1984年6月21日、現編成となった初のライブを小滝橋通り沿いにあった新宿LOFTで行なって以来、今年で30周年を迎えるPERSONZ。数年前からこの結成30周年という節目に照準を定め、ロックの殿堂である日本武道館でのライブを実現させるという夢のプロジェクトをプランニングしてきた彼らがアニバーサリー・イヤーの序章として選んだ舞台は、バンドの揺籃期を過ごした新宿LOFT。"歴史はここから始まった..."というタイトル通り、2日間にわたる3ステージでLOFT時代のライブ・パフィーマンスを再現することで初心に立ち返り、常に現役を貫いてきたバンドの今を鮮やかに体現する趣向である。
このインタビューに応えた後、自身のブログで「PERSONZがLOFTでライブをするのは、これが最後となる気がしている」と記したJILLの真意のほどは分からないが、それだけの覚悟で伝統ある市松模様のステージに立つことは確かだ。かつてのホームグラウンドを足がかりにロックの殿堂へと突き進む意図、30年を経てもなお夢を見続けることの大切さについて、JILLと渡邉貢に話を聞いた。(interview:椎名宗之)
閉塞感を打破するために立てた目標、日本武道館
──日本武道館へのキックオフとして2012年から『DREAMERS ONLY SPECIAL』と題したツアーを敢行して以来、30周年モードに向けて着々と足固めをしてきた印象がありますね。
JILL:最初は全くのノー・プランだったんですよ。30周年なんてまだかなり先の話だと思ってたんですけど、2011年の震災以降、とにかく目標を持とうと考えたんです。あの震災の影響で日本中が意気消沈したし、自分たちもそうだったし、音楽をやる上で大きな目標がなければその先の未来を実感できなかった。毎日余震が続いたり、放射能汚染も心配でしたからね。そんな閉塞した状況から抜け出すために立てた目標が、30周年の節目に武道館でライブをやりたいということだったんです。もし震災がなければ、この30周年もなすがままに迎えていたかもしれませんね。
──その決意から3年、あっと言う間でしたよね。
JILL:あっと言う間だったし、「武道館、武道館」と言ってるだけでプランはないし(笑)。これがどこかの事務所に所属したバンドなら、ちゃんと後ろ盾があって、綿密にスケジュールを立てて実行に移すんでしょうけど、私たちはワイルドなものですから(笑)。ただ、確固たるプランもないままに「武道館に行きたい」と言い始めて、ファンの人たちがそれに応えてくれたのは嬉しかったですね。もちろん目標を立てた以上は実現させるつもりですけど。
──去年は初頭に赤坂BLITZでの昼夜2公演があったり、10月には24年ぶりとなる渋谷公会堂でのライブがあったり、武道館へのステップアップを順調に遂げているように思えますが。
渡邉:表向きはそう見られてると思うし、確かに順調ではあるんですけど、スタッフ・サイドからするとけっこう大変なんですよ。JILLさんは思いつきで言っちゃうことが多いから(笑)。BLITZをやった時のMCで「武道館へ行く前に渋公でやりたいよね」って突然言い出して、それからですからね。渋公でライブをやるべく動き出したのは(笑)。
JILL:私たちの場合、年間のスケジュールがあらかじめ前の年から決まっているわけじゃないし、BLITZや渋公もいろんな人たちとの縁や助けがあって実現したんです。今まで「武道館、武道館」とさんざん言っておきながら、渋公はホールの大きさに驚いたんですけどね(笑)。それまではO-eastやBLITZクラスで精一杯だったので、「渋公でやりたい」と言っちゃった後に事の重大さに気がついて(笑)。
──でも、フタを開けてみればソールドアウト。
JILL:それもファンの人たちはもとより、力を貸してくれたいろんな人たちのお陰なんです。まぁ、武道館はその何倍ものキャパがあるわけなんですけど、それは深く考えないようにしてるんですよ。やろうと思えばできるのかなぁ…程度に考えるようにして。
──24年ぶりの渋公はやってみて如何でしたか。
JILL:面白かったですね。ステージに出る前に袖に立って、そこで聞こえてくる歓声がホール独特のもので、それを聞いてもう泣きそうだったんですけど。でも1曲目から泣いてちゃまずいから、一生懸命堪えて(笑)。いざステージに立つと、キャパが2,000人以上っていう感じには思えなくて、お客さんと近い距離に感じましたね。みんなの声も凄くよく聞こえたし。
──渋公では、結成29年にして初めてメドレー演奏が披露されたのが大きなトピックでしたよね。
渡邉:まぁ、曲が相当ありますからね。通常のライブなら、曲の被りなしで3セットくらいは同じような質感で組めますから。
JILL:本田君は過去にメドレーをやりたいと言ったことがあったんですけど、渡邉君はずっとメドレーをやりたくないと言ってたんです。今この時期になってやっと、そんなこだわりも解凍されたわけですよ(笑)。
渡邉:だって、メドレーをやるのって芸能人っぽいじゃないですか。ちょっとジャ○ーズみたいな感じがして(笑)。
JILL:ただPERSONZは曲が多いから、渋公みたいな広い場所で不特定多数のお客さんに満足してもらうにはメドレーもいいなと思いましたね。「あの曲はやらなかった」みたいな声も後でいただくし、代表曲をやらないと新曲をやってもピンとこないと言われるし、メドレーをやればそういうのが解消されるんだなって。実際、もの凄く盛り上がったし、やって良かったですよ。
──PERSONZのキャリアを考えると、今まで一度もメドレーをやってこなかったのが意外ですけどね。
渡邉:それが良かったんですよ。渋公のお客さんがメドレーを喜んでくれたのは、初めてやったことが大きいはずなんです。やるのをずっと溜めていたのが功を奏したんですね。焦らしの美学がここで活きたっていう(笑)。
JILL:たとえば「PRECIOUS LOVE」をアイリッシュ・バージョンにして演奏するのは、本田君がいない時期に野音で一度やったことがあったんです。そういうのを過去の引き出しから持ち出したり、アイディアはいくらでもあるんですよ。だから1日のライブで何らかのテーマを見せ切るのが凄く大変なんですね。そんなこともあって、LOFTで“30YEARS 3HISTORY 3STAGE”をやることにしたんですよ。