なのは間違いないね。それ以前は吉村と(上原子)友康[怒髪天]と畜生ってバンドをやってて、諸事情で約1年空いて、吉村が「もう1回やろうよ」って言ったのが初ライブの半年くらい前かな。多分だけど。最初はオリジナルがまだそんなになかったし、カバーもやってたね。
──その初ライブには射守矢さんと友康さんがやっていたチェリーブラッドも出演していましたが、ブッチャーズの始動とともに活動停止になるのは仕方ないことだったんですか。
射守矢:良しとはしてなかったけど、俺は器用にいろんなことができないからさ。チェリーブラッドは俺と藤原っていう留萌の友達と適当に始めたバンドだし、ブッチャーズをやるなら並行してできなかったんだよ。
小松:射守矢さん、そこははっきり言いましょうよ。その時点で友康さんよりも吉村さんを選んだ、って(笑)。
射守矢:別にそういうわけでもないんだけどさ、ブッチャーズをやることで真剣にバンドをやっていこうと思ったわけ。それまではDISORDERとかが大好きで、そういう音楽を遊びでやってたけど、真剣にバンドに取り組んでた吉村のほうに引っ張られるようになった。
──初ライブの時点でオリジナル曲が7曲もあって、そのどれもがクオリティが高いことからも真剣さが窺えますね。
射守矢:オリジナル曲をつくるのが当たり前だと思ってたしね。畜生をやってた高校の頃からそうだったし、ブッチャーズの初ライブに出てたバンドもみんなオリジナル曲をやってたよ。
小松:増子(直純)さんが高校の頃にやってた怒髪天の前のバンドはカバー曲が中心で、「同じ高校生なのに、あの当時からようちゃんと射守矢は普通にオリジナル曲をやってて凄いなと思った」って増子さんから聞いたことがあるんです。だから意識が全然違ってたんだと思いますよ。僕も中学の終わりから高校に入る頃にはオリジナル曲をつくってたし、留萌ってそういう土地柄なんじゃないですか? 良く言えばオリジナリティがある、悪く言えば真似ができない(笑)。
射守矢:そうそう、単純にコピー・バンドをやれる技量がなかっただけの話(笑)。札幌に出る時、凄い都会なんだろうなと思って構えてたらそうでもなくてさ。留萌は田舎で情報が少ないぶん、バンドをやることに対して貪欲だったり真面目だったんじゃないかな。それは札幌から東京に出た時も感じたね。